2chとひろゆきの功績を考えてみた(前編)「2ちゃんねる時代」
西村博之さんこと「ひろゆき」は、日本のIT業界でもポップカルチャー界でも重要な役割を果たした歴史的人物だと思います。
しかし世間ではそう思われていません。「裁判から逃げ回ってる人」「2chを投げ出した人」「誹謗中傷を始めた張本人」などマイナスな評価が多いです。
功罪相半ばする人物で、「罪」ばかりに焦点が当たってきました。
「功」の部分に光を当ててもいいのではないかと思います。
「ひろゆきの功績に光を当てようよ」という運動を勝手に始めます。
【2ch管理人としてのひろゆき】
思えばひろゆきは不思議な青年でした。
匿名掲示板の管理人なのに、実名で、顔出し。
2ch黎明期からTVにも堂々と出ています。
厚い唇に切れ長な目、整った鼻筋に艶やかな黒髪。
中性的な顔立ちの美青年は、根暗なオタクイメージとは真逆でした。
一方でどこか抜けた感じがあり、妙なゆるさがある。
2ch黎明期のひろゆきは、マスコットキャラ的にいじられ、愛されていました。
(この“妙な愛され感”は、現在のインフルエンサーとしてのひろゆき人気にも通じます)
2000年前後、2chと同等の匿名掲示板は複数ありましたが、2chだけが生き残り、多くの文化を創り、ニコ動に受け継がれ、世界的なアーティストを数多く生むきっかけにもなりました。
なぜ2chだけが生き残ったのでしょう?
「ひろゆきがいたから」が大きいです。
他の匿名掲示板と2chとの決定的な違いは「ひろゆきの存在」です。
その裏付けの一つが「01年8月2ch閉鎖騒動」の一体感と団結でしょう。
2ch閉鎖危機に立ち向かうため、ネラーが一体となって団結し、閉鎖を回避しました。後日「感動的な出来事」として記憶され、ネラーの良き思い出となっています。(ネラー=2chユーザーの事)
趣味も嗜好もバラバラの人間が集まる匿名掲示板なのに、なぜ団結できたのか?なぜ感動があったのか?
大多数のネラーが「2chは俺たちの居場所だ」という郷土愛を持っていたからです。俺たちの故郷を守るために団結し、危機を乗り越え、涙を流したのです。
その「居心地の良い故郷」を作ったのは、他でもないひろゆきです。
2ch初期のひろゆきは、ネラーの気持ちに寄り添い、絶妙に適切に管理をしていました。
もちろんアンチもいましたし、今でも「ひろゆきを認めない」人もいると思います。
しかし大多数の意見は「ひろゆきを嫌いではない」だったと思います。
ゆるいキャラも含め、ネラーの心情とも合っていました。
「2chは俺たちの居場所だ」
という郷土愛が作られたのはひろゆきの存在と管理の結果です。
ひろゆきがいたからこそ2chは存続し、独創的なカルチャーが生まれたのです。
その文化はニコ動に受け継がれ、国民的なアーティストが多数生まれることにもなりました。その過程でもひろゆきは密かに活躍していたのです。
作曲家、歌手、ダンサー、イラストレーター、小説家、動画編集者。
2chから多くのクリエイターが生まれました。
しかし世間は2chを「便所の落書き」と見てます。
ニコニコ動画も「2chと同じ違法サイト」と思われていました。
このままでは多くの才能が埋もれてしまう。
そこで動いたのがひろゆきです。
大手レコード会社やジャスラックを相手に、ひろゆきは必死に駆けずり回ったのです。2ch発、ニコ動発の若き才能を世に出すために。ひろゆきは懸命に動いたのです。
「後編」にその詳細を書きます。
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2ch閉鎖危機はこちらの動画が参考になります。
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「後編」はこちら。
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