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捜査機関によって証拠がねつ造された法治国家日本

日本中から憎悪を浴びせられ一切の弁明を無視された感覚は、筆舌に尽くしがたい苦痛

それから58年経過した、ということは1966年(昭和41年)生まれの人は、すでに仕事引退の年齢に届いている。その人生を棒に振ったと云いかえてもいい。云うは易し、だが話は簡単ではない。

その事件発生の年は私も高校生であり、社会のその「凶悪殺人犯罪」には無頓着だったし、各メディア報道(当時は新聞が主流だった)の大見出しを読んで、表層だけをなぞっていた。

その時代は、オリンピックも終わって、都内道路網も整備され、産業と国土改革が一斉に動き出した、そんな時代だった。

アメリカの先進文化?を模倣羨望して、マリファナを隠て吸うという後の「限りなく~」(村上龍)を具現した世相のような気がした。だから国内事件の大小に限らず、あまり話題を帯びることがなかった。

とくにその「袴田事件」は、当初から立証問題で拮抗していて、報道する側の新聞社の思想系によって、大きく分かれる、という報道の二極化があって、余計に真相を不可解にしていた。

それよりも世の中は、アメリカトレンドに湧いていて、ヒッピーとかビートルズとか、商業資本主義の大きな潮流一色に染まっていた。だからその事件は、やがて世間から風化してしまった。

人は(社会は)、そんなこと構っていられない、多分そんなことだろう。そして、事件は「結審した。」、と思った。

■2024年9月27日 1時49分記事  NHK 7時間前 58年前(1966年)、静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さんの再審=やり直しの裁判で、静岡地方裁判所は捜査機関によって証拠がねつ造されたと指摘し、袴田さんに無罪を言い渡しました。判決の後、裁判長は袴田さんの姉のひで子さんに、
「ものすごく時間がかかっていて裁判所として本当に申し訳なく思っています」と謝罪しました。記事部分引用

それを読んで、誰もが長い間の疑惑が晴れて仏壇に報告、出来ると留飲を下げたに違いなかった。また、裁判長「国井恒志」(こうし)裁判長(58)の謝罪挨拶に言及して、一応の決着をみた、そんな印象を受けた。

しかし、後の報道事件簿を読み進んでいると、捜査機関(静岡地方検察庁)は、いまだに嫌疑はある、と踏んでいて上告再審を捨てていなかった。

■静岡地方検察庁
有罪にするための証拠捏造など、百害あって一利なしだ。捏造認定は残念だ」と話した。県警の太田守刑事部参事官兼刑事企画課長は、「検察が判決内容を精査し、対応を検討するものと承知している」とのコメントを出した。静岡地検の小長光健史次席検事は報道陣の取材に対し、弁護団から控訴断念を求められている点について「(要請の)内容は承知し、趣旨も理解しているが、最終的にどう判断するかは別の問題だ」と話した。
元検事・高井康行弁護士の話 「本来は白紙の状態で行われるべき再審だが、東京高裁の再審開始決定の枠内で判断された印象を受ける。警察だけでなく、検察も証拠を 捏造(ねつぞう )したとの指摘には論理の飛躍があり、容認できないはずだ。事件では4人の被害者と遺族がいることを忘れてはならない。再審でも死刑求刑を貫いた以上、検察は控訴して上級審の判断を仰ぐべきだ。  読売新聞一部抜粋 


袴田巌さん再審
再審は、無罪とされた後の刑事責任追及を禁じる憲法39条の下、有罪となった人の利益になるものだけが認められる。つまり、ただの裁判のやり直しではなく、冤罪(えんざい)被害者の人権救済制度だが、現状ではその機能を十分果たしていないことは明らかだ。朝日新聞 24/09/27 00:56 

はたしてその「袴田事件」は、左右に分断した報道リテラシーとは無縁に、再審にもつれこむだろうか。

時の変化は、忘れることで刷新される

それから58年が経過して、日本は世界は激しく変遷し金銭的価値観も大幅にシフトした。

その昔、ライブドア事件があって、現役社長「ホリエモン」逮捕有罪収監され、経済界においても激震が走ったのは今でも忘れもしない。その時の理由が、汗水に寄らないアブク銭を正統と認めない、というコメントに唖然としたが、いま世界は、そのアブク銭の仮想通貨数兆ドル円換算の修羅場としてオイルマネーも巻き込んで、熾烈な戦いをしている。

それを「あぶく銭」と形容した当時の感覚は、「遠うからず~」とは思うが59年経過すると主客逆転することはいくらでもある。

そんな他愛ない下世話ネタでも、それが今回の事件に、シンクロしていて、情報の信ぴょう性を担保精査するとき、第三者という客観媒体は、当時より数倍多くなっている。
そのひとつとしてネットSNSというコンテンツは、いま主流になりつつあるが、当局「司法地方検察庁」は、今後、それとも戦うことになった。
そのことをライブドアの「ホリエモン」は、YouTubeで饒舌に語る。そのことに当局が反論することはマンに一つもあり得ない。


袴田巌さん 再審で無罪判決 裁判長 “時間かかり申し訳ない”
 (1966年静岡市清水区でみそ製造会社の専務一家4人殺害容疑で逮捕)

2024年9月27日 1時49分記事  NHK 7時間前 58年前(1966年)、静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さんの再審=やり直しの裁判で、静岡地方裁判所は捜査機関によって証拠がねつ造されたと指摘し、袴田さんに無罪を言い渡しました。

判決の後、裁判長は袴田さんの姉のひで子さんに、
「ものすごく時間がかかっていて裁判所として本当に申し訳なく思っています」
と謝罪しました。

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目次  裁判長(国井恒志(こうし)(58))「袴田さんを犯人とは認められない」 無罪言い渡し

【判決のポイントを詳しく】
無罪が言い渡されたのは袴田巌さん(88)です。
58年前の1966年に、今の静岡市清水区でみそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田さんの再審は去年10月から開かれ、あわせて15回の審理が行われました。

「袴田さんを犯人とは認められない」として無罪を言い渡しました。

判決を言い渡したあと、國井裁判長は袴田さんの姉のひで子さんに対し「ものすごく時間がかかっていて、裁判所として本当に申し訳なく思っています」とことばをつまらせながら謝罪しました。

そして「確定するにはもうしばらくお待ちいただきたい。真の自由までもう少し時間がかかりますが、ひで子さんも末永く心身ともに健康であることを願います」と述べました。

ひで子さんは閉廷したあとにハンカチで涙をぬぐっていました。

袴田さんは1980年に死刑が確定したあとも無実を訴え続け、10年前の2014年には再審を認める決定が出されました。しかし、検察の不服申し立てを受けて決定が取り消されるなど司法の判断に翻弄され続け、去年3月にようやく再審開始が決まりました。部分抜粋記事


袴田事件【日本弁護士連合】

事件の概要 1966年6月30日午前2時、静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌製造会社専務宅が全焼するという火事が発生しました。焼け跡からは、専務(41)の他、妻(38)、次女(17)、長男(14)の4人が刃物でめった刺しにされた死体が発見されました。

警察は、当初から、味噌工場の従業員であり元プロボクサーであった袴田巌氏(※)を犯人であると決めつけて捜査を進めた上、8月18日に袴田氏を逮捕しました。

袴田氏は、当初否認をしていましたが、警察や検察からの連日連夜の厳しい取調べにより、勾留期間の満了する直前に自白しましたが、その後公判において否認しました。

事件の経緯

警察は、逮捕後連日連夜、猛暑の中で取調べを行い、便器を取調室に持ち込んでトイレにも行かせない状態にしておいて、袴田氏を自白に追い込みました。袴田氏は9月6日に自白し、9月9日に起訴されましたが、警察の取調べは起訴後にも続き、自白調書は45通にも及びました。なお、弁護人が袴田氏に会った時間はこの間合計で30分程度でした。

袴田氏の自白の内容は、日替わりで変わり、動機についても当初は専務の奥さんとの肉体関係があったための犯行などと述べていましたが、最終的には、金がほしかったための強盗目的の犯行であるということになっていました。

さらに、当初から犯行着衣とされていたパジャマについても、公判の中で、静岡県警の行った鑑定があてにならず、実際には血痕が付着していたこと自体が疑わしいことが明らかになってきたところ、事件から1年2か月も経過した後に新たな犯行着衣とされるものが工場の味噌樽の中から発見され、検察が自白とは全く異なる犯行着衣に主張を変更するという事態になりました。

第1審の静岡地裁は、自白調書のうち44通を無効としながら、1通の検察官調書のみを採用し、さらに、5点の衣類についても袴田氏の物であるとの判断をして、袴田氏に有罪を言い渡しました。

この判決は、1980年11月19日、最高裁が上告棄却し、袴田氏の死刑が確定しました。

えん罪の疑いが強いこと

袴田氏の45通にのぼる自白調書は、捜査機関のその時点においての捜査状況を反映した捜査機関の思い込みがそのまま作文にされているものです。その自白調書の内容をみるだけで、袴田氏が事件について何らの知識を有さず、無罪であることが如実に伝わってきます。これについては、「自白の心理学」で有名な浜田教授が細かく分析し指摘しているところです。

味噌樽から発見された5点の衣類は、ズボンには血痕の付着していない場所であるのにステテコには付着していたり、ステテコには血痕がついていないのにブリーフには付着していたり(同様のことがシャツと下着にも言えます。)など、犯行着衣と考えると非常に不自然な点が多数あります。
また、1年2か月以上も8トンもの味噌につかっていたと考えるには、シャツは依然白く、血液は鮮血色であり、非常に不自然です。
これについては、弁護団の実験で、1年2か月も味噌につけられていれば、衣類は焦げ茶色に変色し、血液は黒色に変色することが明らかになっています。さらに、ズボンに至っては、袴田氏には小さすぎて、着衣実験では、腿の辺りまでしか上がってきませんでした。
さらに、犯行着衣とされた5点の衣類に付着した血痕に関し、DNA鑑定により、袴田氏のものでも被害者のものでもないとされました。

袴田氏が通ったとされる裏木戸には鍵がかかっており、人が通れる隙間はありませんでした。これについて、捜査機関は、鍵をはずした上で通り抜け実験を行って裁判所に報告していました。すなわち、捜査機関は、袴田氏を有罪にするために虚偽の実験を行っていたのです。

現在の状況

1981年4月20日に申し立てた袴田氏の第1次再審請求は、2008年3月24日、最高裁が特別抗告を棄却して終了しました。

2008年4月25日、弁護団は、袴田氏の第2次再審請求を静岡地裁に申立てました。弁護団は、5点の衣類の味噌漬け実験の結果を新たな証拠の一つとして裁判所に提出し、定期的に三者協議を行ってきました。

2020年12月22日、最高裁は、高裁決定を取消して差戻しました。

2023年3月13日、東京高裁は、2014年の静岡地裁の再審開始決定を支持し、検察官の即時抗告を棄却する決定をしました。そして、検察官が特別抗告をしなかったため、再審開始決定が確定しました。

裁判のやり直しを行う再審公判は、静岡地裁にて、2023年10月27日から計15回開催され、2024年5月22日、検察は死刑を求刑、弁護団は無罪を主張して結審しました。2024年9月26日、静岡地裁は袴田氏に再審無罪を言い渡しました。以下割愛
記事一部引用

https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty/q12/enzaihakamada.html



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