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Mere Paas Khshyon ka Samandar わたしの側にはよろこびの海が

あなたのそばにはよろこびがありますか?

わたしのそばにはよろこびがある。

5年前のわたしには想像のできなかったよろこびが

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 インド映画好きが高じてヒンディー語を勉強している。

 ヒンディー語を学んでまずグッと来たのが、英語だと「have」に相当する動詞「paas」の意味が「~が近くにある」だ、ということだ。「paas」というその動詞は、恐らく所有という概念でできていない。たまたまいっとき、今の自分の近くにある。輪廻転生が多くの人に信じられてきたであろうヒンディー語圏で、ただいっとき自分という形を成している命の近くに、これまたたまたまこのいっとき「近くにある」という謙虚さ。

 この三カ月、性愛セラビスト養成講座というセミナーに通った。月一で、週末の二日間、家族から離れて私は自分に集中した。とても貴重で多くのものごとが私の心を通過して、ろ過されていった三カ月間だった。

 何の講座か。それは他者とちゃんとつながって自分の人生を責任をもって幸せに豊かに生きる人が増えるようにするための講座だ。それには他でもない自分自身が、人のせいにせずに自分の内側を整えて、自分の人生に責任をもって舵を切っていくことが不可欠だ。

 じゃあ、「内側を整える」ってどういうことか。

 例えばパートナーシップでも自己実現でも、それが上手くいかないっていう現実が目の前に現れている場合、実は深層心理ではそれを望んでなくて、それには「いや無理でしょ」という観念があったり、さらにそれには恐れという感情が碇を降ろしていたりする。

 それを悩みに傾聴すること(カウンセリング)で見極めたうえで、自分の心をブロックしている「いや無理でしょ」の観念を外したり、未完了の感情を完了させるようなワークをしていく。この、その人の表面の心理と深層心理の葛藤を調停していくようなプロセスが「内側を整える」ということであり、セラピーと呼ばれる部分だと理解しています。

 じゃあ、「性愛」セラビストって何だ?

 一人の人は、生物的な男性でも女性でも、必ず「女性性」と「男性性」をもっている。他の言葉で言うと、「女性性」は左脳的な感性、「男性性」は右脳的な理性。そのもともとの性質から、「女性性」で感じた正しさ(こんまりちゃんで言うトキメキですね!)を、「男性性」の実行機能で執行する(こんまりお片付けで言う、実際手を動かして・選んで・捨てるというアクション)というバランスでやっていくと物事が上手く回るようにできている。中国の陰陽図のイメージ。

 しかしながら、現代社会は全て理詰め重視でオフィシャルでマジョリティーな世の中は回っている。学校も、仕事場も。それには新たな生命(インスピレーション)を宿して産み出す(具現化する)という、女性のもつ身体的な力を、富や権力を手にし始めた男性的なものが恐れ、封印してきた歴史があり、今は陽極まっているという歴史がある。そりゃあ生きづらいし、子ども産みにくいし、産んでも育てるのが大変、というトレンドになるなる!

 じゃあそこを立て直せるのは何か、っていうと、その崩れた女性性と男性性のパワーバランスを、カップルの単位で立て直していくこと。子育てのために女性側が自分のやりたいことに我慢を重ねるんじゃなく「わたし、これやりたいから、ここよろしくね!」と委ねられること。崩れてる常識的論理でいくら「僕は仕事で疲れてる、君の仕事だ」とか言われても「あなたと一緒に、常識とは違うけれどわたしが笑顔でいられる世界を創造したいの」とかわいくスパッと言えること。そして楽しくセックスして女性性のパワーを男性側に与えてあげられること!

 そのためには、とりもなおさず女性側が自分のひねくれてしまっている部分等々を見つめて、相手との課題を分離して心の境界線をきっちり引いたうえで、「あなたは好きだけど、ここは嫌だからこう直して!」と言えることが大切。それには、女性自身が、自分の中の女性性にオッケーを出し、自分の中の男性性で彼女が喜ぶことを「実行」して、目をかけてをかけしていく、という自分内パートナーシップを整えていくというのが、両輪であり前提になる。

 このあたりが「性愛」を「セラピー」して癒す、という「性愛セラピスト」の役割であり、在り方なのかなぁと、三カ月で理解しています。

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 講座では、自分もセラピーを体験して、子どもの頃にいつの間にか築いていた固定観念に驚愕したり、こみあげてくる感情に号泣したりと、心がものすごーく、目まぐるしい三カ月でした。その分、ろ過されたものもほんとに多いと思う。

 お師匠の田中みっちさんの提唱される「愛し愛される」を文化に、は本当に深くて真を突いたスローガンだなと思う。他者とつながる、ということに長い間怖さを抱いていたいた自閉傾向のある私にとって、相手から愛を奪うでもなく、奪われるでもない、愛を与え合う関係性を作りうるというのは希望そのもの。そうして、素がコミュニケーション不器用でも「愛し愛される」関係性を意識的に、友人レベルでもパートナーレベルでも築ける若い人が増えれば増える程、この世の中は楽園に近づくと思うのです。

 今後、わたしが性愛セラピストとしてお仕事をするのか、というと正直分からない。まずはこの年季の入った自分の心のレイヤーに一枚一枚向き合っていき、よりクリアな自分に迫ること。そのためにセラピーを使っていくことは確か。そしてそういう自分でいることが、私が接する人にとって一番の経緯だし癒しになるんだと思う。過去の自分も含めて。例え他の仕事をしていたとしても。

 でもね、やっぱり誰にとっても協力なツールであり、本気で生きてこうと思ったら強力なツールになるな、というのを実感したんだ。心理セラピーで、自分の心理に向き合っていくということは。だから、ご要望があったら、やりたいなと思う。今回の講座で学んだ知識や技法は、広げてクラスターを作る価値がある、そういう類の智だと思う。魔女見習いのお客さん、どうぞ♪

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 "Mere Paas Khshyon ka Samandar hai"

 私・~が近くにある・幸せ・の・海・です

「わたしには幸せの海がある」


 私は今、幸せの海の原泉を掘りあててしまった。

 それは他でもないわたしのなかにずっとあった。

 この世に生まれ落ちたそのときから側にあったが、三十五年経ってようやくその存在をいつでも感じられるようになった。

 Mere paas khshyon ka samandar hai.

 わたしはこの幸せの海と共に、この生を生き切ろうと思っている。


15Mar2020

Satomi Scarlett こと 小畑 知未

https://youtu.be/NFsEqOBG51M


 

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