死ぬ勇気もないから生きてる

三浦春馬くんが亡くなった。同郷のタレント、しかもまだ30歳ということもあり、そのショックは大きい。悲しい話だが、ご冥福をお祈り申し上げます。


治る見込みのない病気になってしまったり、自分の生活状況自体がひっ迫していたり、将来に悪い影響が大きく出る可能性が否定できない状況で生活していたりするような、

生きているだけで消耗してしまったり、死ななければ解決しない問題に陥っていたりするなら、確かに自分も死を選ぶのかなあ、とは思う。

けど、死にたくなる、ということはあっても、死ぬ覚悟が決まってしまったというのは、普通に生きていればまずない話かもしれない。

だって、実際死ぬのは難しい。「生きてればいいことあるさ!」「ここで負けていられない!」と死ぬ間際に思うということもあるかもしれないけど、そこまでエネルギーのある人は少なそうだ。

多くの場合、死に伴う苦痛を思ったり、自分が死んだときに誰に影響が出るかを考えたりした瞬間、やっぱり死ぬのはリスキーだなって思ったりすると、「やっぱり死ぬのはよそうかな」とか思うもので。

生きていたい理由はないけれど、死にたい理由もないから、仕方なく生きている、みたいな。

とはいえ、その程度の省エネ感覚で生きてたほうが、実際死からは遠ざかる。

生きてればそれなりに楽しいと思うことも、月1回くらいはあるはずで、美味しいものを食べたり、他人とバカみたいな話をしたり、それくらいで「今日を過ごしていて良かった」と思えるなら、「それじゃいまから死のうかな」と思うことは少しでも減るのかな、と思う。


わたしが真面目系クズなので、そこまで頑張って生きていないのも、死なない理由の一つになっているのかも。

適当に生きているくらいがちょうどいいんですよ。


それよりコアラ小嵐の動画見てたら唐揚げ食べたくなってきた。

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