川面のキラキラした記憶

秋の訪れを感じて思い出すのは、仙台の評定河原公園の周辺を歩いたこと。

大学の時にバンド関連で知ってる人(違う大学だし知り合いでもない)の個展を見に、大町西公園駅まで行った。東西線で西の方に行くのは初めてだった。

グーグルマップを頼りにそのアトリエを目指して歩く。その日はとても天気が良く、気持ちのいい秋晴れの日だったと思う。(アトリエの名前も思い出せないしもしかしたら夏の終わりだったのかもしれない。でも私の中でのその日は秋のよく晴れた日になってるからそれでいい)

アトリエに行く途中に、個人でやってる良さげな古本屋を見つけてひやかし。そこで出会ったのが木皿泉の『昨夜のカレー明日のパン』だった。導入を少し読んで気に入って、せっかくだからと買って帰った。
きっとこの古本屋を気に入って、これから先何回か来るだろうと思っていたけれど、この古本屋に行ったのはこの一度きりだった。好きになってきっとまた来る、きっとまたやる、と思うことをそこまでくり返さないのはわたしが飽きっぽいからなのだろうか。きっと違うと思いたい。タイミングの問題だろう。

そこから5分くらい歩いたところにアトリエはあって、個展スペースの仕切られた半分がカフェになっていることに驚いた。
展示されてる作品自体は、何かしら感じたのかもしれないけれど、あまり覚えていない。

そこからどうしようかと思い、とりあえずふらふらすることにした。その時ちょうどポケモンGOがブームだった頃だったので、ポケモンを探しがてら散歩しようと思ったのだ。

そこからあてもなく心が向く方へ歩き始めて、細い道を何本か抜けて、途中よくわからない食堂やクリーニング屋を見つけ、抜けたところに評定河原公園、球場があった。その横にいつも愛子バイパスに乗るために通る前の道から見ていた横に逸れる急勾配の坂道を見つけた。
そこを上ってあがっていけば、いつもの道に戻れるのだけど、球場側の道を行くことにした。その方が面白いと感じたから。

球場側の道を歩いて行くと、広瀬川を渡る細い橋がかかっていた。人と自転車しか通れないその橋が、散策しなければ見つけられなかったであろうその橋が、わたしはいいなあとしみじみ感じたように思う。橋を渡ったその先が確か上に上がる階段になっていて、なんなら自転車むけでもなかった気がする。

そこから上に上って行くと、東北大学の片平キャンパスの辺りに出た。すごいなーなんて思いながら歩いて行くとなんとなく良さげなカフェの気配。少し入りにくかったけれど思い切って足を入れるとそこが「カフェモーツァルトアトリエ」だった。
入って本当によかったと思っているのが、広瀬川をこんなにも臨んでお茶ができるスペースがあるのかと感動したから。広瀬川はいつも高速バスでもうすぐ駅に着く、という時にふと外を見て、太陽に照らされてキラキラした川面を高い橋の上から見るだけのものだと思っていたから、こんなに綺麗に見られるのかと感動した。
お店は思いの外混んでいて驚いたけれど、それでも比較的窓際の席に着くことができた。

そこでさっき連れて帰った『昨日のカレー〜』を読んで不意に泣きそうになったように思う。

わたしの席の前や隣のグループが1回入れ替わって少し経ったくらいの時間でお店を出た。
ここも、きっとまた来ようと思ったが、結局行かずに終わってしまった。

さすがにもう歩くのにも疲れたし、近くにバス停があったから、バスに乗って帰ろうかと思い時刻表を見ると、ちょうどバスが行ってしまった後らしく、20分くらい来ないみたいだった。
待つくらいであれば、と片平キャンパスの横を通って、歩道橋を渡っていつもの道に戻っていった。あそこの道が、いつもよく通るホテル江陽の道に繋がっていることにも驚いた。(このときホテル江陽を意識したのだからやはり秋だったのかもしれない。夏にそこのレストランで顔合わせをした)

そこから歩いていつものあおば通駅まで行って、家に帰った。

わたしの中の秋の思い出は、仙台で過ごした何気ない休日のことだった。

案外、辿っていけば過去の記憶は思い出せるのかもしれない。
わたしにとって仙台で過ごした1年半は、大切な時間だった。呼んでくれた山家氏には感謝している。

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