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「淮南子」にかかれたもの

絣屋の白袴 統計学

紺屋(こうや、染物)自分の袴は染めないで、いつも白袴をはいていること。他人のことに忙しくて、自分自身のことには手が回らないことのたとえ。(goo辞書)

むかしむかし、その昔、見渡す限りのすな砂漠に、旅人が水を求めてさまよい歩いた青いコバルト色したオアシスを探して三千里も歩いた、という伝説。
そんな荒唐無稽な作り話しは、だれでも想像できますが、実際あったそのオアシスを宇宙衛星探査を使ってレザー探査すると、その痕跡は図形として現れます。
かつてあったオアシスに流れていた大河は、その流域にコトカケヤナギが生茂っていて、芳醇な水があったことを教えます。

ですから、なかった話を、さもあったような戯曲を語るのはヘロドトスも適いませんが、昨今巨額をだまして捕まる詐欺師も頭がよくなったようです。

その手口は、勿論インターネットのデジタルリテラシーですが、そもそも、それについて学校で教わっていなかった世代層は、そのイロハ、abcも知らないので、黒電話に掛かってきた「優しい厚情」にコロッと騙され、虎の子を引き渡してしまうという手口です。
まあ~あるから払うので、なかったら払いようもありませんが。

今日の議事は、中東のゴタゴタを書こうと思案したのですが、正攻法で書いたらアルゴリズムに捕捉され、差別されるので、少しばかり脚色して物語が展開しますので、その点を留意して読んでいただければと思います。

それで思うのは日本という国は、どうしてその中東だとか石油とか、ウクライナ情勢だとか、触れようとすると、咄嗟に何かが出てきて封じ込める、という「悪魔の遣い」がいるようです。その実際の正体を見たことがないのでハッキリしませんが、それが消えないうちは、世界の国際ステージ(重要発言力)に永遠に立てない、そんなことを思いました。

昨日も今日もニュースでは交通事故があって国内の死者数がカウントされますが、実際、どのくらいの数があるか、殆ど―把握しないタブーの域だと思います。そして、それと比べて戦争死者数が、比較され、こちらが断然多いとして数の比較をしますが、いずれも結果数であって、比較対象にはならないと思いますが、その実、データを掲載しました。


交通事故死者数に占める高齢者の割合推移 日本自動車工業会

JAMA

※第2次世界大戦における軍人の戦死者数と民間人の犠牲者数については、諸説があるが、ここでは、「タイムズ・アトラス 第二次世界大戦歴史地図 」のデータを元にグラフ化した(日本は厚生労働省資料)。
図録5227cでは中村隆英「昭和史Ⅰ」東洋経済新報社に引かれている資料からまとめた数字を掲げたのでこちらも参照されたい。国別の戦死者数については、ソ連の1450万人が図抜けて多く、ドイツの280万人、日本の230万人がこれに次いで多くなっている。中国が130万人、そして中東欧のオーストリア、ポーランド、ルーマニアも、それぞれ40~85万人と多い。
社会実用データ

「気象学と気象予報の発達史」(丸善出版) 堤 之智

陰陽説を表す太極図

1 漢時代より前の災害に対する考え方
古代
人類が農耕生活を始めるようになって以来、農業生産をはじめとして人間の生活は天候状態に左右されることが極めて大きくなった。
古代中国では天文の動きから天候の推移を予測しようとした。そしてそれは天文を利用した占いへと発展した。経書の一つ「周易」は、天文観測の結果にもとづいて今後の吉凶を説いた占いの書である 。当時の異常気象による不作は即飢饉へとつながったので、これから雨が降るかどうかというようなことは、当時の人々にとって極めて重要な問題だった。
そのため、洪水や干ばつの予測のためにさまざまな自然現象に基づいた占いによる天候予測が試みられた。天候予測は収穫の豊凶占いでもあった。

また、古代中国の音楽は12の音階で出来ていた。この音階は律管という竹でできた楽器が出す音律(音色)に基づいており、この12律が定まるのは天地の風気が正しい時のことと考えられていた。そのため、この音色で天気や気候を占ったり確かめたりすることも行われた(律管候気)。また、この音律の数と暦が融合して24節気ができたという説もある。

古代の気象占いは動物の骨や亀の甲羅に碑文の形で残っている。 多くの場合、これらの碑文は雨がたくさん降るかどうかなどが神への質問の形になっている 。日本でも古くから太占(ふとまた)と呼ばれた鹿の骨を使った占いや亀卜(きぼく)と呼ばれる亀の甲を使った占いが行われ、遺跡からその跡も見つかっている 。

1.2 殷・周時代
古代中国では「天」は意思を持ち、その子である「帝」は神として、雨を降らことも干ばつを起こして飢饉をもたらすこともでき、自然と人事にたいして絶対的な権力を持っていた。その古代中国の王朝「殷」で信仰されていた帝は、自然神の一つでありながら別格の存在であり、殷の王はその直系の子孫であるとされた 。

前1027年に殷を滅ぼした「周」王朝は、帝に代わって「天」を信奉した 。周では殷の王権(帝位)を奪ったことを正当化するために、殷の滅亡を天によって下された命とした。そして、天は徳のない統治者から位を奪い、有徳者に位を与えて統治者とすることを唱えた。これが天命説となった 。つまり、天は自然の万物、万象の絶対的支配者であり、天は人間の世界から誰かを自分の「子」として選び、その子が「天子」として人間世界を支配するということである。そしてその天からの支配権の委譲が「天命」と考えられた。

しかし天は直接には語らない。そのため、洪水や干ばつなどの天変地異は、天が地上における有徳の政治が失われた状態を見てそれらを引き起こしたと考えられた。つまり天命とは、天命を受けた者は統治者となるが、その統治者に倫理的・政治的な過失があれば、天は災異によって警告する。統治者がそれを改めなければ天は最終的に統治者の命を奪って滅亡させ、別な有徳者に天命を授けて次の統治者となすというものだった。これは「易姓革命」とも呼ばれている 。

また周王朝の「周礼」では、当時既に自然現象に基づいた占いが行われたとされている。日食、月食、五惑星(木星・火星・土星・金星・水星)の会合などの天文現象から吉凶を占うだけでなく、気象(雲や風や虹、太陽の周囲に現れる暈)からも水害や干ばつなどを予測し、諸国の農作物の豊穣・凶作を占うことが行われた。

2 災異説
しかし、天は王朝の交替をも決定するという思想は諸刃の剣であり、「天命」は徳ある者に政権を付与する一方で、徳を失った統治者からは政権を奪うことも正当化した。天は、統治者の権力の根拠であると同時に、それを制限する根拠ともなった。例えば中国においては治水によって河川の氾濫による被害を防ぐことが統治者の大きな課題だった。そのため、後漢時代の辞書である「説文解字」によると「政治」という言葉は「正しい治水」から来ているとも言われている。このため、洪水の発生は統治者が民を正しく治めることができなかった証拠とも見なされた。そのため天変地異が発生すると、それは正しい政治が失われたためと解釈された。この考えは「災異説」となっていった。 

上記の災異説の一つの典型的な考え方は、統治者が立派な徳を身につけて正しい政治を行えば、天はその徳を感じて雨、陽光、暖、寒、風という天の恵みを地上にもたらす。逆に統治者の徳を失って悪政を行うと、天は長雨や干ばつ、あるいは冷夏や暖冬などの天候不順、地震や水害・虫害・疫病などの災害異変を起こすというものである。災異説は儒教に取り入れられたため広く流布し、後述するように前漢の董仲舒によって政治へと反映されていくことになる。

3 陰陽説
古代中国で広く信じられていた自然観は陰陽説である。これはいろんな物を陰と陽に分類し、両者の生成消滅のバランスで世界が成り立っているという考え方である。陽を代表するものには天、男、太陽などが挙げられ、陰を代表するものには地・女・月などが挙げられる。両者は対等で物事の裏表であり、優劣があるわけではなく、またどちらかだけでは世界は成り立たない。四季の循環もその陰陽説で生まれるとされており、草木は陽気の兆す春に芽吹き、陽気の最も盛んな夏に生育し、陰気と陽気とが交わる秋になると実を結び、陽気が衰えて陰気が満ちる冬に枯死する。そして、それらは絶えず繰り返されると考えられた 。

これに、中国戦国時代の思想家だった鄒衍が、世界は木、火、土、金、水の五つの要素から構成されるという五行説を加えて、「陰陽五行説」が完成した。この考え方は儒教に大きな影響を与えた。

4 淮南子
「淮南子」は、高祖の孫で淮南王となった劉安(紀元前179年~紀元前122年)が、学者を集めて編纂させた思想書である。淮南子では、災異説に基づいて統治者は天に従わねばならない。それを怠ると天に異変が生ずるとし、人間の行動は天すなわち自然にも作用すると考えられた。天地自然と人間との間は、「気」を通して相互に作用することで、天は統治者が人々に対して正しい政治をしているかどうかを判断するとされた。

例えば、「淮南子」の「天文訓」では、

人主之情,上通於天,故誅暴則多飄風,枉法令則多蟲螟,殺不辜則國赤地,令不收則多淫雨.
(統治者の感情は天に届いているので、暴力的な罰は多くの風を引き起こし、無駄な法律は多くの昆虫の害を引き起こし、罪のない人々を殺すことは国の荒廃をもたらす。そしてそれらを受け入れなければ多くの雨が降ることになる。)としている。

しかし、淮南子では災異に関する説話を引用しているだけで災異説を論理的に細密に構築しているわけではない。淮南子での考えは陰陽思想に基づいており、清陽と重濁の気、つまり陽と陰の気が上下に分離、凝縮して天と地が形成されたとしている。そして、雨、雷、雪などの気象も天と地の気に起因する。洪水や早魅も陰陽の気の生み出す現象とした。また、人間は自然にも作用するとしたため、雨乞いの根拠にもなった。また、「淮南子」に既に二十四節気が記されていることは注目される。
以下省略

■堤 之智 牛久市, 茨城県, Japan
1958年生まれ。九州大学理学部物理学科修士課程修了。理学博士。国際気象海洋株式会社を経た後に気象庁に入庁。青森、水戸、熊本の地方気象台長を歴任後、気象大学校教授、気象庁環境気象管理官、気象研究所気候研究部長。現在は国立環境研究所勤務。 著書として「気象学と気象予報の発達史」(丸善出版)、訳書として「嵐の正体にせまった科学者たち」(丸善出版), 「気候変動社会の技術史」(日本評論社)などがある。 元WMO温室効果ガス科学諮問部会委員、米国地球物理学会会員、日本気象学会会員、日本大気化学会会員。


陰陽説を表す太極図




bbcnews

(bbc英語記事 The impact of recognising a Palestinian state)

As fighting and suffering continues in Gaza, and violence grows in the West Bank, prospects of the Palestinian people gaining their own state might seem further away than ever.

The decision by several European countries to formally recognise the existence of a Palestinian state will not overcome the reality that such ambition still faces huge obstacles.

But the declarations by Ireland, Spain and Norway will put pressure on other countries in Europe - including the UK, France and Germany - to follow them in supporting Palestinian self-determination.

“This is extremely significant,” one Arab diplomat said. “It reflects European frustration with the Israeli government’s refusal to listen.


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