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"I will never budge till spring"【「引きこもりたい」を尊重して良い理由】

オードリー・ヘップバーンの「マイ・フェア・レディ」を見たことはありますか。

マイフェアレディは、とある下町訛りの花売りのイライザが、これまたとある言語学者であるヒギンズの実験に付き合うことになり、その訛りの「ひどい」英語を、ロンドン上流階級が話すクィーンズイングリッシュに「矯正」し、社交界にデビューをしてその成果を確かめることになるのですが、その顛末に伴う登場人物の心の機微を描き出した、古典の名画ですね。

イライザは生まれ育つ中で身に付けたものとは別の発音を身に付けようと苦心しますが、その姿は言語を真剣に学習したことのある人なら恐らく誰でもが共感してしまう、あー!この感覚!わかるよねぇ…!!という場面の連続。うまく話したいのに、口から出てこない。もう投げ出そうと思うぐらいうまくいかなくて、ちょっとやけにもなってみる。でも、あるときその努力が実り、口を突いて思い描いていた言葉がほとばしる…!

個人的には、その「外国語学習」にまつわる想いや体験がもろに心の核心に触れながら人間として成長してきた感があり、見るたびに心の琴線がじゃらんじゃらんに振れます(笑) 10年くらい前、出張で乗ったタイ行きのヒコーキの中で、それまでにも何度も見ていたはずのこの映画を観て号泣していたら、隣に乗っていた上司にギョッとされた思い出さえあります・・・♡

さて、タイトルを訳読して行きましょう。

 "I will never budge till spring." 

'budge' は、身じろぎする とか ちょっと動く、と訳されますが、ニュアンスとしては「動のベクトルを失い静だった物体もしくは生きものの身体が、重い腰を上げるように動き出す」という感じのようです。※訳@オハラ翻訳事務所;わたしの翻訳事務所です!

発音は「バッジ」ですが、「バ」の母音は口を小さく開けてそっけなく発音する[ʌ]([A]の子分みたいな発音記号) であり、

勲章にもらったり,小学生の名札を差して言う 'badge' における「バ」の、口を比較的横に大きく開けて口の少し奥のところから発音する[æ]([ae]みたいな発音記号)とはちょっと異なります。

・・・さて、趣味の言語ヲタク領域はこのあたりにして(笑),

 "I will never budge till spring." 

はつまり、

「おらぃは春まで何がなんでも動がねがらね!」←意図あって仙台訛り。三世のエセ感……悲

ということ。

実は、このフレーズは "Wouldn't it be loverly" という歌の後半の歌詞です。

歌の前半で「私の欲しいのは、見事なまでに立派な椅子のある、安全な部屋。そこではチョコレートが食べ放題で、暖炉の炭は絶えることがなくてらてらと顔を照らし、手も足も冷たくない。私の膝で膝枕をしている人がいて、この上なく温かくて優しくて、私のことを大事にしてくれる。そうなったら何て素敵でしょう!」と歌いあげるイライザが、「温かい春が来るまで,身じろぎ一つせずここに居たい」と言うのは当然のことのように感じられます。

新学期が始まり、二人の娘は「学校行きたくない」の猛攻を続けており、しっかり体調もなんやかや味方して、大義名分を得て家に居ります(笑) だって、風邪様症状は、感染症のかのうせいがあるからねぇ( ^ω^)…。

次女に至っては、小学校入学したてで、環境の大きな変化があり、「そのままでいいよ」の保育園から「こうこうこうしなさい」のがっこうへの移行は、思い遣って余りあるな、と感じています。

きょういくの目的は、管理ではない。

個の持ち味を温存して伸ばすことへと、本腰入れて転換する時が来ているなぁ、と強く感じています。


ヒキコモリをモンダイとみなすなら、出たいと思わせる世の中をつくったらいい。

むしろ、あるものさしに合わない人を疎外して淘汰するような場に、いられない方がよっぽど自然だから!

そうでなければ、きっと、無理してる人や子は、目に見えるよりもずーっと、多いと思う。


楽園、つくったるで~♪

3メートルの庭先から。


引きこもれる快適な住環境をADHDおかーさん用に整えたい:

すかーれっと






ヘッダの画像は 映画の時間 さんからお借りしました。







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