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自己肯定感を高めることをゴールにしない、人生もったいない

先日、母と電話をしたときに、「自己肯定感が高い人は社会情勢に対する関心が強い傾向がある」とどこかで聞いたと教えてくれた。私は最近の自分を振り返って「まさしくそうだな」と納得したと同時に、これは見落とされがちだけれど、とても重要なことだと思った。

私はこれまで、自己肯定感が高いとは言い切れなかったけれど、ここ数ヶ月の間で高くなったと自覚している。(この変化の理由についてはまた詳しく書きます。)そして、それによって「自分の思考が及ぶ範囲、関心をもつ範囲が日常的にぐんと広がった」感覚がある。

たとえば、YouTubeやPodcast でライフスタイル系(productivity, self love)ばかり視聴していたのが、その割合が減り今は社会学やファッション業界についてのコンテンツにも触れるようになった。
シャワーを浴びたり電車に乗ったりする際の、浮かんでは消えていく思考の内容が「今日も生産的なことができただろうか…、時間を無駄に使わなかったか…」から「ユニクロはどうして世界的なファストファッションブランドになれたのだろう」といった自分に関係のない、外の事象に向くことが増えた。これらの変化は、意識してそうなったのではなく、冒頭の母の言葉を聞いて「そういえば」と初めて自覚した。

自己肯定感の定義は人それぞれだろうが、私は自分自身や生活に満足し幸せな状態かどうか、と大雑把に理解している。自己肯定感が低いということは、自分に満足できていないから、つい自分の好きではない部分や他人の目が気になって、「なぜ自分はこうなんだろう、もっと○○だったら」と考えがちになる。

こういう思考のほとんどは、自分の中やまわりで起こっている事象にとどまっている。そして、私がそうだったように自己肯定感を上げるにはどうしたらよいか、その方法を教えてくれそうな動画や本を求める。

もちろん、自己肯定感を高める方法を探して実践することは、よりよく生きるうえで、とても大切だ。ただ、それは人生の過程のステップに過ぎず、生涯を通じてそればかり追い求めていては、人生もったいないのではないだろうか。たとえば、書店や図書館に行って自己啓発の本棚ばかり見ていては、それ以外にもたくさんある歴史や哲学、脳科学といった面白い本には出会えないことになる。

私の自己肯定感は、かなり生きやすくなる程度にまで高くなった。そろそろ自分の身体を離れたところの事象に、もっと頭を巡らす段階に来たのだろうなと思う。私は限られた時間とエネルギーを自分のことを考えるだけに使いたくない。現在の社会で起きている事象の背景や社会の仕組み、過去の歴史から今後社会が向かう先まで、まだまだ知りたいことや思考を巡らせたいことが山ほどある。



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