わたしの金魚ちゃんたち
わたしの姿を見ると、
口をぱくぱくして餌を求める金魚。
わたしの姿を見ると、
口をとがらせて「ごはんー!」を求める長女。
わたしが近くにいると、
「これを見てー!」「あれを見てー!」遊んで欲しいとねだる次女。
かまわないでいると
心根がじりじり拗ねてくるパートナー。
わたしが毎日水を替えないと、
すぐさましおれてしまう花瓶の花々。
わたしが水をやることで、
表皮を破って芽を出すであろうタネたち
みんな、ぱくぱく口を開けている。
わたしは、その口に餌を運ぶ親鳥のように、生かされていることを感じる。
-satomi
30APR2020
【理性のことば】
数年前に縁日で次女がすくってきた金魚は、ありがちなことに、母であるわたしの世話するところとなっている。
彼らはわたしという人影が近づくと、ぱくぱくと口を動かしながらつぶらで瞬きしないその瞳を確実に私にロックオンして、餌を求める。
今、わたしのまわりにはそういう存在がたくさんいて、それらと一日の大半の時間を過ごしている。
自宅待機での仕事、と考えると、恐らく世の働くおかーさん達が皆そうであるように、ジレンマ事欠かないし、
「自粛要請」をめぐる政策やそのセーフティーネットから弾かれた多くのサービス提供者やそれをめぐって発露している人々の心の動きに心が傷んだり逆に温かくなったり心は忙しいけれど、
身近な人との距離という意味では、貴重な時間を経験しているなー、
と思っています。
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