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そうじ
高校までいた実家。
母は私が週末に掃除をすると、
あなたはいいわね、自分の部屋だけ掃除すればいいんだから、
と言ったものだった。
私のところにだけ、紙がたくさん来て、どうして私ばかり大変なの、
ともぼやいていた。
・
何で掃除して文句言われなくちゃならないの、と当時はもちろん思っていたが、自分が母親になって家族を持ってみて、当時の母の気持ちが分かるような気がしている。
自分の片付けでも精一杯でやり方がよく分からないのに、人の片付けもいつの間にか担当になっている。しかも、その人たちには片付けのやり方を教える人が必要なのに、誰もいない。したがって、彼らは散らかし班。ごんべが種撒きゃ鴨がほじくる(だったっけ?)、状態。
子供たちの学校からは何だか膨大な書類が毎日のように来る。処理が追いつかず、積まれたり、忘れないようにと冷蔵庫に貼られたりして視覚的に圧迫感。見るたび、どうにかしなくちゃと気を取られる。
どうして他の人は、どうにかしてくれず、こうも孤軍奮闘なんだろう?
…って、母も途方に暮れてたに違いない。
小児麻痺で右手に不自由のある母だから、なおさらだったに違いない。
・
言い訳かなぁ
わたしが、母に対して、そんなの結局やらないのが悪いんじゃん、って思っていたように。
でも、得意不得意は確かにあって、不得意なところに過剰な負荷がかかると、本人はどうしようもなくなるのは、事実だと思うんだ。
それは支援のニーズがある、ってことだけれど、あとは、支援を受ける可能性を知って、それを求めるか、だ。
支援を求めて、模索してきたつもりだけれど、上手くつながらないのは、きっと心の奥底で変わることを望んでいないからなんだろうな。口惜しや。
髪を切るように、チョキチョキと掃除してしまえたらいいのに。
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