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「忘れ物女王」とバーバヤガー

 これは、ある忘れ物をしがちな女の子が、そんな日常のふとしたところでつまづきながら無くしてきた自信を一つ一つ拾い上げて自分を受け入れ、心の中に彼女の王国を築いていく物語です。

 それは、失意と再生の物語。枯れかけて水を欲している鉢植えの花も、請うた雨を吸い上げて少しもたげた花弁を上げようとしている野花も、ターシャ・テューダーの庭でこの上なく手入れされ瑞々と茂るガーデンハーブも。この物語から、光合成に必要な要素を少しでも吸い取って欲しい。

 彼女の生きているおとぎ話の世界へ、ようこそ。

白か黒かの思考と、自己完結

 物心ついた頃には、彼女は周囲から浮いていた。目上の人から言われたことを字面通り受け取るから、「授業中は積極的に手を上げる」ものだと信じたし、「テストには全力を尽くす」ものだと覚え、その通りにした。

 彼女の行動は、1か0か、という単位で働いた。「勉強をする」と言ったら、他のことはしない。正確に言うと、「できない」のだ。途中で注意をそらされては、手元のことなど忘れてしまう。頑なに、自分の空間を守った。

 受験の時など、特にそうだった。中学校3年生の彼女に、唯一の兄弟である弟は小学校6年生。まだやんちゃで「姉ちゃん遊ぼう」と部屋のふすまを開けて良く声をかけてくれた。彼女の答えはいつも「うん、後でね」だった。今、遊んだりなんかしたら、わたしのすべきことが終わらない、という強迫観念。

 彼女はこれを今も、後悔している。
 30を過ぎた弟に今話しかけたとしても「うるせぇ、話しかけんな」だ。

 どうして周りの大人は誰も「人のつながりや兄弟のつながりは、勉強よりも大事だ」というメッセージを伝えてくれなかったのだろう?どうして、勉強さえしてれば放っておいたのだろう?

 30も半ばになった彼女は、周りの大人にこう言ってくれれば良かったのに、と思う。

「人とのつながりは大切だよ。そしてそれは、時間を共に過ごしたり、お互いを思い合ったり、それをかたちに表して連絡を取ったりしなくっては薄れてしまうものなんだよ。大切な人を、大切にできる大人になりなさい。」

 そのことが、よく、わからなかったから。
 また、彼女はこのことも教えてほしかった。

「人は時に自分の利益で動いて、あなたの感情や存在をないがしろにするかもしれない。それはとても悲しいことだけれど、彼らも何か悲しみに突き動かされて、そうしているんだよ。思いっきり悲しんだらいい。
 でも、彼らを恨まなくっていい。彼らをその行動に突き動かしたのが何だったのか、そのうち分かるから。彼らがあなたに何をしたのか、にこだわらず、あなたはあなたの幸せを追い求めていいんだよ」

 人とのつながりや関係性を、彼女は上手く紡ぐことができなかった。1対1で大人から「こうしなさい」と言われたことは、素直すぎるぐらいに信じて、14ぐらいまでやっていた。両親も居て母親が専業主婦だったこともあり、中等教育まではそうして「やるべきこと」に集中するのは困難なことではなかった。他の人と何かを共に成し遂げる必要がなかったから。

 つまり、自己完結していたのだ。不得意な、複数の人との関係を重層的に紡ぐ、ということを求められずに、それなりに幸せな学校生活だった。ちょっとの欠乏感と、他人との間の薄い距離のようなものを、漠然と感じながらも。

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思春期のアンニュイと忘れ物傾向

 生理が来て、高校生になって、思春期になってほどなくして、彼女は周期的にメランコリックになった。その得体の知れない憂鬱感に戸惑った。どう対処したら良いのか、分からないで沈んでいると彼女の母親が「元気ないわねー、美味しいもの食べたら元気出るでしょ」と言いながら食べ物を勧めたこともあって、低空飛行期にはチョコレートもろもろの食ホリックになって体重を5キロ一気に増やしたりもした。

 この頃、ジョンレノンのアルバムに深く感じ入ったりするうちに、彼女は兼ねてから身に付けたくてしょうがなかった英語を媒体として、内省する感受性をじわじわと育てていった。それを誰かと分かち合うという概念は一向にして表面的なものに留まった。しかしながら、英語という形骸的にポーズを取る手段として周囲と共有していない意思伝達手段であるからこそ、より抽象的な概念の核心に触れて、それを自分の内面にあるものと対照しているような、ある意味で彼女と抽象概念との蜜月だった。そうして彼女は、内側へと根っこを伸ばした。

 内向性が増すのと同時に顕在化し始めたのが、忘れ物傾向だった。
 彼女の忘れ物は高3の夏、初めて海外へ渡ったその3週間で、花開いた。

 それまで着けていたえんじ色の縁の眼鏡が行きの飛行機で「お隠れになり」、3週間の思い出の詰まったお土産や、好きだった裁縫が高じて作った白のドビー織のブラウスも、切りっぱなしの浅いブルーのジーンズも、帰りの成田空港のどこかに「置き忘れた」。

 救いようがあるのは、花開いたのが忘れ物だけではなかったこと。
 それまで口の端から、一滴一滴こぼれ落ちるようにしか出なかった英語が、渡米10日目のホストシスターの家のベッドに寝転がってまどろんでいた夜に、突如としてビッグバンを起こした。英語で考えている自分に気づき、それからは脳内の英語組み立て工場がこけら落としの儀式を済ませたかのように、正式に稼働するようになったのだ。

 彼女の忘れ物傾向は、もしかして、こうしてやってきたのかもしれない。

【内側を見る目が育ったことで、そちらに注意を払っている間、外の世界への感覚が一部機能をストップするようになった。】

 科学的なところは分からないが、当座このように理解するのが良いのではないかと、彼女は思っている。

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ブドウなりの思考と効率的アウトプット

 大学生活を終えた彼女は、企業でインターン生となった。英語が必要とされる仕事で、それが評価され採用された。自分が高校生の時に行った3週間の国際交流プログラムを組み立て、引率することが仕事だった。想い入れの深いプログラムだったから、彼女はベストを尽くした。その仕事ができることを心から誇りに思った。

 ところが訪問地の諸機関と連絡調整し、エクセル上で旅程を組み立てていく、という仕事がなぜか思ったように行かなかった。とにかく、時間がかかった。彼女の上司にあたる人にアドバイスをもらい、タスクごとに所要時間を書き出し、それを元に一日でできる仕事量を見通すこと、また〆切から逆算して各タスクの何をいつまで仕上げたら良いのかを見積もること、を教わった。見積もってみるが、その通りに行かない。彼女にはなぜなのか、わからない。

 「あなたはブドウなりの思考だね」
 は、彼女の様子を側で観察していた上司の言い得て妙な表現だった。

 恐らく求められていたであろう論理的思考は、トップダウンでいわゆるピラミッド型をしている。てっぺんに結論があり、それを支持するファクトがいくつかその下に並び、それぞれのファクトを支持する具体例がその下にツリー構造で更にいくつか展開する、ように。

 対して「ブドウなりの思考」はどんなものか、彼女なりに考えた。

 そう、彼女は同時にいくつもの可能性を思いつく。トップに君臨したいくつもの可能性から、それぞれにツリー構造を一つ、一つ広げてゆこうとする。それぞれのツリーを端から端へ、一個一個、忠実に着実に組み立てて行くことを得意としている。そのうえで初めて、個々のアイディアの本当の良さが、にじみだすように「わかる」ような気がする。

 しかしながら、目の前の空間と有限な時間という物理的制約は、彼女のそれを待ってくれない。まずは「いくつもの可能性」の各メリット・デメリットを「ざっと」「想定して」みて、一番妥当で、リスクを回避できる選択肢を検討し、それを選択し実行していく必要がある。もっともだ。

 彼女も頭ではそれがどんなに論理的で妥当なことか、概念としては理解できた。でも、そのように自分を機能させることが、どうしても、できなかった。何も意地になって、意図的にそうしなかったのではない。彼女は心からそのプロジェクトを全うしたかったから。考え付く全てのことをやって、そのやり方に慣れようとした。時間が足りないから、睡眠時間も削った。でも、なぜだか、無理だった。

 彼女はまた、言語への強い興味を共有しながらシャカイにちゃんと適応して仕事をしている、歳の近い上司やその時の仲間と、友達になりたかった。ミッションを共有して、仕事を共にやり遂げる友人達、というものが欲しかった。多分彼女の人生で初めて、複数の人と人間関係を紡ぎたいという欲求が芽生えていた。でもそれは叶わなかった。彼女は適応できなかった。

 透明な無感覚の壁に頭をうずもれさせてしまったかのように、彼女の脳は次第に日常の場面でさえ、上手く機能しなくなっていった。

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発達における「欠陥」か、それとも一つの性格としての「個性か」というグレーゾーン

 「わたしに何が欠けているのだろう?」

 と彼女は問うた。自分が至っていたら、紡げたかもしれない人間関係を思った。彼女は手負いの獣のように、隠れた。そして着火剤付きの材木の詰まったマッチの箱の中で、自分に欠けている点は、徹底的に隠さなくてはと怯えた。

 2008年当時、ADHD(注意欠陥多動障害)や、今は診断名とはされていないADD(注意欠陥障害)に関する情報は今に比べると少ない、そうしたマイノリティがいるという社会的認識の黎明期といえた。どうにか手繰り寄せた書籍やサイトに、彼女は自分の直面している困難へのヒントがあるような気がした。

 地域の発達支援センターに行って、検査を受けた。車を持っていなかったし住んでいるのは田舎だったから、ひと区間が何キロもある路線バスを乗り継いで森の中の施設に足を運んだ。

 道すがら、手にはドナ・ウィリアムズの『Everyday Heaven: Journeys Beyond the Stereotypes of Autism』(邦訳:『毎日が天国――自閉症だったわたしへ』を携えて、ゆっくりな路線バスに揺られながら、ゆっくりとページを繰った。

 ドナが自分の内側と外の世界のギャップを大学で学び「知る」ことにより理解し、二つの世界を隔てようとするトラウマや防衛心を必死で克服し、最終的に言葉や芸術を通して両者に橋を架けたこと。そして、この作品においては、他者との親密な関係を紡ごうとしていること――その新鮮な感覚と適格でドナ独自の描写が、彼女の心を打った。

 「いつか、わたしも自分を理解して自分の心と外の世界に橋を架けたい」

 ドナが著作に表した再生と創造の軌跡は、その後も彼女の希望となった。

 発達検査の方は、総合得点で問題がなかったらしく、支援を受ける範疇には入らない、入る余地がない、というような結果だった。何かを掴めるかと期待した彼女は、少し落胆した。楽観的な性格と両親の援助もあって、二次症状の脳の休眠状態はほどなくして回復し、彼女はそのままシャカイジンとなった。

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打てば響く社会人を目指し、張りつめて破ける太鼓

 彼女の困難は、「忘れ物」という不注意だけでなく、新奇性欲求の強さと衝動、によってももたらされたから、シャカイジンはむつかしかった。

 一方で「こうあるべし」には真っ向からそうなるべく取り組むような、真面目で柔軟性のない一面もあったから、「欠陥」を隠して「できるシャカイジン」を目指していた。不器用でも、学校でそうしてきたように、きちんと取り組めばできるはず、という前年の失敗から何もアップデートされていない認識とスタンスで、新生活をスタートした。

 事務職という職種には、上手くできる分野と、やはりツボをどうしても外してしまう忘れ物と会計のデッドゾーンが存在しており、彼女は後者の欠陥を必死に、カバーした。程なくしてそこに妊娠、結婚、母親業、も加わって、彼女は混乱を極めた。それらをどれも思うように回すことのできない自分を責め苛んだ。

 その頃の彼女は、ちょっと突ついたらパン、と音を立てて弾けてしまう程張りつめた太鼓のようだった。和楽器のはずなのに西洋楽器の方法でチューニングしたような、何かちぐはぐな感じを、職場を変えながら10年近く続けたことになる。

 分をわきまえないとは、何と滑稽なことか。一方で、自分を知らないということが、こんなにも自分という人間の精神を空洞のまま生きながら得させてしまえるのか。後に彼女は、歩いてきた道を振り返り、自分のような器用で不器用な人達が、つまづきを最小限に適材適所で咲けるような、百花繚乱な世界を夢見る。


己を知り、人に尋ねながら道なき道を開拓する

 映画『アナと雪の女王』のレット・イット・ゴーが流行ったあたりから、世の中の風潮に、欠落したり人と異なる自分を受容するあり方に価値を置く思想が乗っかるようになった。通奏低音ではどの時代でも流れていたものが、文化や芸術の媒体でメジャーなところに時折、顔を出し、大衆に共有されるようになっていた。

 彼女もその流れに乗るようにして、少しずつ、自分の中の風通しを良くした。これまで自分に突きつけるべくして突きつけてきた「ノー」の数々に、オッケーを、一つずつ、出していった。

 その過程で彼女は、言語教師という夢だった職業に踏み出した。それは一番彼女が恐れを抱いていた選択肢だった。心から本当にやりたいことこそ、そこでの失敗は心に致命的なダメージを与えることを本能で知っているから、人はその、ずっとやりたかったことに恐れを抱くという。彼女は一歩踏み外すような気持ちで、恐る恐る、それを隠すように虚勢を張りながら、踏み出した。

 そこでも彼女は、人並みに授業をこなすという一連のプロセスの中で、小さないくつもの困難を見出した。それは、夢破れるがごとく、小さな苦しみと、またできないのかという自分自身への小さな失望の連続だった。またそれは、授業を共にする相手である生徒達の一定数が抱える困難さに直面することでもあった。 何度も、辞めようという考えが頭をもたげた。

 自分の築いた家庭に対する失望もその時は頂点に達していたから、それを話して聴いてもらえる人を手繰り寄せ、数々の役割はどうあれ自分というものがあることを確認し、自己を回復させては、「現場」に戻った。彼女の公式にいる場所に、彼女は居らなくてはいけなかった。

 底を突いたような失望の中にあって、彼女はその失望の原因が知りたいと改めて希求した。「知る」ことがこの連綿と自身が直面してきた困難を究明する何よりの手がかりになるのではないか。彼女は大学に戻った。発達障害について学んだ。

 するすると、糸がほどけてゆくようだった。
 彼女の集中力を左右する感覚過敏という要素、聴覚的処理に優れ視覚から同時に処理することを不得手としている事実、脳の局所的な機能不全による相貌失認という状態があり得ること、そしてそれらをいかにアセスメントし、長所を活用して短所を補うか、という考え方。

 ――そう、彼女が社会人として試みた、苦手な部分を努力で補おうとするスタンスは本人の首を絞めるだけだというのだ。なぜなら、その「苦手」とする分野は脳の機能が凹んでいるためにできないのだから、いくら伸ばそうと千の努力を重ねて、例え徹夜をして時間を積んだとしても、一しか伸びないかもしれない。反対に、「得意」とする分野は脳の働きが優れている分野だから、十の努力で十二、伸びる可能性を持っている。そしてそれは「苦手」を十分にカバーし得る。本人と、そして周囲が、その両輪の事実を否定せず、受け入れて相応しい努力に力を注ぎ、エールを送ることさえ、できたのなら。

 彼女はそれまでアナ雪などからメッセージを受け取り自身でも信奉してきたはずの「欠点を受け入れること」を、理論で納得して初めて、心から腑に落とすことができた。欠点は躍起になって埋めるべきものではなく凹みとして受け入れ、長所の部分を伸ばしてそこを自分が世の中に奉仕する術とすれば良い。全て、できなくとも良い。できないところは、他のできる誰かに任せておいたらいい。われわれ人間は、そうしてお互いを補完するように、できている。

 そして彼女は、ないがしろにしてきた過去の自分達に、ハグをしに行った。すると、幼い彼女から最近の彼女まで、おざなりに生を無駄に生きた子はいなかったし、その場その場でどの子も一生懸命、やってきたことがわかった。そして、彼女の周りの大人達然り。最良の方法ではなかったかもしれないけれど、彼らなりに最善と考え得る方法で、彼女のことを大事にしてくれていることを、感じた。

 欠落を含んで貴女はより美しい

 手負いで森に隠れた獣は、永遠かと思われる月日をかけて、森を抜け、里の修行をし、その言葉に凝縮する成熟した果実を口にした。みるみる傷は癒え皮膚は厚みを増し、獣は街でもいくらか深呼吸をして生きられるしなやかな強さを感じていた。

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エピローグ~「忘れ物女王」とバーバヤガー~

 「バーバヤガー」というロシアの童話をご存じだろうか。母親を亡くした女の子の家に継母がやってきて、疎ましい娘を追いやるために恐ろしいオニババである自分の姉のところに女の子を使いに出す。オニババの名前は「バーバヤガー」で、意地悪で人も喰う。お使いにやってきた女の子も喰われそうになるが、女の子の血のつながった叔母さんからもらった知恵とグッズ、に優しさという最大の非暴力・不服従なスタンスで、逃げおおせる、というお話。

 バーバヤガーの屋敷を出た女の子を、バーバヤガーは追いかける。バーバヤガーが近づいたのを察知した女の子が、後ろにグッズの一つ、櫛を投げると森になり、手ぬぐいを投げると川になり、彼女の窮地を救う。

 いつしか私は自分の忘れ物癖をこの童話に重ね、忘れ物が発覚し失くしものとして確定した時には、こう思うことにしていた。

「ああまた、バーバヤガーしちゃった。きっとわたしの命の代わりになってくれたんだろう!」

 35年という人生において、途方もない数の忘れ物をしてきた。リスト化したら結構壮観だし、日々のケータイどこだっけ?を含めたら失くしものを探してきた時間はギネス級だと思う。だけれど不思議なことに、このかた、命だけは落とさずに生きている。きっとそれは、数多の忘れ物・失くしもの達が、想像力の豊かさと引き換えに不注意この上ないわたしの肉体に宿る命の代わりになってくれてのことではないだろうか。

 そう信じると有難いし、そう信じないとちょっとやっていられないから、私はそう信じている。

 話は変わるが、ケータイ等の音声認識機能を使って、タイプしたことはあるだろうか。AI(人工知能)の発展が目覚ましく、結構な精度で話し言葉を文字起こししてくれる。フリック入力を練習してはいるが、ガラケーの連打入力に慣れている世代なので、スマホのフラットな画面での文字入力は手ごたえがなくもどかしく感じてしまう。クラムジーなのだ。そのため、音声認識機能を歓迎し、多用している。

 自分の欠落に対する認識も改まり、ありのままを心から享受して楽しめるようになってきた頃に、そんな気持ちを散文に表していて「忘れ物女王」というフレーズを思いついた。忘れ物もここまで極めれば、一王国の主級だ、という、自分の認識のひっくり返りを愉快な皮肉を込めて賛美した表現。

 音声入力タイプしていて、「忘れ物じょおう」のところに来て、Siri が変換をためらった。「じょおう」の箇所を、それ以降に続く文に応じて、「徐行」や「常用」など、画面をチラチラさせながら、迷っている。いつまでも定まらない。「女王」という候補はないようだ。なぜか?

 Siri には、「忘れ物」+「女王」のパターンが入っていないからだ。統計的に、そうした表現はこれまで用いられたことはなかった。だから、Siri が参照するであろう素データから導き出すと「忘れ物女王」という組み合わせは非合理的であり、従って存在しない。

 AI は「忘れ物女王」を合成できない。

 私はこの事実に、感動を覚えた。
 無駄として私をはじめ現代文明がこれまで排除してきたものは、その現代文明の極まったAI というテクノロジーでは代替できない。それは、その象徴だと感じた。忘れ物女王として、これ程嬉しいことがあるだろうか。

 AI が更に発展した今後の社会では、AI ができる仕事は確かに AI が行っていくのだろう。その方がコストも低いし、ヒューマンエラーも少ない。では、人間のできる仕事は、と考えた時に、われわれ忘れ物族、うっかり族、何か集中力と頭脳を局所的に注ぐことに長けた人――といった、発達障害グレーゾーンと呼ばれる人の可能性を考えずにはいられない。

 ただ、一つの尺度で人材の評価をしていくトレンドが未だ健在である中で、こうした特性を持った人が心の傷を抱えその後の成長や活躍の芽が、その潜在性程伸ばされないことが多々あるのが、事実だと思う。

 その辛酸を酸いも甘いも(甘くなかった。げー)舐めてきたわたしとしては、何もそんな辛い酸っぱいを舐めずに、長所を伸ばしそれを社会に還元していけるような仕組みがあれば良いのに、と心から思っている。そして、その一助となりたいと、こうしてものを書いたり、YouTubeで喋ったり、教壇に立ったりしている。

 忘れ物女王の王国は、まだ建国が始まったばかりだ。だけれど、志は豊で全うなので、王国は繁栄していくと信じている。

 自分という媒体が、そして自分と少し似たような後進が、「得意」×「好き」のエネルギーでサービスをし合い、笑って暮らしていられる楽園を夢見て、わたしは今日もこうして息をしていられる幸福を噛みしめる。

31Mar2020
Satomi Scarlett Obata

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