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「ときぐすり」とスィートハート
あの子と じぶんとの境界は まるでないかのように
あの子の落胆に あなたは心を痛める
バレンタインくらい優しい心の持ち主
ユア・マイ・スィートハート
あの子は あなたが思うほど やわじゃない
大丈夫 忘れずに 待っていて
会えなくなっても 大丈夫
彼も 彼女も 彼らの学びのために 毎日を生きている
今すぐに 結果は 出ないけど
時薬(ときぐすり)が 解決してくれる
あなたは あなたの学びのために
毎日を懸命に たのしく 生きればいいよ
-2S.O 21JAN21
*
Your heart is as sweet as my sweetheart
As mellow as marshmallow
As tender as his shoulders
Yet our borders and time
let us live our own day;
the harshest and sweetest gift
of our given life as individuals.
*
欠けている人が、というとパーフェクトな人ばかりいる世の中が前提みたいでどうかと思うのですが、
欠けている人、制度の片隅にいる人、を見ると心は境界を失うようで。心配で、放っておけないけれど、実際できることなんてたかが知れていて、そのことを心に病んじゃったりする。
「時薬」に関する記事を、ちょっと読む機会があって、そこには相手の悲しみに落ち込んでしまう人への処方箋として「相手の悲しみは、本当の意味ではその人しか引き受けられない。でも、時がそれを解決してくれる部分もある。だから、その人が戻ってきたときに、心地よい隣人になれるように、あなたは生きてくしかないんじゃないかな」というようなことが、書かれていて。
不覚にもスタバの隅で五分間涙を流し、終わりに涙を拭いて、控えめに鼻をかみました。
それぞれの毎日を、生きて、手や時間を重ねられるときは、本当に貴重ですね。
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