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心からの「おかえりなさい」

音楽ファンをしていると、時にさまざまな事情で、大好きなミュージシャンが音楽活動を停止することにハラハラし、悲しい気持ちになることがある。

たとえば僕が神様のように崇め奉るブライアン・ウィルソンは、1968年にはコンスタントな音楽活動はできなくなり、スタジオ活動・ライヴ活動が安定するまでに30年を要しました。

小山田圭吾さんが活動停止を発表したときは、いまでも忘れない僕と父で恵比寿のAbysseへ食事に行くタクシーの車中でした。母と弟は沖縄へ旅行に行っていて、残されたふたりで恵比寿に行ったのだけれど、すでに東京五輪開催準備期間で、自宅がある四ツ谷〜神宮前近辺の検問や交通規制はすごいことになっていて。

よほどヤバい表情だったのか、人を励ましたり寄り添う性格がない父が、異様に優しくしてくれて、なんとか素敵なフレンチコースを食べきり帰宅しました。(一生忘れないだろうなっていう日。)

そんないろいろな記憶が断片としてだったり、なにか別のエピソードと合体するようにして、僕の脳内で整理・保存されています。

彼が犯した過ちを僕は一切擁護するつもりはないし、ただ一方で、編集者という肩書きを持つひとりとしては、当時の掲載媒体や担当編集者など、今回の騒動の根因をつくったステークホルダーに強烈な違和感はある。

そんな複雑な思いをいだきつつ、なんだかまるで発禁された音楽を聴くような後ろめたさを背負いながら、過去のコーネリアス諸作品を聴いてきましたし、小山田さんのことについてプライベートな場でも、時に公の場でも発言してきました。

今回の活動復帰に対して、いろいろな意見がSNSやブログで発信され始めるでしょうし、是非などを含めて議論も行われるでしょう。それは、ごく普通で自然な状況で、彼の復帰に強烈な違和感・嫌悪感を抱く方がいるだろうということを僕は一ファンとして無視しないし、誰が・いつ・どうケアすれば前進できるのかと考える貢献をしたい気持ちもあります。

でも、僕は彼の素晴らしい音楽に罪はないと思うし、またその世界に浸るチャンスが見えてきたことが、涙が出そうなほどうれしいです。

一ファンとして大好きな音楽家が帰ってくることに感無量ですし、そしてこれまで彼が貢献し進化させてきた音楽、メディアアート、コラージュ、サンプリング、選曲活動になにか面白い未来可能性が見えてきたワクワクする感覚。

僕がこうして彼の復帰について書くことだけでも、なにか不快な感覚を覚え、ご意見・ご感想を書き込む方もいらっしゃるかもしれません。でも、これは編集者でなく、ごくひとりの音楽ファンのプライベートな情動の記録としてご理解ください。

おかえりなさい、小山田圭吾さん!


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