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家族の愛を感じた話。

先週は、都内で今春から働きはじめる仕事の研修があり、4泊5日のホテル滞在でした。滞在費用は出るのでお金の心配はいりませんが「料理できないなぁ。ご飯はどうしようか」と頭を悩ませていました。もちろんコンビニや、近くのレストランで済ますことはできますが、3食×4日間=12食も外食するのは、ちょっと気が引けます。

すると、研修先の近くに住む姉から「研修中は何回かご飯持ってくるよ」と連絡がありました。
「えっ、いいの」
「ずっと外で食べるの嫌でしょ」
「うん、でもできたらでいいよ」
その後も、何食分がいいか、滞在先に電子レンジはあるかなど、聞いてきました。
私と母は「なんでお姉さんがこんなにご飯の心配してくれるんだろうね、ありがたい」と言い合い、何でも「つくる」ことが大好きな姉らしいね、と笑っていました。

そして、研修1日目に駅で落ちあい、渡された紙袋を持って驚きました。思ったよりも随分とずっしりとしています。何が入っているんだろう。覗くと、ミカン、手作りパン、白米、弁当箱2つ、サラダ3つ、手作りクッキー、チョコレート。きれいに容器や箱に詰められていました。

お姉さん、ありがとう

次の日の朝以降、コンビニではなく手作りのご飯を食べることができ、つくづく有り難かったです。たまの外食やコンビニも日頃と違う味を楽しむことができ、好きですが、やっぱり毎日食べるものではないなと感じます。

ちなみに、こう書くのはちょっと恥ずかしいですが、私は姉のことがとても好きです。姉のいいところの一つは、こういった他の人のためにする行動が、決して恩着せがましくない、というところです。姉は小さいころから、好き嫌いや、したいこと/したくないことがはっきりしています。だから、姉が手を貸してくれるときは本心であり、気を遣っているわけではありません。今回の、差し入れも「自分が作りたいから」という気持ちがベースだったようです。

もちろん、外食もおいしい

対して、私は「こういう状況では助けた方がいいかな」と、べき論で考える節があります。以前、母からも同様のことを指摘されました。姉と私、どちらが良い悪いではありませんが、私としては私のようなタイプは相手にも気を遣わせてしまうのではないかと思います。自分に余力があるときに、本心で助ける。ここ最近、心がけるようになりました。

話をもどし…。東京へ向かう際には、父が空港まで来てくれ「なにか美味しいもの食べなさい」とお金を渡してくれました。ちょっと前に私が風邪にかかり、最近会っていなかったため、顔を見たかったのだとは思いますが、ご飯代までくれるとは予想外でした。ポチ袋に入っており、私は「孫とおじいちゃんやん」と心の中で思ってしまいました。

わずか一週間ほどの研修でしたが、はからずも行く先々で家族の愛情を感じることとなりました。全員一緒に住んでいたときは、それぞれが学校や仕事、日々のやるべきことに忙しく、こういった感情を抱くことはあまりなかったように思います。物理的な互いの距離と愛情は、イコールではないようです。あと一か月もすると、オーストラリアに渡る私ですが、何だか安心しました。

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