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「成長」はあとで振り返った時に実感するもの

こんばんは、2nd GYMです。

フィットネスに限らないと思いますが、トレーニングや何か新しいことを始めた人はその時はやっぱりモチベーションが高いじゃないですか。最初の目的は「理想の自分」をイメージしてワクワクして、トレーナーの立場としてもそこはどんどん欲を出して言葉にしてもらうように会話(カウンセリング)していくんですね。でもトレーニングを始めて、回を重ねて続けていくうちに、肉体に負荷をかけることってやっぱり精神的にも負荷があって、次第に当初の志やモチベーションが下がっていきます。

成長は目に見えないもの

実生活の上では、アスリートでもない限りトレーニングの他にもやらなきゃいけないことってたくさんあるので、楽しさもあるけれど優先順位が意識せずとも下がっていってしまいます。それを踏まえて、いかに相手の心理を先読みしてトレーニングを「続ける意味」を伝え続けるかが重要だと思っています。

その時々のトレーニングではもちろんキツくて辛いんだけど、でも新しいことを始めていくには負荷がかかり続けるのは仕方ががなくて、いかに精神的負担なく「生活の一部」として定着させるかが大事だよなと思うんです。

トレーニングの成果として筋肉量や体脂肪などの体組成は、デジタル上の数値でこそ変化はあれど細胞がまるっと入れ替わって本質的には簡単に変わるものではありません。目に見える変化を実感できればいいけれど、実施者の感覚だったり客観的な動作のうまさだったり、数値で表せない成長指標もあるかもしれません。以前に比べて「息が上がりにくい」と感じるケースは意外と多いですが、こういった「成長」はあとで振り返ったときに気が付くものです。

理想の中では例えば「バキバキのビーチボディ」だったり「〇kg減らして体を軽く」「腹筋にうっすら線が入った状態に」だったりするけど、その裏にはもっと根本的に「(目に見える成果が出なくても)運動を続けること」「ジムというサードプレイスで心身を解き放つこと」が実は本人も言葉にすることはなくても潜在的に重要度の高い真の目的・ニーズだったりします。

真のニーズを洞察する

これってトレーニングだけじゃなくて、副業やスキルアップやnoteや新しいことを始めるなら一緒だよなと思います。

2nd GYMとしてこのnoteはブログ代わりとして「心が動いて、思考力のトレーニング」と表向きの目的にしていますが、始めて4か月が経った今「心を動かそうと努力すること」「自分自身と向き合う時間を強制的に作ること」が真の目的に変わってきていると思っています。

こうしてそれなりに意味のあるnoteを書きおろすには時間がかかるけれど、こうした知的な活動時間がいたずらに体力を消耗していくわけではなくて、将来に向けて投資する時間になっていると信じて、この時間はポジティブに自分の知的体力をつけて知的トレーニングと割り切って継続することは、それなりに大事なことだと思っています。

筋力や体力は20代をピークに落ちていくものなので、もうトレーニングは一生していくものじゃないですか。そこにはある意味「諦め」が必要で、私たちはゴールの見えない旅の過程にいるわけです。

ちょっとどこを目指したいのかわからなくなってきましたが、何事も成長はあとで振り返ったときに気付くものだと心得て、「今」に集中してこのnoteも継続していこうと思います。

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