ひらめき脳の対価―ADHDと呼ばれる特性の正体―

いつものように慌てて帰り際に卓上のモノを突っ込んだ大口のトートバックから、帰り際、職場の駐車場へ急ぐ中転げ落ちる一本の赤ペン。

一体、どっから転げ落ちるというのだろう、重力に逆らって――?

とじぶんにツッコミを入れながら、落下したペンを反射的に拾い上げてペンケースに突っ込む。

その動作、約1秒にも満たないその所作を終えて、一度止めた歩みを再開しようという中で、思った。


「あー、ペンケースにペンが入ってないように、私の頭の中も、情報がカテゴリーごとにパッキングされて、ちゃんと口が閉まってないから、情報が取り出しにくいんだろうなー!」

「カテゴリーごとにちゃんと整理して、そこから飛び出なければいいのに!」


人の名前などの必要な情報の検索に人一倍時間のかかる脳(「データ出力」、とコマンドしてから数時間~半日かかる。データが出てくるタイミングが使えなさ過ぎて……(涙)……もう笑うしかない、と腹をくくっている。

ああもう、と、半ば自分にため息をつきながら、自分の能力を全否定しかけたその瞬間、

唐突にひらめいた。

整理されてないから、ひらめくんだ!


既存のカテゴリ、つまり価値観やものごとのとらえ方に当てはめていないから、

情報の行き来が自由で、それゆえに時に突拍子のない、されど時に神がかった直観でものごとを捌くことができる。

「スピーディーに、効率よく」ものごとを捌く、が絶望的にできないことを嘆くことに、私はわたしの人生のあまりにも多くの場面でエネルギーを費やしてきた。

それと同時に、「縦横無尽に情報をつなげ、試行錯誤して時間をかけてでも最適解を探す」という自分の脳の特性に沿った在り方を否定してきた。

…それって、苦しくないか?

…苦しかったよ。

それは、でも、ちょっと一呼吸置くと、「誰かにやらされてきた」あり方だったかというと、必ずしもそうではない、ということに気づく。

自分で、本当の自分が否定されるような環境や人間関係を選んできた。
たぶん、自分でも自分を見るのが怖かった。
アタマで知っている常識とはかけ離れた未知数すぎて。

つまり、一連の【辛酸・スリラー経験】(ラップ調…笑)がわたし自身の選択に他ならなかったことに思い致すと、

それは機が熟すのを待っていた
というか、
それはある意味、

負荷をかけまくってシンドイ部分を人一倍味わおうとしていた


としか言いようがなく、

ドMかっっ!!


…と我ながら突っ込みたくなる(苦笑!)


んだがらね、辛酸はおらぃんとごのさどみちゃんが人いづばいなめだがら、これがらのわらすごには、んっとらぐでたのすぃ人生おぐってほしぃどおもっでんのさ。

らぐえんさつぐっがら、遊びさきてけさぃん~♪


と、郷土の仙台弁にすっかりハマっているさとみさんが、申しておりまする💛💛

バックはその人の頭の中身を表す、と聞いたことがあるけれど、


皆さんのバックは、どんなバックですか?


おらぃのバックはあっぺとっぺだけんど、たまにんっといいもんがはいってっがらねぇえ~~~❤❤

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