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8.30 冒険家の日・ハッピーサンシャインデー

冒険家のポートレートが僕の部屋にある。いつからあるかは分からないが、気づいたら学校指定の地図帳の中に入っていた。
うんと笑っているから、真面目な顔がどんな感じなのかは分からない。
喧騒が聞こえてくるようなポートレートだ。写真から浮かび上がる、耳鳴りのような船上の喧騒だ。冒険家の背景には、光を浴びた海が見える。右上には船の帆の端っこも写っているから、この冒険家はきっと船で世界を回っていたんだろう。
「ん?これは、何だろう」
願望がそう見せるのか、船の床には蓋の開いた宝箱みたいなものがあって、宝石のようなものが詰まっているように見えた。いや、それじゃ海賊になってしまうな、と思い直す。きっと船に使う工具が何かだろう。
花の蜜を吸いながら、まだ日の高い窓際で写真を眺める至福の時だ。このために学校の帰りにツツジの花をたくさん摘んできた。この写真も、もう何百回と見ている。
じっと見つめるほどに、何度でも発見がある不思議。この満面の笑みが、世の中の面白くないものなんて全て捨ててしまえよと誘っているようで、その大らかさに僕自身が惚れているような気にすらなる。
まるで恋心のようだ。男が惚れる男こそ、本物の男だとどこかで誰かが言っていた。だから、ここに写る冒険家は、本物の男だ。
瑠璃色の花が、風に揺れて咲いている。僕の窓から見える景色は、野原と崖と大海原だ。
木で出来た大きな船に乗って、僕は荒波の上を臆することなく進む。波しぶきと太陽の光をこれでもかと浴びて、遠くを睨んで顔中で笑う。空想の世界では、僕はいつでも冒険家だった。
皆が見たこともない植物や、食べ物や、動物やお宝を発見する。世界の不思議を探しにいく旅だ。たまに怪我をすることがあるけれど、それすらも勲章になって男をあげるのだ。
何度も思い浮かべた冒険の空想の中で、段々と僕とポートレートの冒険家の輪郭が重なっていく。
雷雨すらも楽しむ強靭な心を持ち、体は鋼のように丈夫だ。そして、いつでも世界には幸せが満ちている。冒険家の僕は幸せの選択肢しか選ばないからだ。
「でも、僕はいつだって安心のための不安を選んでいる。いまは安穏と暮らしながら、冒険の夢を見ている」
きっと、僕はこの土地から出ないのだろうと思っていた。
類は友を呼ぶという。僕の友達は大人しくて安定を好む性質だ。でも、類は友を呼ぶのなら、皆こんな冒険願望を持っているかもしれない。
いつか、いつかと思っていても、そのいつかが訪れることはない。
つまりは、そういう事だ。と頷いてポートレートを掲げる。
もう、誤魔化すことはできなくなっていた。実現しようと思うと、怖くて怖くて仕方がないのだけれど。
笑顔がまた深くなった気がした。ポートレートの冒険家は確かに僕に笑いかけている。
『がんばれよ、笑ってりゃ案外なんとかなるものさ』
大海原に向かって仁王立ちをする。窓から強い風が吹いて、潮の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。脚が震えているのは、心の震えが移ったからだ。そう自分に言い聞かせ、遠くを睨みつけるように見つめる。
出来る限りの笑みを浮かべて、強くこぶしを握りしめ、こうして僕は冒険家になった。冒険家のポートレートにもらった、彼にそっくりな満面の笑みをお守りにして、僕は幸せな旅に出る。

830・冒険家の日、ハッピーサンシャインデー
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