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11.19 緑のおばさんの日

そのおばさんに会ったのは、通学路の途中だった。
中学校へ向かう道すがら、私は道草を食っていた。
そもそも、家を出た時点でホームルームは終わっている時間だった。
私は中学校が嫌いだ。
中学校が、というより、有象無象が一緒くたに集められた空間が嫌いだ。
好きな人も嫌いな人も選ぶことが出来ないのに、ランダムに部屋に入れられ番号を割られ、そこに毎日通って仲良くなれというのだから苦痛で仕方がない。
出来ることなら好きも嫌いも自分で選びたい。
私にはほとんど好きな人がいない。
この日も私は、出来るだけクラスの空気を吸わなくていいようにゆっくりと歩いていた。
母は毎日学校に顔を出していればあとは文句を言わないような人だったので、私としても気が楽だった。

「ちょっと、あなた。学校もう始まってるんじゃない?」
突然後ろから声をかけられて飛び上がる。さぼっている時に大人に声をかけられるのははじめてだった。
大抵の大人は面倒に巻き込まれないよう見て見ぬふりをしてくれる。
私が無視をして少し早歩きをすると、その人は私が背負っていた通学カバンを強く掴んだ。
「聞いてるの?あなたに話しかけてるのよ」
やっかいなのに捕まったと思った。
恐る恐る振り返ると、私はそこにあった顔を見るなり恐怖に息をのんだ。
鬼のような形相で立っているのは、ゴム人形の深緑色のおばさんだった。
おばさんは肌だけでなく、髪も、服も、目玉も買い物カゴも全てが深緑のゴム製にしか見えない。
おばさんは自分がゴム製であることを忘れたかのように、当然のごとく私に説教を始めた。
「あなた、不良には見えないけど、不登校?こんなところで何してるの」
おばさんがしゃべると、ゴムに刻まれたシワが引きつったように伸びて気持ち悪い。
必死で腕を振り払おうとするが、おばさんの力は人間のものと思えないほどに強く弾力がある。
「誰か、誰か助けて」
私はこの時、本当に怖い時は大きな声なんて出ないのだと知った。
住宅街の真ん中でも、これでは誰も家から出てきてくれないのは明らかだった。
「何を言ってるの。ちゃんとこれから学校に行くの?」
涙を流しながら私が頭をちぎれるほどに縦に振ると、おばさんは深緑の目で疑わしげに私のことを見た後で、ようやく腕を離した。
「それならいいわ。気をつけて行きなさい」
私はおばさんから逃げるために震える足を鼓舞して、何度もつまずきそうになりながら駆け出した。

「その代わり、嘘をついたらあなたも緑になるからね」
その呟きは、必死で走る私の耳には入ってこないはずだったのに、なぜか溶けたゴムのようにべったりと耳にこびりついて離れなかった。

汗だくで息を切らして学校に駆け込んだ私を見て、通りかかった教頭先生 は感激したようだった。
「おお、寝坊か?遅刻は駄目だが、そんなに必死で走ってくるなんて感心だな」
私は上履きに履き替えると、曖昧な笑みを浮かべて教頭先生とすれ違った。まだ体の芯はガクガクと震えている。息が浅く、犬のようだ。
「おい、ちょっと」
教頭先生が私を呼び止めた。
「大丈夫です、ちょっと、走ったので」
「いや、そうじゃなくて、君のカバンの取っ手に溶けたゴムみたいなのがついてるぞ」
私は血の気が引いていくのが自分で分かった。きっともう、くちびるも真っ青だろう。
「何色に、見えますか?」
「深緑の…ん?よく見ると脇に手形みたいなやつもついてるぞ。火遊びでもしたのか?」
ここまで聞いて、私は唐突に意識を失った。まるで受け入れられる現実のキャパシティを超えて、脳がそれ以上の情報を拒絶したかのように。

全てが夢であればいいと思ったが、目が覚めた保健室のベッドを降りてカーテンを開けると、そこには全身緑色の保健室の先生が穏やかに微笑みながらこっちを見ていた。

11.19 緑のおばさんの日
#小説 #緑のおばさんの日 #JAM365 #日めくりノベル

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