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ココロテン ~10人のカメラマンが表現する10の短編小説~

10人のカメラマンが、それぞれが選んだ260字の物語を写真や映像で表現します。出演は俳優・モデルとして活動している竹内 心。会場では物語の朗読もお楽しみください。

ステートメント

写真と共に飾られた260文字の文章。
物語としてはヤマもオチも意味も無く、詩としては冗長。
心に響くものが何も無い。
写真も点数ばかり多く、説明的になり過ぎて居る割に説明が稚拙。
盛りこむ事ばかり考えて、刈り込む事を考えない。

会場で流される動画の音声が煩い。
その中でなされる来場者と出展者の会話が喧しい。
「ヘッドフォンで音声を聴け」と主催者の説明が五月蠅い。
「こう見ろ」と言う押し付けが鬱陶しい。

写真と向き合う事を妨げるものしかない。
何から何まで不快で、私には合わない写真展だった。

共に飾られる文章が長く。
写真も無駄に点数ばかり多く。
文章を音としても聴かせるので、拘束時間も長い。
そこに「語りたがる出展者」と「語りたがる来場者」が加わる。

どう見せるかは考えているが、どう見られるかは考えず、その結果どうなるかも、当然考えない。
なので場内は滞留が発生するどころではなく、ぐっちゃぐちゃなのだけれど、主催者側は「賑わっている」と言う認識しかない。

模造紙が何枚か貼られて、賞賛コメントの文字列が踊る。
「ダメだこりゃ」と思った人が「ダメだこりゃ」と書く訳もない。
まぁ駄目どころの騒ぎではないのであるが、駄目だと思った人は、呑み込んで帰って行く。
賞賛コメントで埋め尽くされた模造紙、さぞかし気分も良い事であろう。
ご同慶の至りである。

書く側は写真の力を信じていないし、撮る側も文章の力を信じていない。来場者の「解釈する力」も信じていない。
それぞれがバラバラに存在し、それぞれがバラバラに主張する。
本来的な意味に於ける「殺風景」。
送り手の自慰みたいなものを延々見せられて終わった。

踊る阿呆と見る阿呆の、踊らにゃ損々的お祭り。
それで良い人にとっては天国、通りすがりに巻き込まれたものにとっては地獄でしかない。

私にとっては、地獄のような写真展だった。

(2023.04.22 記)

写真が他の何かの代替物でしかないというか、短編映画や芝居で表現したかったけれど、それが出来ないが為の代償行為として絵物語を作ろうとし、それ以下のものにしかなっていない。

写真を見ろ
文章を読め
朗読を聞け

来場者への注文が多い。
注文が多い割に、作品として展示したものに、来場者が向き合える仕組みになっていない。
表現をすることにのみ関心があり、それがどう受容されるかには関心が無い。
そしてそれに無自覚であり、無自覚であるがゆえに無邪気にはしゃいでいる。
展示物を配置してお仕舞い。 遣りっばなし。

制作意図を声高に語る出展者。
後書きの方が長い小説のような違和感。
来場者との歓談に忙しい出演者。
自ら滞留を作り出す愚。

あまりの駄目さ加減に、途中から何がどう駄目なのかに関心が向いた。
地獄めぐりの観察対象としては非常に興味深い、「写真展的ななにか」であった。

(2023.04.23 追記)

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