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ままならない子育て

子育ては修行だ、と思っています。

どんな修行かというと「子どもを親の思いどおりにしようとしない」という修行

親は子どもに期待しますから、よかれと思う方向に誘導したくなるものです。わが子のことは親の自分が一番分かっているからと、つい口を出してしまいます。

親の思惑を手放して、子どもにあれこれしようとしない修行。

実際のところ、子どもは親の思うとおりには決してなりません。自分自身が子どもだったときのことを考えても、そういえます。

子どもは親の分身でもなく、持ち物でもない。親と子どもは別人格。子どもには子どもの人生があり、親として精一杯の応援はするけれども、下手な思惑はもたなくていい。

ぼくは学生の頃からアウトドアのアクティビティが好きで、休みのたびに海や山へでかけていました。いつか子どもとカヌーに乗ったり、ファミリーキャンプする憧れをもっていました。

しかし、娘たちはインドア派で、アウトドアな誘いに乗ってきません。海辺に住んでいるものの、「波こわい」といって子どもたちは海に近づきません。

ぼくの思惑は完全に外れました。子どもと遊ぼうと思って購入したSUPも手放してしまいました。

人は、自分の思いどおりにならないことがあると、イライラしたり、悩みます。

思いどおりにしようとしたけれど思いどおりにならない。それでもなんとか思いどおりにしようとして、やはり思いどおりにならない。そうしたときに人はストレスを感じます。

子育てのストレスは、親が思いどおりに子どもを育てようと思ったところから始まります。親子喧嘩は、思いどおりにしたい親と、思いどおりにされたくない子どもとの衝突です。

子育てで悩まない究極の方法が二つあります。

子どもは親の思いどおりにならないと悟ること。
もう一つは、「思い」そのものをもたないこと。

「この子が育ちたいように育ってくれたらいい」と心の底から思うことができたら、子育てのストレスや悩みはなくなるでしょう。

ぼくは自分の子育てで、この修行を意識してきました。おかげで、いまは子どものことで悩みがあまりありません。

実は、上述の考え方は小林正観さんの受け売りでした。以下、『楽しい子育て孫育て』より引用です。

子育ては、けっして難しいことではありません。子育ての本質は「育てない」こと。本当の子育てとは、子育てをしないことらしいのです。子育てをしないと言っても、必要な愛情をかけないとか、養育をしないといった育児放棄(ネグレクト)のことではありません。私の言う「子育てをしない」というのは、子どもを育てていくに際して「この子を自分の思いどおりにしよう」としないことを言います。

小林正観さんの著書を読み込み、講演会に何度も足を運び、正観さんから沢山のことを学びました。一番学んだのは、だじゃれです。・・講演の8割はだじゃれでしたので。

江原啓之さん『スピリチュアル・ブック』に似た話しがでています。要約すると次になります。

人が鍛えられるには3つのきっかけがあります。
1つは上司になること。
2つ目が社長になること、独立すること。
3つ目が親になること。
そのココロは、ままならないこと
上司だったら部下、社長なら社員、親は子どもといった、
自分の思いどおりにならない相手と向き合うことで、
人は磨かれ、成長します。

上の3つをひととおり経験し、本当にそうだなと実感します。なかでも、親になったことで最も磨かれたと感じます。

そして、ままならないという点では、現在のウィルス感染はまさに思いどおりにならない状態。

ウィルスを制御しようと各方面で必死な取り組みがなされていますが、上手くいきません。ストレスが非常に高い状況です。

感染症の専門家ではない人々にとって、ウィルスは完全にアンダーコントロールの世界。唯一すべきは、感染しない/させないためにステイホームに努めること。

先日、わが家のベランダにテントを久しぶりに張ってみました。とくに思惑はなかったのですが、娘たちが思いのほか喜びました。

テントのなかにiPadをもちこんでYouTubeみながら過ごしており、インドア派なのは変わりなし。

感染対策の出口の見通しが立たないなかで、何とかせねば!というところですが、かといって思いどおりにできる状況ではありません。

なので、ぼくは「思い」を手放す修行に再び入りました。テレビのニュースやSNSはほとんど見なくなり、論評もしません。おかげでストレス度は低いです。

最後に、クイズ。
Q.パパにとって世界で一番ままならない人は、誰でしょう?

ままならない人。それは、ママ。

ままならないママと向き合うことで、パパは成長します。きっと。

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