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人と人との間のこと

【ネタばれ】万引き家族

とてもいい映画だったので見る気が無かった人も映画を見てから読んでもらえると嬉しいです。



優しくされなかった人は人に優しくできない。

…なんてことはなくて、きっと自分がそうされたいと願ったことがあれば人に対してそう振る舞うことができるのだろうと思う。


助けたかったのは目の前にいる相手ではなく、過去の自分なのかもしれない。


それが歪んだものだと誰かに後ろ指をさされても、それで救われる人もいる。


万引き家族に登場する家族はそんなある意味ではいびつなバランスの中で生きている。生きていた。

そのいびつで奇跡のようなバランスの中で成り立っていたものは少しのほころびですべてほどけてバラバラになってしまう。

"自分で選んだ家族は強いんじゃないの。
絆っていうやつが。"


家族みんなが自然に縁側に集まって全然見えない花火をみたことやみんなで海に行ってあそんだこと、それは家族のかたちそのものだった。





おさむは翔太と血の繋がったとうちゃんじゃないけど家出したときに行く場所の検討がついたり妹に対してお兄ちゃんのあり方を教えたり、海でじゃれあいながら2人で話す男同士の会話は父と息子のそれでしかなかった。

幼い頃呼ばれた名前をつけることでいつかの自分を救おうとしていたのかもしれない。でもそんなことはただのきっかけであってたいして重要なことではない。
翔太は賢い子だから葛藤もたくさんあるだろうけどこれからきっといろんなことに気づくことができるはず。




あきはおばあちゃんはお金の為に自分を側に置いたのかと言ったけど、足の冷たさであきの変化に気づいたり、家にお金を入れさせることをしなかったり、あの3万円が手付かずのまま部屋のあちこちに残っていた。

あきが客の男の傷に気づいて優しくできたのもきっとあの家族があったから。それはこれからの糧になる。




りんはじゅりに戻ったけど、ビー玉を見る先、その数を数える先にはあの家族がみえている。親が自分を愛していないことに気づいた。拠り所を心の中に見つけた。りんはとっても優しい子。どうかあの中から抜け出してほしい。あるいは親がその優しさに早く気づいてほしい(と思わずにはいられない)。

のぶよはずっと、立派なお母さんだった。
クリーニング屋をクビになったときも、りんをしっかり抱き締めたときも、商店街で翔太とラムネを笑いながら飲んだときも、面会室の透明の壁越しにも。



皆がなにかしらによってすてられ、その傷によって支えあっていた。

ちいさな、でも確実なほころびによってそれらは失ってしまったけれど、あのときの感情や記憶が消えてなくなるわけではない。せめてそれが彼らにとってやわらかくてあたたかいものであってほしい。




#コラム #レビュー #映画 #万引き家族

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