考える女子高生 カント編③ 「現象」と「ものそれ自体」

ときに人はどうしようもなく、頭にこびりついて離れない問いに遭遇することがある。このnoteは、そんな問いに取り憑かれた少女の気難しい青春の物語になるはずである。

前回までのあらすじ
世界の始まりとはなにかという問いから始まった女子高生とおじさんのカント哲学談義。カントは人間が物事を知覚するための条件として「空間」と「時間」をあげ、この2つを感性の形式と呼んだのだった。

「君たちは真に世界を認識できているか?」
陽平は2人の女子高生を前に言った。彼女たちはその問いが意図するところを理解できなかった。
「それってどういう意味かしら?」
真希は言った。
「そうだな、まず手始めにこの林檎について考えてみよう」
と陽平はカウンターの上の林檎を手にとった。
「この林檎は丸いし赤い。さて君たちがその林檎について感じていることは、本当の意味での林檎それ自体を正しく認識できているかという質問だ」
「うーん。さっぱりわからん」
真希は美月を見た。
「つまり、私たちが見ている林檎は、本物の林檎かどうかって話かな。人間は時間と空間という条件の中で林檎を認識しているでしょ?」
「時間と空間がなければ、林檎を見ることも感じることもできないっていうのは、さっき聞いた」
「そう。だから、私たちが見ている林檎は時間と空間という制限の中でのみ感じることのできる林檎ってことになるでしょ」

美月は世界が急によそよそしく感じられた。どうしてこんな単純なことに今まで気づかなかったのだろうか。いや、考えてみたことさえなかった。
「前に感性の形式をテレビの画面みたいなものだって言っただろ。この場合も同じさ。僕たちはテレビの画面に映っている芸能人しか見えない。でも本当はテレビの画面の外にディレクターだったり、カメラマンがいるはずなんだ。僕たちが見てるのは本当の世界のほんの一部に過ぎないんだ。」
陽平は持っていた電子タバコを一服すると、メニュー用の黒板に

現象:僕たちが見ている世界
ものそれ自体:感性の形式(時間と空間)に制限されていない世界

と書いた。
「カントは僕たちが見ている世界のモノやコトを現象と呼んで、ものそれ自体と区別したんだ」
「私が見ているのは、林檎それ自体ではなく、林檎の現象ってことかしらん?」
「うん。そういうことだね」

「ねぇ美月、私たちが見てる世界は本当に存在するのかしら?」
カフェ&バー「アイロニー」を出た真希は美月に訊ねた。外はもう薄暗くなっている。
「どういうこと?」
「ほら、さっき美月の叔父さんが言ってたじゃない。私たちが見ている世界は本当の世界じゃないって。でも本当に世界なんて存在するのかしら? なんだか私は不安になったきた」
「それってつまり、私たちが見ている世界は全部幻想ってこと?」
ビルの階段を降りると、木々の間から夕日が差し込んできた。美月は思わず目を細めた。
「そう。この世界の総ては私の頭の中の幻想って可能性もあるんじゃないかな」
「もし、この世界が真希の頭の中の幻想だとすると、どうして私と真希の間に共通の認識が生まれるの? もし真希の頭の中でこの世界を勝手に想像しているとして、私も私で勝手に想像しているとすると、どうしてそこに共通の認識が存在するの?」
「それは、美月自体も私の幻想だから」
「じゃあ、真希、私のお母さんの誕生日いつだか知っている?」
「知らないけど?」
真希には質問の意図がわからなかった。
「ほら、私はあなたの幻想じゃあないわ。もし、あなたの幻想だったら、どうして真希が知らないことを私が知ることができるの?」
「うーん。どうしかしら」
真希は煙に巻かれたような、モヤモヤとしたものが頭の中に残りつつも頷いた。
でも本当に私たちが存在すると言えるかしら? 美月は自分でそう言っておきながら考え直していた。頭に電極を刺され、現実と言う名の夢を見せられている自分を想像した。
「まあ、私はこの世界は存在すると信じることにする。だってそっちの方が素敵じゃない?」
「確かにそっちの方が愉快かも」
真希はニヤリと笑った。
2人はそれ以降、世界の存在についての会話をするのを止め、2世紀前のドイツの教室から、普通の女子高生の世界へと戻っていった。

つづく

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