『一大決心』

「ねえ、聞いてくれる?」
 付き合って3年の彼女、こずえが思いつめた表情で切り出した。こんな表情をする時は、決まって何か一大決心をした時だ。俺は努めて落ち着いて次の言葉を待った。
「今度、初めて主役に抜擢されたの。」
「それは良かったな!今までの努力がついに報わる日がきたか。」
「うん…でもね、それには一つだけ条件があるの…。」
「条件?」
ポニーテールを触りながら、こずえは静かに言った。
「それはね……今度の劇は尼僧の半生を描いたものなんだけど…役作りで髪を坊主にしなければいけないの…。」

 こずえはとある劇団に所属していて、女優を目指している。そこは過去に何人も女優を輩出してきた有名な劇団だ。こずえも明日を夢見て、どんな役でも地道にこなしてきた。今まで端役ばかりだったこずえには、初めて巡ってきた大チャンスである。しかしそのためとはいえ、綺麗に伸ばした髪を坊主にしてしまうとは…。
「こずえはショートにもしたことないんだろう?それをいきなり坊主?本気か?」
「うん、でもね、私考えたの。髪を切るのは辛いけど、このチャンスを逃すわけにはいかない。だって主役だよ!髪はまた伸びるんだし、これでうまくいけば売れるかもしれないんだから!」
 その言葉には熱がこもっていた。こずえなりにかなり悩んで決めたのだろう。
「それでね、圭ちゃんにお願いがあるの。」
「お願い?」
「うん、この髪をね…圭ちゃんに切ってほしいの。」
「俺が?こずえの髪を?」
「そう。床屋さんに行くのは怖いし、圭ちゃん以外の人には切らせたくないもん。」そう言って頬を赤らめるこずえ。
 俺は動揺した。出会った頃は肩に付く程度のボブだった髪を、俺の好みに合わせて伸ばしてくれた。その髪を、この俺の手で坊主にするのだ。ショートにするのとはわけが違う。
「坊主って、この髪が全てなくなるんだぞ。本当にいいのか?」そう言って、こずえの髪を優しく撫でた。
「うん…私だって本当はこんなことはしたくない。でもチャンスは逃したくない。もう端役ばかりじゃ嫌だよ…。」泣きそうになるこずえ。
こずえがここまで覚悟した以上、断るわけにはいかない。
「わかった。そこまで言うのならやるよ。」するとこずえは
「実はね、圭ちゃんがそう言ってくれると思って、もうバリカンは用意したの。昔おにいちゃんが丸坊主にしていたから、家にあったんだ。」そう言って電気バリカンと手バリカン、はさみ、ケープを出してきた。
「今からやるのか?」
「うん。決心が鈍るのは嫌なんだ。」
 

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