一神教ノリ、共産主義とポリコレ運動の親和性

まず初めに断っておく。私は専門家ではないし、ただの一般人だ。知識も並以下であろう。
その私が感じたこと、人と話していて思ったことをダラダラと連ねるだけの記事になる。


最近小耳に挟んだのは、マルクスがキリスト教徒だったということだ。ならば共産主義思想の形にも多少納得がいく。
というのも、初期のキリスト教世界というのはどうも、キリストが磔刑によって全ての罪を背負いそこから約1000年後に訪れる最後の審判によって世界の民らは善人と悪人に隔てられ、神の国(ざっと言うなれば善い世界)ができあがるという目標の下成り立っていた。らしい。
なるほどなるほど?そう読み解くとマルクスが言い始めた共産主義思想というのは、資本主義社会から社会主義へ移行し最後には(最終形態?である)共産主義社会となり世界は完璧になる。というもの。そもそもざっくりしか知らないし、そこから更にざっくりしか記していないので多少語弊があるかもしれないがそこらは大目に見ていただきたい。

これ完全に一神教ノリでは?

ふと思ったぞ。いや、だいぶ一神教ノリ擦っている気がする。最後の審判のその後の世界の推移が語られようとしないこと、共産主義社会のその次の段階が無い(もしかしたらあるのかもしれないが、大々的に語られていない)のは、キリスト教徒でありキリスト教世界で生きてきたマルクスが考えうることの限界線なのではないか。

ある種の思考停止だと思う。
まぁこの評価については置いておいて。

キリスト教圏の人々というのは、どうにも自分(または自分たち)の正しいと思う方向に突き進むことに長けているのではないか。ただそれは裏を返せば暴走機関車ともなりうるわけで。

それが今日のポリコレ運動にも繋がってきていると、私は思っている。
これについては後述する。

共産主義を掲げる人々を見て、どうにも宗教感を感じ取っていたのは、いくつか要因があって、

・中枢機関の神格化
 →これはキリスト教世界におけるローマ法王的な立ち位置だと私は思っている。始祖が提示した思想を継承していく中で、中央部分となる人物を神格化し崇める。これ完全にキリスト教と同じ道を辿っているのでは?やたらスターリンを崇め像を造ったり肖像画を描かせていたのはそういうこと?

・宗教やそのような他思想の弾圧
 →言うなれば共産主義思想そのものが宗教的であるが故、それの妨げとなる他の思想を排除するのは当然と言えよう。これについても、キリスト教徒による布教と他宗教の弾圧とそっくりである。

・他世界への共産主義思想の強要
 →自分たちの思想が1番であると譲らず、革命を以てして世界を変えようというのは単なる思想の強制だし、キリスト教に於いても布教行為というのは洗脳に近いと私は考える。

まぁ、私からすれば共産主義思想というのは完全なる新興宗教ですね。全然キリスト教の在り方を汲んでしまっているのでなかなかそのノリが抜けていない。


ここからは少し共産主義とポリコレの流れの親和性についてダラダラ記していきたい。

そもそも共産主義国家、とりわけソ連においては男女平等というのが恐らく(根本的なところではわからないが)実現されていたように感じる。第二次世界大戦にて従軍したのは男性だけでなく、女性も戦地へ赴いた。リュドミラ・パブリチェンコがいい例だろう。狙撃兵として戦果を挙げ、教官としても活躍したとかなんとか。西欧諸国は女性は専ら後方支援、とりわけ工場などで武器弾薬の生産にあたっていた状況とは大違いである。

このような背景から共産主義思想は、男女平等を(表面上)謳うポリコレとの親和性が非常に高いと言える。であるからこそ、某政党ではやたら男女平等だとかなんとか言っているのだと私は思う。

共産主義思想を(一応)持っていない(ように見える)アメリカのポリコレ運動に於いても、一神教ノリをダラダラ引き摺っているというのは変わりない。そこはしかたがない。アメリカというのはそもそもキリスト教圏であり、そこから抜け出すのは容易いことではない。日本にポリコレだとか配慮がどうだとか意見してくるのは、「文化的帝国主義」だと誰かが言語化したらしいが、全くもってその通りだと思う。ポリコレを掲げる方々は我らが思想が一番である、と考えているのであろうが、それを強要する態度を曲げないのはこのような背景があるからだ。(それ以外にもあるかもしれないが、ここは一旦これで留めておく。)

一方で、日本の社会大半がそれになかなか染まらないのは、これまた宗教観に因るものだと云えよう。日本人として宗派は何かと問われれば咄嗟に「無宗教なので」と返してしまうのは、我々日本人が本当に無宗教なのではなく(もしかしたらそういう人もいるかもしれないが)、少なくとも古代日本の多神教ノリが"これまた"引き摺られていて、(本当に無理だと思うものを除いて)まぁとりあえず何でも取り入れようという、かなり特殊な事情から来るものであろう。

話が逸れたが、このようにポリコレの方々が己が方向に突っ走っているのは、キリスト教圏特有の一神教ノリ(に加えてキリスト教的流れを辿る共産主義との親和性が高い)が故であると私は考えている。


最後に私にお話をしていただいた方のTwitterURLを貼っつけておく。今回の記事はその方からインスピレーションを受けた部分、若しくは引用させていただいた部分が多い。この場を借りて感謝申し上げます。

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