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12.5 バミューダトライングルの日

デルタが消えた。
それは、ベータから来た一本の電話によって突然知らされたことだった。
「消えたって何?それは、いるはずの場所からいなくなったのか、存在が消失したのか、それともデルタがいたことすら消えたのか?」
回りくどい言い方に聞こえるかもしれないが、アルファはいつもこのような話し方をする。
そして、ベータはいつだって急を要したふりをしていたずら電話をかけてくることが常だった。
「ちょっと待ってくれ。こっちはひどい嵐なんだよ。あぁ、下着まで濡れてる。アルファ、落ち着いて。僕だって混乱してるんだから、シンプルに話してくれないか」
電話の向こうから強い雨風が窓や扉に当たる音がかすかに聞こえてくる。
アルファは受話器を落とさぬよう肩口に挟んで出窓のシャッターを開けた。静かな夜闇に目を凝らすと、檸檬色のクラッシュジェリーを砕き散らばらせたような星がまたたいている。
「嵐って何。それはベータの心理的な現象を示しているのか、それとも天候のことを言っているのか。でも雨なんか降っていないし降る気配もないけれど」
雨風の音のからくりはなんだろうかと考える。アルファの家からベータの家までは歩いて三十分もかからない。
あちら側だけ嵐などということは信じがたい。
「何を言ってるんだ?ちょっと聞き取れない。電波が悪いな、アルファ?」
ザラザラとした砂嵐が通話に混じった。砂嵐も嵐といえば嵐である。
「砂嵐も嵐といえば嵐だけど、ベータが言ってる嵐って結局何のことなの」
今度は聞き取れたのか、ベータに緊迫した声で叱られた。
「嵐の話はもういい。分かってるくせに訊くなよ。それよりデルタのことだ」
アルファとベータとデルタは、幼少期からの付き合いであり、もう二十年近くに渡って一日平均八時間ほどの時を共に過ごしてきた。
なぜこの三人がこれだけ多くの時を共に過ごしてきたのかと言えば、この三人にはそれ以外に話が通じる相手がおらず、仲間に入ろうとした者はいつでも消えてしまったからだ。
話が通じない点については、特段言語が違うわけでもないのにどういうわけかうまく会話が成り立たない。意図したのと違う内容で相手に受け取られてしまうことがほとんどだった。
それについては諦めて受け流すことでなんとか日常生活を送っていたが、問題なのは仲間に入ろうとした者がいつでも消えてしまう点である。
それは転校であったり、存在自体がはじめから無かったかのように消えてしまったり、突然の死という形であったりと様々だった。
共通するのは、どんな理由であれ三人の前から必ず消えるということだ。
一番奇妙な消え方は存在の消失で、ひどいときには親や家ごと街から消えてしまうこともある。
それを覚えているのはアルファ、ベータ、ガンマの三人だけで、いつからか三人は自分たちのことをハミル街のバミューダトライアングルと呼ぶようになった。
ケースが重なり事実に気づいた時は恐れでしかなかった感情も、二十年経つうちに徐々に慣れて他の者を入れぬように細心の注意を払う余裕が出来た。
そして、どうしようもない時は消してしまうということも覚えた。
顔の造作の良いデルタに変質者まがいに付きまとった女はアルファとベータが近づいてわざと消した。
女が消えた時にデルタは少し泣いたが、次の日にはもう気にしていないような顔でホイップまみれのパンケーキを食べていた。
要するに、慣れたのである。
「デルタが消えたって?買い物にでも行ってるんだろう」
初冬の夜風が冷たくて、アルファはシャッターを閉めた。
「今の音、雷か?やっぱりこの嵐は長引きそうだな。こんな嵐の夜にデルタはわざわざ買い物に行かない。なぜなら僕にその役目を押しつけるからだ」
ベータのため息から焦りがにじみでている。ようやくアルファもふざけている場合ではないのかもしれないと気づき始めた。
通話回線の砂嵐を起こす術は無いはずだ。
「じゃあ、今はデルタの家か。どこかに隠れて脅かそうとしてるんじゃないのか。いや、面倒くさがりのデルタがわざわざそんなことをするわけはないな。ベータはなぜデルタが消えたと思うの。近づいてきた奴らなら分かるけど、僕ら三人の誰かが消えるなんておかしいよ」
デルタの名前を出すたびに、電話口の砂嵐がひどくなっている。
あまりの量に耳から砂がこぼれ落ちそうだ。
「アルファ、落ち着いて聞いてくれ。デルタは俺の前で突然…衣服だけ…砂の…」
「もしもし?ベータ?よく聞こえない」
そして、通話は突然切れた。
「…衣服だけ?砂?何が起こってるんだ?」
慌ててリダイヤルを押すと、音声案内の女性の声で「この番号は現在使われておりません」と繰り返し伝えられた。
アルファは呆然と立ち尽くし、自動で音声が切れるまでその音を聞き続けた。
デルタの家はベータの家よりも近い。アルファの家には、嵐は来ていない。
変質者の女を消した時のデルタの静かな泣き顔が、頭の中で何度もフラッシュバックした。
「一体、何が起こってる?」
緊張と静寂を切り裂くように、けたたましいブザーの音がした。
アルファはよろめく足のままで玄関に向かった。鍵はかけていない。いつも、不用心だとベータに注意されている。
「はい」
玄関のなかから声をかける。
無遠慮に扉が開かれ、冗談のつもりでつけたクリスマスリースの鈴がリンリンと鳴った。
「こんばんは、アルファ」
そこに立っているのは、いつも通り見慣れた紺色のダッフルコートに身を包んだデルタだった。
「デルタ!良かった。うちに来ようとしてたのか」
デルタを招き入れ、身体に異変がないか確かめる。頬に触ると、暖かな質感がアルファを安堵させた。
「ねえ、アルファ。ベータを知らない?きょうは家に居るって言ってたのにさっき行ったけどいなかったんだ」
デルタは少し青ざめた顔で不安そうにアルファを見上げた。
「ベータは、デルタの家に行って…そういえば傘もないみたいだけど、デルタ、濡れなかったのか?」
アルファは自分の顔が引きつっていくのが分かった。そして、この答えは聞いてはいけないような気がした。頭の中で警報のように、喧しい鐘が響きわたる。
「雨なんて降ってなかったけど?晴天で、なんならオリオンも良く見えるよ」
アルファは、目の前が真っ暗になった。
失われたのは、デルタではなくベータなのかもしれない。
デルタが呼びかける声も遠くに聞こえて、頭に綿が詰まっているみたいに思考が白濁した。
アルファは、自分の指先から透明になっていくような錯覚に陥ったが、それを確かめる前に意識を手放してしまった。
三角点の一点が消えたら、その世界はどうなってしまうのだろう。

12.5 バミューダトライングルの日
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