『世界は贈与でできている』を読んで

『世界は贈与でできている  資本主義の「すきま」を埋める倫理学』近内悠太

ひととひととの繋がりの根本は、一体なんなのだろうか。どうして、人はひとりではいきていけないのか。それを、ひととひととの間で発生する贈与という視点から捉えるのは非常に面白いと思ったと同時に、やはりそれだけでは言い切れない部分もあると感じた。だからこそ、一冊を通して、全体的にふんわりとした印象を受けるのかもしれない。(ふんわりとした印象を演出し、親しみやすくすることが筆者の意図だったのかもしれない。だが、なんとなく読み手からすると信用できないような印象を受けてしまうこともあった。)

負い目とは一種の「罪」によるものです。不当に受け取ってしまったという罪の意識、罪の感覚です。(p40)
「助けてあげる。で、あなたは私に何をしてくれるの?」
これがギブ&テイクの論理を生きる人間のドグマです。(p50)

贈与という言葉を使うと、そこには与える人間がいて、受け取る人間がいて、というような、あくまで自立した「人」と「人」との関係性についてでしか述べることができなくなってしまうのかもしれないと思った。だが、私は、人と人とのつながりは、一対一の関係性以上に、その人間が持つ他者の中に存在している部分が多くを占めていると考える。そうなれば、そもそもの贈与という言葉は、その輪郭自体が曖昧になり、もっと具体的なものになり、ひとりの存在について考えることのほうが自然になるのではないか、と感じた。

とはいえ、今私が考えていることは、非常にぼんやりとしていて、言語化することが難しい。そうなれば、やはり今、現実の構造がどうなっているのか、いま存在しているものを通して論理的に組み立てていく作業が必要だ。

そのためにこの本で行われているような、ひとつひとつの区切りを明確にして考えていくこと、そうすることで、もっと鮮明にひととの繋がりについての本質を感じられるようになるのだろう。がんばろ・・・。

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