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【読書感想文】星の子/むらさきのスカートの女

今村夏子『星の子』を何度か立ち読みした記憶が蘇った。
冒頭の会話文に惹かれこそすれレジに運ぶまでにいたらない期間が長くあった。とくに理由があったわけではなかったと記憶している。たしか、もう1冊と迷っていてアチラにした。とか、決めかねて再考しているうちに約束の時間になってしまった。とか、そんななんともない理由だ。

『あひる』という小説がある。

毎週土曜日深夜1時にはニッポン放送の「オードリーのオールナイトニッポン」を聞いている。(子どもが寝て、いっしょに寝かしつけられてなければという幸運に恵まれた場合のみ許されるリアタイ。だいたいはタイムフリー様々)
スペシャルウイークのむつみ荘からの放送だったか、その翌週だったか今村夏子さんの『あひる』の話がでた。もちろん若林さんから(書くまでもないか…)むつみ荘の大家さんが建物の脇だか1階の駐車場で「アヒル飼ってたことあったな!」という会話の流れからだったのだが、そこがどうしても引っかかっていた。

あひる。。アヒル。。小説で、あひる・・・?

そんな折、芥川賞は発表され一挙に『むらさきのスカートの女/今村夏子』は本屋の平積み×山積み、メルカリ大出品案件の作品になった。もっと前からそうだったのかもしれないな。私が無知なだけ(許容おねがいします!)

作者は今村夏子というのよ。

そこで私は低空飛行をはじめた。
『むらさきのスカートの女』なんて最高のタイトル。しかもそれはあの時きになった『あひる』の著者 今村夏子さん。それでもこれ、、みんな買ってるな。ここで食いつくのはなんか恥ずかしい(勝手な自尊心。知ったこっちゃない)よし、まず今村夏子さんについて調べよう!

今村夏子
広島県広島市安佐南区生まれ。大阪市在住。
生年月日: 1980年2月20日 (年齢 40歳)
生まれ: 広島県 広島市 安佐南区
※Wikipediaより引用
作品:
『こちらあみ子』(2011年1月・筑摩書房/2014年6月・ちくま文庫)解説:町田康、穂村弘 ※太宰治賞・三島由紀夫賞受賞作
『あひる』(2016年11月・書肆侃侃房/2019年1月・角川文庫)解説:西崎憲 ※河合隼雄物語賞受賞作
『星の子』(2017年6月・朝日新聞出版/2019年12月・朝日文庫)
『父と私の桜尾通り商店街』(2019年2月・角川書店)
『むらさきのスカートの女』(2019年6月・朝日新聞出版)
『木になった亜沙』(2020年4月・文芸春秋)

 ※余談※
ココで最新作の『木になった亜沙』がめちゃくちゃきになっていて今に至ります。このあと本屋見に行って品定めしてくる予定。
ネット発展時代BBS創世記。私のハンドルネームは亜沙だった。

第26回太宰治賞 受賞の言葉

処女作から5年あいてることが気になった。処女作は太宰治賞の受賞作品。当時の受賞コメントを検索。それがもう決定打といっていいほど惹かれてしまいamazonをポチっとしたのでした。

<一部抜粋>
個人の物語を書くということにどれだけ大きな責任が伴うのか、考えていませんでした。そのことに直面したのは最終選考に残ったという知らせを電話で受けた日の夜です。それから今日に至るまで、自分の考えの甘さや、書くという行為の困難さを痛感するばかりです。
 このような栄えある賞を頂いておきながら、非常に情けないことではありますが、次に一体なにが書けるのか、なにを書きたいのか、自分のことなのにいくら考えても答えが出ません。
―第26回太宰治賞 受賞の言葉 今村夏子(10.08.24)

自分の頭の中に見えているものをきちんと見つめて、かつクリアな言葉に置き換えられている。しかも客観性もみうしなっていない。率直で興奮していて、これはきっと共鳴できそうだ。

『星の子』『むらさきのスカートの女』を読みました

処女作の『こちらあみ子』でも『あひる』でもないんかい!と、言われても仕方ない。何故かこの2冊になりました。理由はよくわからない。やっぱり入りやすそうな入り口を探してたのかな。

結論から言うと、これから後追い今追いしていきた作家でした。正解!ってやつです。いずれも全体を通して不穏な空気が流れている作品で、何人も人が出てくるのですが、どれも日常を送っている方々ばかり。ただ、それはあくまで彼らの日常であり、そこを通り過ぎていく登場人物。そして決して通り過ぎることができない関わりをまとっている主人公。

誰かに自分の身を置いて共感しながら読むタイプの小説ではなく、主人公の目を借りてそこ居る不思議な人間を覗き見る感覚になれる小説でした。もしかしたらこの人たち同じ電車にのってたりするんじゃない?近所のスーパーですれ違ったことくらいあるんじゃないか?という距離感。不気味さではなく、なんか変な感じ程度の奇妙さ。だからこそ肌にくる。ザワザワとする。

真相があるわけでも結末が明示されているわけでもない。だからこそ、これはいよいよすぐそばに居るぞー!?という余韻を残したまま最後のページまでたどり着けます。
サラっと読めてしまうのに読んでる人間の想像力を掻き立てる余白。きっとここからなら安全に見える。でも少しでも踏み込んでしまったらこのバランスは音をたてて崩れてしまうのだろう。

たとえ話

箱がある。脇道。目立つわけではないけど、なんか気になる。そこには少しだけ開いたフタがのっかっている。誰が置いていったんだろう。ずっとここにあるんだろうか。横目でみながら通りすぎた。

前をいく学生が大きな声で話してる「さっきの箱しってる?」「箱なんかあったけ?」「見てないの!?なんだよ」「で!箱がなに?」「あの箱さ、中身は…」ぁあ!聞こえない!!なんだよなんなんだよ!箱みとけよ!お前!中身ってなに?なんかはいってんの!?ねぇ!!
どうしよ、、もどる?んー…でもこれ戻ってると間に合わなくなるし。まして変なものだったらどうしよ。フタ開ける勇気なんてないし。戻ってどうすんのよ。ううううううう。

以上です。笑。

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