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官能短歌写真展『満たされず満たせずそばにいる夜に』

日曜の午后、アトリエY原宿へ。

撮影:福島裕二
監督脚本・短歌・モデル:寺田御子
モデル:繭、高嶋香帆、彩月貴央、野々宮ミカ

寺田御子の詠んだ短歌を汲み取って、福島裕二が写真として再構築したもの。

「官能」ではあるが直接的描写は無く、寺田はニッカツロマンポルノを譬えとして挙げていたが、10分に1回挿入される部分ではなく、それに至るもしくはそこからの10分間を描いたものが殆ど。
一部、直接的描写が挟み込まれるが、それも行為そのものではなく抑制的な描写。

理解するための前提となる知識が不要な、新仮名、口語で詠んだ現代短歌。
読めばわかるが、読んだだけでは分からない部分も当然ある。
理解を助けるのが添えられた写真。
空間と時間、縮まる距離、縮めようとする距離、縮まらない距離。
止まる時間、流れて行く時間。
悪戯、焦燥、煩悶。
描き分けつつ、語り過ぎないのが良い。

彩月貴央、野々宮ミカは当人のみが写るもの。
高嶋香帆は顔を見せない脇役と共に。

寺田御子と繭のものだけ。毛色が異なる。
東京カレンダー的な洒落乙な導入部から、「10分に1回」の端緒まで。

木を森に隠すように、連作短編のひとつであるかのように並べられているが、繭に傅く寺田御子による賛歌であり、相聞歌でもある。

隠すために作られた森は森として味わい深く、隠すポーズは取りつつも隠れていない木は、木として気高い。

写真に寄り添う三十一文字。
見て、読んで、考えて、解釈して、味わって、咀嚼する。
一枚の写真、一首の短歌の前に滞留する時間は当然長くなるのだけれど、それを見越した配置になっていなかったのが瑕と言えば瑕。

読んだ人、写っている人、見に来た人。
写真を前にして語りたくなって当然ではあるのだけれど、そこで視野狭窄を起こして滞留が発生しても、それをコントロールする人が居ない。

内輪で盛り上がりたくなる気分は分からないでもなく、微笑ましくもあった。

当事者性を失ったことで落ち着いて見られる、遠い日の花火のような写真展。

(2022.12.06 記)

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