見出し画像

1.23 電子メールの日・ワンツースリーの日

彼と出会ったのはまったくの偶然であった。
私は家に引きこもり、ネットの世界が私の窓の代わりになっていた。
色んなところでアドレスを登録したからであろう。迷惑メールもよく届く。

「あーあ、うっざ」

自動変換機能で作ったであろうメールは最悪だ。
ほとんど意味が分からず、お嬢様があなたにお金を託したいだとか、宇宙ビジネスを実現するために投資をしませんかだとか、出元が怪しすぎる話ばかりなのだ。
最初に彼から届いたメールも自動変換機能で作られたへたくそな迷惑メールだと思った。
《この世界は本物ではない。僕と一緒に本当の世界に行ってみませんか?☆》
私はそのメールをすぐさまゴミ箱に捨ててそのままにしていた。
いつもなら直後にゴミ箱の中を空にするのに、そのときは何故かその作業を忘れていたのだ。
数日後にネット販売の会社から来た通知メールを間違えてゴミ箱に捨ててしまい、拾い出そうとクリックをすると手違いで『僕』からのメールが開かれてしまった。
開封通知がついていたら面倒だと思いながら、開いてしまったので仕方がないとそれを眺めてみた。
こんなことでもなければ私は『僕』と出会うことはなかっただろう。
冷めた珈琲を飲みながらうつろなまなざしで文章をチェックしていったところ、恐ろしいことにそこには私の本名もしっかりと書き込まれていた。
《初めまして、僕です。メールを開いてくれてうれしいな。僕は君と友達になりたい。SNSで拡散している言葉を読んで、僕と君は考え方が似ているし、いつか会うことになるだろうなあと直感しました。なので、驚かれるかもしれないしすぐゴミ箱に捨てられてしまうかもしれないと思いながらメールしました。近藤みゆきさん。良ければ僕と友達になってください。僕は都内に住む高校二年生です。しばらく学校には行っていませんが笑。でも最近ネットの世界にも飽きてきました。近藤さんもそうではないですか?一緒に本当の世界を探しませんか? 僕より》
私がネット上にばらまいている言葉なんて、人を不快にさせるようなものばかりだと理解している。私は学校に行けない抑鬱感やいらだちを発散するためにタイピングをしているようなものなのだ。
母には当たりたくない。それでも止められない怒りをどこかにぶつけなければ生きていけない。
これは質の悪いいたずらだと思った。きっと、昔のクラスメイトか何かが犯人に違いない。
私は『僕』からのメールは無視してゴミ箱に捨て、今度こそ中身をきっちり空にした。

しかし、そこから何日経っても『僕』からの電子メールは続いた。
《昨日の呟き最高でした》とか《僕もそんな風に言ってみたいけど、炎上が怖いから》とか《部屋のなかの風景はなにも変わらなくて、僕はここに生きているのかどうか分からなくなっています。近藤さんはどうですか?》など、まるで一方的な手紙のようだった。

ある日届いた一通のメールで、私は『僕』の人物に当たりをつけることになる。
《中学校というやつは、どうしてあんなに閉息的なんでしょうね。思春期が怖い。そこをうまくくぐりぬけられた人たちだけが、健康に大人になっていくのでしょう。言いようのない怒りや悲しみをぶつけたら、人の上履きを泥まみれにしたら、それで何かがすっきりするのでしょうかね》
泥まみれの上履き。それは、まだ不登校気味だった中学時代にいつかどこかで見たことのある風景のように思えた。
「誰だ。誰だ?この人のことを知っている…」
顔のない誰かが、クラスの後ろの方の席でうつむいている。足下は上履きではなく来客用のスリッパだ。上履きは今頃泥だらけ。誰だ。誰だ。誰だ?
顔も名前も思い出せないけれど、そいつが悪くないことだけは私が知っている。
そいつが『僕』だとしたら、『僕』はいつもたまにしか学校に行かない私に毎回変わらず「おはよう」と言ってくれた人物だ。
この人には私が見えている。私は挨拶を返せなかったけれど、そう思って学校の中で生きていくことができたことが鮮明に蘇った。
風に揺れるカーテン。落書きだらけの机。学ランを着た、おはよう男子。
「誰だっけ…?」
悲しいほどに記憶が消えている。でも、卒業アルバムなんてもう開きたくはない。
気づくと私は画面上の返信ボタンを押していた。
《僕さん、初めまして。いいえ、初めましてではないはず。私はあなたを知っている。そうでしょう?あなたは私の中学のクラスメイト。名前を教えて》
送信は一瞬だった。
部屋のなかに閉じこもった私から、同じように部屋に閉じこもっているであろう『僕』に送られたメール。瞬きひとつの間に二人をつなぐ回線。
返事はすぐに来た。私は一つ深呼吸をして、その手紙マークを開く。
《近藤さん。お返事ありがとうございます。名前を言っても、きっと分からないと思う。僕は目立たない生徒だったから。近藤さんは、いつまでそこに居ますか?僕は、もう別の世界が見たいんだ。でも、一人じゃ怖い。良かったら、一度だけでも外で会いませんか。ワンツースリーで飛び出したら、世界が変わる気がするのです。僕のことを見ても、がっかりしないでほしいですが。わがままは承知ですが、近藤さんと会って話しがしてみたいです》
最後には泣き顔の顔文字がついていた。顔が思い出せない『僕』の顔は、私のなかでその顔文字に置き換えられた。
「ワンツースリーで飛び出せば?」
久しぶりに部屋のカーテンを開けてみる。眩しさに目を細めながら見た外はすっかり春のようだった。
実体のある世界。私を傷つけもする世界。
「ワンツースリーで」
私はすぐにパソコンの前に戻って『僕』への返事を書き始めた。
何かを始めることの言い訳に、ちょうど春は使えそうだと思ったのだ。

1.23 電子メールの日、ワンツースリーの日
#小説 #電子メールの日 #ワンツースリーの日 #JAM365 #日めくりノベル

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?