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仙石線を男の子と・怒りの矛先【詩のことば二編】

**仙石線を男の子と **

仙石線の上を男の子と走っていた
仙石線はもちろん、動いている
ほら!
振り返ってわたしは男の子に叫ぶ
電車の速度に声も自分も振り落とされないよう叫ぶ
「涌谷町の海だよ!
津波でこんなに流されてしまって痛々しい
けど今日は陽の光に照らされてる!」

電車は海岸線をひた走る
どうやら南下している

北の訪問地では母が土産物やで素敵なネックレスを求めていた

着いた南では友人が女友達同士で子供を連れて肩を寄せ合っている住居だった
吉本ばななの「アムリタ」のような
そこに他の連子と戯れて楽しそうな
わたしの子どももいた

シェアすればいい
喜びも悲哀も
そしてその先に行くんだよ
夢で描いた未来へ
ちゃんと漕ぎ続ける
自転車操業でいい

あなたの将来設計は
ファイナンシャルプランナーのそれには描けない
誰もまだ、現実では生きたことのない未来
統計的確率が
わたしの人生に
何を投げかけられよう?

社会的身分ごとの不安な未来は
行き過ぎた男性性の、嫉妬
それを拭えない女性性の、よわさ

人に守ってもらうんじゃないんだ
自分の感性を理性で守ること
自分の感性が涵養される時間を確保することが
わたしという人の中の役割分担

ただ感性という女神にアムリタを飲ませることができたなら

Feb11,2020. 2S.O

**怒りの矛先 **

怒りの矛先
先祖代々の大地を守るため
彼女は修羅となった
甘い恋心は
大地への忠誠心に変え
目の色を変えた
戦場に吠えた
策をめぐらし
毅然とそれを実行した
切羽詰まった
後ろ盾も寄る術もない
いつでも彼女は背水の陣を敷く

死は彼女を楽にしただろうか?
永久の安らぎに
たとえ身を焼いても
彼女の心は安んじただろいか?

いや
彼女は玉座を降りていない
子孫代々の身を
まだ心から案じている

凶弾に倒れた英国人の男が
その100年後
世界平和と愛する極端な女を
強烈に慕って未練を残して
この世を去ったように
男としてなし得る活動とその限界と
既得権益と生まれ身のどうしようもない不足と渇望への小さな失望が
魂となって
4年後に
こまごまとしたかけらとして
世界中に降ってきたように

その命は再生をやめない
レジリエンスを人類に促す
励まし、可能性という希望を見せ続ける
漆黒の夜中に鐘を鳴らし続ける
人一倍心を痛めながら
それをアートで漫画でセラピーで物書きで
あらゆる仕事で表現し続ける

キカイの再生産はもうおしまい
怒りを振り下ろす手は
「敵」にもう振るわなくていい。
あなたのユートピアを生きるんだ
そのような人の母集団が
日和見菌を味方につけたら
この世はひっくり返る
フェルゼンが憎んだ大衆が
確たる意思に導かれれば

その御手に喜びあれ
次世代はあなたの背中をみて育つから
大丈夫
あなたはくるりとその身を翻し
戦場に駆けてけばいい

家庭を守る女と 戦うべき女がいる
彼女たちはどちらもあなたの中にいていい
ある時は片方を優先させていい
王族のデフォルトはまつりごとで
子どもへ分け与える体力は
乳母に任せとけばいい
あなたが玉座で正しく采配を振るうことが
万人の民の喜び

我が王を玉座に。

Satomi S.O
18Feb2020


【理性のことば】

 「仙石線を男の子と」は、夢の続きを枕元で書き付けたものです。仙石線は、故郷の仙台と石巻を結ぶローカル線です。宮城の松島も通る風光明美な海岸線を走り、津波で一部が流されたが再建している。
 
 つかみそうで、つかめない夢の輪郭に想いを馳せている間に、案外と自分の顕在意識で成し遂げたいことにつながっていくもので、不思議です。

 吉本ばななさんの境目的な文章が好きで、人生の深淵に近づいたときほどその文章は力を持って語りかけてきたので、読んでいました。なかでも『アムリタ』は22歳で自分の生まれ持った特性と違う使い方をして、脳がストライキを起こした(鬱と呼ばれますね。)ときに、旅行先のインドネシアのパンガンダランの浜辺で朝な夕な読んでいた。津波に襲われた直後だったその南海岸の町の浮遊感と、小説内のハワイでのさせ子の歌のシーンなんかが重なって、境界にいる自分に強く希望の光を射した。

 ところで先日、FPさんに自分の堅実プランで家計資金の相談をして、最後に実は…って自分の野望を語ったら唖然とされた。それはチャートには描けないって。そりゃあそうだ。がはは と笑って、たとえファイナンシャルプランに描けないそっちの道を取ったとしても、FPさんのこと責めませんから大丈夫!って太鼓判を押して、お礼を言って別れた。

 もちろん、何をやるにしろ説得力を持って地に足を付けて、色々をやっていきたいと思っている今日この頃だけれど。

 *

 「怒りの矛先」は、翻って人の輪廻や人類としての課題解決のようなことについて、書きました。書きました、というか、書いているうちにそうなった。飛躍するようだが、筆が勝手に走る。言葉を探して、適当な比喩を当てはめて、悉く演繹して敷衍した観念からまた同じ根源を持つ事例を次々と引き当てだす。芋づる式の想念の掘削作業。

 大学時代に1年間、親にお金を出してもらい米国に交換留学をさせてもらいました。その時に女性学の授業を取っていた。Women's Studyでよかったかな。フェミニズムの流れとかを文献をガンガン読んで押さえて、それを先生が解説し学生に質問を投げかけ、レポートするという、たぶん取った中で一番ハードだったものの一つ。

 その中で先生は "A problem in one's bedroom can be a problem of all" **というようなことをおっしゃった。ある女性の寝室の問題は全ての女性の問題でありうる**。絶対的に個人的な問題などなく、個々の人間はその構成員として社会の影響を少なからず受けている。だからあなたのせいじゃない、抱えて泣き寝入りするな、自らの小さな声を過小評価せずに声をあげなさい、という、フェミニズムはもちろん弱者やマイノリティの基本姿勢を謳ったスローガンだと私は理解している。

 同様に、人としての課題も、個人のカルマよろしく人類全体で引き受けて解決してくものだし、逆も然りだな、と最近とみに感じている。つまり、きわめて内的な、ある個人の抱えている心理的な悩みも、もとをたどっていくと人類が共に直面すべき課題であったりする。だから、ある個人の心が癒えてその人の幸福を他の誰でもない自分自身が責任持って歩んでいくことによって、その人の半径3メートルの親密圏の人が幸福になる。つまり、この世が一歩パラダイスに近づくことなのではないか、と真剣に思っています。

 実際、その「個人の抱えている心理的な悩み」がそれそのものとして全うされて、まっすぐな認知でこの世界を眺められる人が増えたら。そういうところに焦点の合った大人が増えたらいいなと、わたしは学び、なかまを見つけ、表現することを続けるだろう。


おまけ★【詞のことば】コソコソ噺

 「怒りの矛先」は女性性と男性性の癒しとバランスと正しい発現、がテーマのインド映画(だとわたしは勝手に思っています♡)の「マニカルニカ」と「バーフバリ」等々に多分にインスピレーションを得ています。

 サトミちゃんは、この1カ月半、一日一回は「マニカルニカ」の "Dankila"(↓) を聴いて、志気を向上させてるらしいよー(何のだ)。復権、戦うぞ!って戦闘モードらしい。暴れ馬を乗りこなし男勝りに剣を振るう自分の価値を本当に理解し、目を細めて見つめてくれる、ラージャジー(王様)が隣にほしいらしいよー。

 映画、特にインド映画はインスピレーションの宝庫だね!

 感情に詰まったらインド映画を観よう!!!!

(終)


ここまで読んでくれた方、どうもありがとうございました。

今週もきっと、いいことあるよ!

 

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