見出し画像

青海三丁目 地先の肖像「木はいつか、森となる」

2020.08.01 | 森藤

夏の初め、出身高校から学校で生徒へ向けて講演をしないか、と声をかけていただいた。
講演自体はキャリアの紹介を基軸にしたものではあったが、取り組んでいて身近なゴミ問題と絡めて青海三丁目地先を紹介することにした。

この頃は、中高生の居場所を作るNPO法人ともワークショップを企画していて、10代にも実感ができる参加の仕方や伝え方を考えていた時期でもあった。
その場所に行けるわけでもない数十分で何ができるのか。
私たちが緊急事態宣言を受けながら制作した地図、すなわち書くことを手掛かりにするしかないと感じていた。

我々が書き続けていたのは中央防波堤内側埋立地、と呼ばれる北側の島で、南には倍ほどの大きさの外側埋立地と呼ばれる場所が広がっている。足を踏み入れる順序のように、そちらは多数の人々と地図上で触れて行けないだろうか。

その場所を、未来を、想像する。
描くことで今ある埋立地を捉える。

描くものは木が良いのではないか。
埋立地で今一番元気よく、自由に振舞っているのは自然だ。
将来ここが何になるにせよ、人が人工物で表面を覆おうと、自然には勝てないのだ。
木ならば、誰でもその姿を思い起こせるし、多様な形状を保っていることが直感的にわかる。

一人一人が描いた小さな木、本当に紙面上だと1cm四方程度のものなのだが、それが集まり、森となる。
それは地図の上に広がっていく。
作品として地図を作るのではない。地図はあくまで記号だ。広がった森の姿こそがその地へ馳せられた思いの名残であり、集積であり、他者の目線の存在の視覚化だ。


講演の後、事前に配ったハガキが郵送で届いた。
全部電子データでやりとりできる時代に、この手間のかかる交信方法をとったのも体験を少しでも記憶に残してもらうためだ。


スキャン



それから一年ほど経った今、この文章を描いている。
このワークは様々な年代、関係性の人に依頼してきた。
少しずつ広がる森を育ててきたのだな、とふと思う。
緊急事態宣言が再度出てしまった今、その姿を夏の展示で見せられるように祈るばかりである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?