見出し画像

12.19 日本人初飛行の日

芋虫は空を飛ばない。
輪島は花屋で買った仏花に紛れ込んでいた芋虫を見て、直感的にそう思った。
そして、次の瞬間にはそれを口にしていた。
「芋虫は空を飛ばない」
隣で墓の掃除をしていた母親が、痛むのか腰を拳で叩きながら立ち上がって輪島を見上げた。
「当たり前だろう」
母親はそう言ってむっつりと口をへの字に曲げた。
どうしてだろう、と思った次の瞬間にはそれも口から出ていた。輪島はそういう男だ。
「どうしてだろう」
母親は呆れたように眉をひそめたあと、輪島に仏花を二つにばらすように言いつけた。
「四十越えた男が何言ってんだい。芋虫には羽根もないのに飛べるわけないだろう」
輪島が根元の輪ゴムを外すのに手間取っているのを見かねて、母親が根元をハサミで切り落とした。
輪島は芋虫が落ちないようにそっと仏花を二つに分けた。
「人間も空を飛ばない」
母親は芋虫に気づくこともなく、輪島から受け取った仏花を乱暴ともいえる手つきで墓の両脇にある竹筒に挿しこんだ。
そしてそのまま目をつぶって両手を合わせたので、輪島もそれに倣った。
「人間は金属の塊に乗って空を飛ぶのさ」
母親はやれやれ、とつぶやいて一つ伸びをした。
それを合図に輪島も目を開けて、芋虫がちゃんと葉の上にいるのを確認してそっとうなずいた。
「それは、人が飛んでいるわけじゃないよね。人にも羽根がない」
輪島が首をかしげると、母親は盛大なため息を吐いてからにやりと笑った。
「あんたはほんとに面白い子だよ。養子にして良かったわ。ま、続きは喫茶店でやろう。身体が冷えちまった」
母親が歩き出したので、輪島も空の水桶を持って後に続いた。
そして輪島は、霊園を出る手前でもう一度だけ産みの親たちの墓を振り返った。
「人は空を飛ばないが。魂は飛べるのだろうか」
前を向き直ると、足が悪いはずの母親がもうだいぶ先を歩いていた。
早足で追いかけるうち、芋虫は蝶になれば空を飛べることを思い出した。
そして、それに気づいてしまったせいで、それからというものこの寒さの中であいつは蝶になれるのだろうかと気がかりでならなくなった。
「我々はいずれ、空を飛べるだろうか」
思考をかき消すように強い風が吹いて、輪島は黒いコートの襟を搔き合せた。

12.19 日本人初飛行の日
#小説 #日本人初飛行の日 #JAM365 #日めくりノベル

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?