考える女子高生 カント編⑥ 純粋悟性概念

ときに人はどうしようもなく、頭にこびりついて離れない問いに遭遇することがある。このnoteは、そんな問いに取り憑かれた少女の気難しい青春の物語になるはずである。

前回までのあらすじ
世界の始まりは?という問いから始まったカント哲学談義。カントは知覚判断と経験判断に人間の認識の仕方を分けた。そして、その違いを作るものを純粋悟性概念と呼んだのだった。

純粋悟性概念?
真希は聞き返した。
「そう、純粋悟性概念だ。まあ、聞き慣れない言葉だよね。とりあえずは、悟性=知性と思ってもらって問題ないよ」
「じゃあ、純粋っていうのは?」
今度は美月が聞いた。
「カントが純粋という言葉を使うときは、注意が必要なんだ。カントが言う純粋とは、経験によらないという意味を含んでいるんだ」
「経験によらないってどういうこと?」
「例えば、君たちは林檎という概念を知っているよね。それは、日常生活でこの赤くて丸い物体が林檎と呼ばれている状況を経験しているからさ。でも、カントの言う純粋悟性概念はそういった経験から得る概念ではないんだ
「経験をせずにどうやってその概念を獲得するのかしら」
「それはとても鋭い質問だ。僕たちはある概念を経験を通さずに自らの内に持つことができるのか。実はこれは、カント自身が『純粋理性批判』を書くきっかけとなった問いでもあるんだ。その1つとしてカントが挙げるのが、原因と結果もしくは因果関係という概念だ」
「因果関係? 原因と結果という概念は経験から学ぶものじゃないってこと?」
美月は目線を斜め上に傾けた。この姿勢が彼女のクエスチョンマークだ。
「じゃあ、逆に聞いてみよう。君たちはどうやって原因という概念そのものを経験するんだい? 何回林檎が地面に落ちるのを見ると原因という概念を獲得できるのかな?」
美月は、首をひねりながら考えてみた。私はいつから原因という概念を使い始めたのだろうか。
「でも、こうは考えられない? 因果関係というのは、ただの呼びかけの問題なの。私たちは時間的に前後した出来事を単に原因と結果というふうに呼んでいるに過ぎないんじゃないかしら」
「それってどういこと?」
真希が口を挟んだ。
「そうね。私たちはモノから手を離したら地面に落ちるという光景を何百回と経験してきたでしょ? それをただ習慣的に、原因と結果と呼ぶことにしたってこと。つまり、そこには本当は因果関係なんてないの。ただ、私たちが見てきた限りは、林檎は地面に落ちているのだから、これからも林檎は落ちるって思い込んでいるだけ」
「じゃあ、次に林檎から手を離したら、落ちる保証はないってことかしら」
「まあ、そういうことになるけどね」
「じゃあ、みっちゃん。目をつぶってごらん」
美月はなんのことかよくわからないまま、目を瞑った。

陽平は美月が目を瞑るのをみると、近くにあった伝票に何やら文字を書いて、真希に渡した。その伝票の裏には次のように書いてあった。

林檎を手から離したら、宙に浮いた

真希にはわけがわからなかった。
「ねえ、お...」
と言いかけた瞬間、陽平は口の前に人差し指を立てて、しーっというポーズをした。
「みっちゃん、目を開けていいよ」
と陽平は言った。
「いったいなんなの」
美月は目を開けると陽平に向かって言った。
「じゃあ、真希ちゃん。今、僕が林檎から手を離したらどうなった?」
「えっそれは......宙に浮いたよ...」
真希は若干、戸惑いながら言った。
「ちょっと、何言っているの真希?」
「いや、だからさっき、僕がさっき林檎から手を離したとき、林檎が宙に浮いたんだよ」
「そんな、嘘言ってなんになるのよもう」
美月は呆れた声を出した。
「でも美月、いまさっき言ったじゃない。次に落ちる保証はないって」
「確かに、そう言ったけど、林檎が宙に浮くなんてありえないわ」
「はっはっは」
陽平は突然笑いだした。美月は怪訝な顔を陽平に向けた。
「一体なんなの?突然笑いだして」
「いや、つまりね、どうしてみっちゃんは林檎が宙に浮いたということが信じられないんだい?」
「それは実際に見てないからよ」
「なるほど、それは一理あるね」
そう言って陽平はカウンターから林檎を1つ取り出した。そして、陽平は林檎を2人の前で持ち上げると手を離した。すると、林檎は下に落ちずに林檎は浮いたのだ。
「どうだい、ほら林檎は宙に浮くだろう?」
陽平はしたり顔で言った。
「おじさん、すごーい」
真希が手を叩いた。
「どう? これで信じる気になった?」
「信じるの何も、どうせ林檎の後ろに割り箸でも刺さっているんでしょ」
美月は冷めたような口調で言った。
「ふふふ。はっはっはー」
「図星かよ」
真希が目を細める。

「まあ、それは置いておいて、でも君たちは今、林檎が宙に浮いていることを知覚しただろう?」
「まあ、確かに林檎が浮いているように見えるね」
美月がうなずく。
「じゃあ、いったい林檎が浮くのと落ちるのは一体なにが違うんだい? 何がそれを分けているのか。それが問題なんだ。さっき、みっちゃんが言ったのように僕たちのすべての概念が経験からしか生まれないとしたら、どのようにしてそれを区別しているのか。それが問題になるんだ。この2つをカントは知覚判断と経験判断と呼んだんだ。そして、今2人が見たのは『林檎を手から離したら、林檎が浮いた』という知覚判断だ。けして、『林檎から手を離したから、林檎が浮いた』という経験判断にはならないわけだ。いったいどうして経験にならないか。その知覚を経験せしめるのをカントは純粋悟性概念と名付けたのさ」
陽平は腕時計から割り箸を抜きながら言った。
「つまり、カントは人は経験から因果関係という概念を学ぶのではない、因果関係という純粋悟性概念が経験を作り出していると主張しているんだ。だからこそ、因果関係が認められない現象を僕たちは経験として受け入れることができないんだ。さっきみっちゃんが林檎が浮いたことを受け入れなかったようにね」

美月はこれまでの話を思い返してみた。カントはまず、世界を物自体と現象に分けた。私たちはけして物自体を感じることはできない。私たちが見るのは現象だけだ。なぜなら、私たちの感性は空間と時間という条件に縛られているからだ。
そして、さらにカントは私たちの判断を2つに分けた。知覚判断と経験判断だ。そして、単なる知覚を経験に昇華させるのが純粋悟性概念だ。つまり私たちは純粋悟性概念によって初めてなにかを経験する。
私たちは、自然のなかに、現象の中に因果関係を発見するのではない、私たち自身の中に見つけるのだ。

つづく



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