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我がこの宝剣で 祖仏も我と共に殺してしまえ 利休

日本の300年前が、やけにリアルな景色だ

茶の利休が、ハラキリ切腹した理由は、諸説あることは察しますが、一介の茶人が、時の元首秀吉さまに、茶室でなにを箴言したのか歴史の闇とは訊きますが、なんだったら今どき盗聴「ボイスレコーダー」で記録しておけばよかったと、誰もがおもったでしょう。(今だったらバンクシーより高い値がつく)

そのとき詠んだ句「人生七十 力囲希咄 吾這寳剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛」
「人生七十 りきいきとつ わがこのほうけん そぶつともにころす ひっさぐる わがえぐそくのひとたち いまこのときぞ てんになげうつ」
※「人生七十年。 えい、やぁ、とう、我がこの宝剣で、 祖仏も我と共に殺してしまえ、上手く使いこなすことのできる刀を引っさげて、 今、天にこの身を放つ」 

遺偈 (ゆいげ) とは、 高僧 が 自 みずか らの 死に臨で、 自分の感懐や信仰の根幹、あるいは 弟子また後世への教訓などをしる したもの。
Google先生 note白水さん 参考

なにはともあれ、真実は誰も知りません判りませんので所詮類推の域は出ないと思うのが賢明でしょう。

ふとっ、何気ーに仮想イメージ3D動画に成田祐輔が深夜「丑三つ(うしみつ)」(うしみつ)、換算、午前2時~午前2時30分)のネットで、なんだかグダグダ、トークしている様子が蘇えって、おもわず「なにしてんねん」と寝言をいいました。(その自分のトークに目が覚めた)

ハラキリでもしたらどうですか、<成田さんの発言> 毎日新聞

■唯一の解決策ははっきりしていると思っていて、結局、高齢者の集団自決、集団切腹みたいなことしかない。(私は)けっこう大真面目で、やっぱり人間って引き際が重要だと思う。別に物理的な切腹だけでなくてもよくて、社会的な切腹でもよくて過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤー(階層)で多すぎるのがこの国の明らかな問題で、まったくろれつが回っていなかったりまったく会話にならなかったりするような人たちが社会の重要な「ポジション」をごくごく自然に占めていて、僕たちそれが当然だと思っちゃっているじゃないですか。当然だと思っていることがすごく危機的な状況だと思っていて消えるべき人に「消えてほしい」と言い続けられるような状況をもっとつくらないといけないんじゃないか。
部分引用

これが世にいう成田腹切り説で、世界を2周半巡回して、今どき再び国会内で取り上げられるというインパクト発言のようでした。

だから利休がやられたように切腹せい!と逆提訴されたわけです。それ誰が云ったか判らないのが日本人的で、烏合の衆の中の一羽が、端の方で小声で云ってたものが、次第に世論が、その方向に同調するとなると、実は私です、と「クレイグ・ライト」氏が偽証したサトシナカモト、みたいな上塗りしたようなものです。

で成田氏は「実刑」でもなんでもなくてメディアが一蓮托生して、目の上のタンコブ仇役SNSの寵児を、この際だから、一緒に叩いてしまえと、連日(と云ってもその頃茶の間テレビ界には成田祐輔の知名度なかった)と、そんなチグハグ感はありました。
それを肥大化させたのが「現代ハラキリ」提唱者成田、としていよいよメジャー化したのでした。

多分ハラキリがよく知らない人たちも増えていて、せめて自衛隊内で切腹介錯した「三島由紀夫」を思い出したのかも知れません。としても、その凄惨な現場は、今ではメディア化されないでしょう。映画ではない実写血の海を見て気絶する人だっているはずです。
もっとも江戸の後半、藩がつぶれて、主君のいない浪人が、正装切腹するのに、現存する藩屋敷の一室を借りて、切腹するという方法がありました。それを映画にしたのが「切腹」(滝口康彦の小説『異聞浪人記』(1958年))が名作として残されています。

としてもその成田氏のいうハラキリは、そうしたモノとはまったく無縁な話で、今の世でメディア内健在のご老体は、自覚して退場すべきだ、と云っているだけのはなしで、血の海にしろとは言及してません。そこいらは得意のいった、いやいわない、の丁々発止で外野が延々とやるわけですから、火のないところに、いくらでも燃料追加はできてしまうのです。

よく在りがちな責任転嫁とか、自己弁護とか、著名な人だったらテレビに出て焚火程度を江戸の大火にしてしまうケースは、散見しますが成田氏の場合は、それが全くない。あるとすれば目の前の「蚊」程度に狼狽する時間はないといったくらいでした。だからその他の外野席は、烏合の衆ではなくアマゾン大河上空の百万蚊大群程度だと、いいたかったのでしょう。

「国のため」といえば残酷になれる日本人 ダイヤモンド 部分抜粋
■このような歴史の教訓を踏まえると、「尊厳死解禁」も我々が想像しているよりも早く議論が進んでいく可能性が高い。先ほども申し上げたように、今の日本は「老害」叩きのムードが高まっている。「障害者や犯罪者は断種すべき」という下村氏の主張に多くの国民が賛同して一気に議論が進んだように、「高齢者は集団自決すべき」という成田氏の主張にも、多くの国民が賛同して一気に議論が進む「土壌」は既に出来上がっているのだ。特に日本人は「日本のため」という話を持ち出されると弱い。「集団のためには個人が犠牲になる」という思想教育を幼い頃から徹底されているので、「日本のため」と言われたら、自分の高齢の親にさえも「自決」を迫れるような残酷さも持ち合わせている。
その残酷さの最悪の形が「集団自決」だ。ほんの80年前、我々は「日本のためにここでみんなで死ね」と命じられて本当に実行した。洞窟に隠れて泣き声が米軍にバレるという理由で、我が子の首を締めて殺した親もいる。それは決して「狂っていた」からではなく、すべては「日本のため」である。
日本のためには自分を殺すし、家族も犠牲にしなくてはいけないとインテリたちも説いていた。そんな「ムード」に屈して、誰もが冷静な判断力を奪われていたのである。「高齢者の集団自決」などあり得ないと笑う人もいるだろうが、我々は民主主義の社会になってから、「障害者への断種」を強いる悪法をつくった前科もあることを忘れてはいけない。気がついたら、高齢者を安楽死へ促すような法律ができていても、おかしくないのではないか。
(ノンフィクションライター 窪田順生)

「成田祐輔」は現代版利休として、日本人は評価しているか

ここいらで氏のプロフィールなど紹介するのが道理ですが、いまさら書いてもSNSネット民の大方は知っていることだし、そのテレビ層にアピールしたところで、せめて東大の偉い人、程度で終わってしまうので止めましょう。

で私が何故、今どき成田祐輔を取りあげたかと云うと、一見して「品行方正」タイプであり、服は体を表す体のように眼鏡にしても、それだけで半分は表現しているように感じたからです。
そしてネットトーク番組では、常に正座(椅子)スタイルを崩さず、膝を閉じたままで、男がよく在りがちな大股広げるような仕草を取ったことがない。時々自己アピール訓話のとき、「駅のベンチで昼間でよく寝ていた」と吐露しますが、そんなことは微塵も感じさせない。
多分それは、家庭の躾遺伝(家は崩壊していたといいますが)が正統だったため、身から出た高貴さにあると読んだのです。訊けば父親はその世界で高名な哲学者とも交友があった、らしくその血を引いたIQですから東大、イエールもさもありなん、ということでしょう。
本人は学歴は問わない、と云いますがこの日本(以外でも高学歴は高嶺の花)ですから、一概にはそうとはいえない。
ましてアメリカで教鞭をとっていれば、おのずと現況アメリカ実体をリアルで体現するのであり、にわか渡航者の弁とは次元が異なります。

自己表現の下手な日本にやってくるペラペラ日本語女子のホンネとは

このところ、外人帰化女子インタビーYouTubeをよくみてますが、ちょっと前までは、まったく知らなかった世界を見せていたことに関心しました。

というのは実際、そうしたことは以前からあったのでしょうが、それが世界的なスマホ配信によって芸能スターではなく、ごく一般民間人が気軽に、その動画に登場して、身辺を語っている様子が、映っているのをみて、近い将来日本の、そして世界のライフスタイルが一変してしまうような、そんな期待感を持ちました。
また、登場している対象の若い外人娘のペラペラ日本語に、圧倒されてしまい、まるで恋している日本にラブレターを贈っている感じでした。誰だってそれは悪い気はしません。

では、それに応える日本人がいたのかと問えば、まったく見当たらない。たぶんそれは、政治的な話しではなく、日本が世界に向けた市民アピールの実績がなかった、という結果なんでしょう。(西側の尻ばかり追いかけていた日本経済が別の尻に世界市場を奪われた、と同義語)
まして学校で習った英語が通用しないという現実の壁が阻んで、日本語で語り掛ける若い外人娘に、対応できないという体たらくは何とかしないといけない。

そんな時に日本の文化を多少知っていれば会話ができるでしょう。今日のテーマの一つである千利休でもいいし、一昨日の「運動会」でもいい。定番の歌舞伎、能、狂言、雅楽はそれなりに勉強しないと説明できませんが、ネット資料検索で、殆どは知ることができます。
それはこのパソコン、スマホのインターネットを介して、出来ることで後にも先にも、いまが最適で、ましてや世界の中でも犯罪がない治安のよさ、それが人の安心感を持たせ、若い外人娘が日本にやってくる理由にもなってるのです。
今はそれが始まったばかりで、それが永続的に続けば、日本のそして世界の風景が変わると期待しています。
その変える一つのヒントとして、昨日予告した絵で世界にアピール、として一作、作りましたので、ここにアップします。

テンプレート文字「PIZZ PIZZ」はラテン語よみでピチピチ、という擬態語で、水音の意味を使いました。海を渡って情報を伝えたい、そんな気持ちを込めて。

画像 茶道具茶杓



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PIZZPIZZ paper初版





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