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寂しさの正体

ずーっと、ずーっと、寂しいって思ってた。
日がな夜がな、寂しいって。

そしてそれは、結婚する相手を間違えたからだと、思ってた。そう信じてた。

できちゃった結婚で、感覚的に好きなわけではない相手と一緒になったから、だから彼の一挙手一投足はわたしのツボを見事に外す。

その一つ一つを、罪に感じていた。

私という理性がわたしになし得る最大の冒涜

それがこの結婚だと、意識化で自分を常に罰していた。

隙あらば離婚してやろうと、いつでも思ってた。
この選択を続け、続けなくては子どもを育てていけない自分の経済力と社会性のなさを呪った。

毎夜好きな人の隣で眠れない自分を、憐れに思った。

でもねふと気づいたらね、そんな自分はいなくなってたんだ。

夜な夜なわたしを襲うのは心地よい疲労と健康な眠気であり、そこに寂しさの入る余地はもはやない。

簡単に突破できず歯がゆく思うことは多々あるが、それらをどうにかするための具体的な手立てを考えるべく、頭は使われている。

そこにあるのはもはや、悩みではないのだ。

いつかスイスのサステイナビリティを考えるユースキャンプで耳にした、peaceful struggle 、つまり平穏な試行錯誤、の段階。

そのステージに、35のわたしの心は13年の時を経て、ようやく立っている!

なんて感慨!!

夫に対して感じていた寂しさの正体は、実は置き去りにして存在を認めてやらず、表現される回路を持たなかったわたしの内側だったのかもしれない。

わたしの女性性。名前はスカーレット。

わたしは彼女を今日も喜ばす。

喜ばせるべく、ありったけのレット・バトラー的鷲の目の紳士性を駆使して、わたしの身体を運ぶべき場所に運び、成すべきことを執行する。そしてそのからだに十分な休息と滋養を与える。

その日々はとても、ピースフルである。

*

心の平穏がより多くの人の内面で実現し、それがこの世の中にかたちとして実るようにと祈りながら、わたしは今日もお仕事をする。

両手とこの手足で感性を大事に抱えながら。
ほかでもない自分の中の不和を調停しながら。

和平交渉はつづいている


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