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8.12

青く染まった窓枠から、生温い風が吹き込んできた。教室に残っているのは私一人。いつの間にか日が落ちるのも少しずつ早くなってきたが、わざわざ電気を点けにいくのも面倒だ。
腕枕をして机に突っ伏したら、補修のプリントが汗ばんだ肌に張り付いて気持ちが悪い。解答欄はもうしばらく先に進んでいない。仕方がないじゃないか。私のいた学校では、ここまで学習が進んでいなかった。
瞼を閉じても、慣れない都会の暑さのなかでは生まれ故郷の姿を思い出せない。ため息と共に唸り声が漏れる。夕方になっても気温が下がらないなんて、異常気象としか思えない。
「ばかやろぉ」
気怠く開いた視線の先には、ビル群による稜線と夕暮れの空だけが映る。雲の色が茜色に光って、その奥は紺の空が近づいてきていた。
開け放した窓の外から、カンカンカンカンと踏み切りの降りる音が聞こえる。たくさんの人を乗せた箱が、線路の上を行ったり来たりする光景を想像して、この土地は何かの工場みたいだな、と冷めた感想を持った。
「無感動の、無感情の、退屈な、ばかやろぉの工場」
どこかの古いミヤコみたいに、均一に区切られた教室の座席のなかで、私の席の周りだけわずかに距離がある。
それは大人たちにバレないくらいの、それでも本人たちにははっきりとした意思を持つ数センチだ。田舎者の、田舎弁の、学期の途中に降って湧いた私を、仲間に入れまいとする数センチ。
もう一度目をつぶって「ばかやろぉ」と呟いた。
空に一粒の星が光って、ようやく私は故郷の山並みを思い出すことが出来たのだが、冷えることのない夕方の風に乗って流れてきた無粋な踏み切りの音に、帰郷の夢を閉ざされてしまった。

812・ハイジの日
#小説 #ハイジの日 #JAM365

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