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人と違うのが当たり前

人と意見が違って当たり前

昨日は終日討論した。

もちろん、ケンカとは違う。意見交換いう意味のいい意味の討論だ。僕は28歳、相手は51歳。意見が食い違って仕方ないくらい年齢が離れている。

そもそも人間が違うんだから意見が違くて当たり前。そこに変な拒絶反応を起こす必要はない。意見が一致するときのほうが稀なケースだ。その点の解釈を誤ると自分自身を苦しめるかもしれない。

日本は特に「右向け右」=「全員同調」みたいな空気が当たり前。それが日本の風習だ。そのような教育を幼少期から受けていれば人と意見が違うことが何よりも変なんだと洗脳される。それがそもそもおかしい。



自分がやりたいこと、自分の意見を言ってみた時に批判される事もあるかもしれないけど、それを聞いたからといって意見を変える必要はない。特に自分がやりたい事は他人に判断を委ねてはいけない。
自分の人生をコントロールさせてはいけない。

討論をどんどんしよう。その意見が自分にとって有益な情報になることも多い。人と意見が違った時、その意見が自分とは違うからと突き放すのではなく、相手の意見も汲んであげること。そして、相手が考えていることを少しでも理解しようとすることで有益な情報交換の時間になる。

ケンカと討論は違う。

その点が理解できていれば討論することは何も億劫なことではなくなる。


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2NE





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