「フンババ」は八十五歳のシャーマンか?
「源義経」の女(妾)静御前(白拍子)
「古代くさび文字に何が書かれたか」、時は過ぎゆく
「白拍子」(静御前)、「くぐつ」おんな、の解説ですが、やはり現世とは、かけ離れた歴史話であり、一口にいって理解不能といっていい。
それでも、それにまつわる多くの伝記が平易文で書かれていて、判ったような気がするが、多分それは、単なる憶測の世界でしかない。
その静御前を称して「傀儡」という表現が、まったくわからないし「かいらい」という漢字からして、実体のない人間の様、を指す形容にはやはり理解不能だ。
そもそも鎌倉時代という「戦国の乱世」にあっては何が正統か、そして正義の規範は誰(政権者)の側なのか、それによって時代は、まったく反転するケースだ。
その乱世に生き女「静御前」を描くには、まともな捉え方では、輪郭がつかめないと思ったのであくまで現代風アニメ感覚で描写するしかないとおもった。
というのも「静御前」の逸話物語は、そこかしこにあって、そこには一つのバターン化した筋のシナリオで書かれているものが殆どだった。
いわゆる伝記物にありがちな「定型筋」によって、どれを読んでも歌舞伎演劇的な、時代にマッチした物語は、今日のSNS上の流行りものと、殆どかわりない。そんなことを頭の隅に入れておいて、鎌倉時代を再現しようと考えた。時あたかもNHKTV「鎌倉殿」の終わったことだし、先入観もなくなお都合がよいと考えた。
また、昨日まで書いた「ジャンヌ・ダルク」近代記が、時々か顔を出すが、静御前-との相似形としての対比として、書き足すので念頭していてもらいたい。
義経に愛された「静御前」 2020.03.04 0oh 和楽
大河ドラマにもしばしば登場する源義経。能や歌舞伎・浄瑠璃・講談・文学作品をはじめ、現在でも漫画やゲームなどで人気を誇っている、平安時代末期の武将です。弱い立場の人に同情して応援する「判官(はんがん)びいき」という言葉のもとになるなど、歴史の敗者側でありながら、常に絶大な支持を受けています。
その義経に愛された女性が静御前(しずかごぜん)です。『ドラえもん』のヒロイン・しずかちゃんも、この静御前から名前がつけられたようなのですが……。静御前って、どんな人だったのでしょう?
静御前とは?
静御前は、平安時代後期から鎌倉時代初期に生きた女性です。白拍子(しらびょうし)という、頭に烏帽子(えぼし)をかぶって水干(すいかん)という装束を着、太刀を腰につけた男装姿で舞うことを生業としていました。白拍子舞をはじめたと言われる女性の1人、磯禅師(いそのぜんじ)は静御前の母親です。
義経と出会った経緯は不明ですが、静御前は義経に非常に愛されました。また、とても頭のいい人で、義経が京都で兄・頼朝の刺客に襲われたときに難を逃れたのも、静御前のとっさの機転によるものだったとされます。
義経と吉野で別れた、その後
文治1(1185)年、兄である源頼朝と不仲になっていた義経は、京都を離れます。その時にも義経の側には静御前がいました。
しかし翌年、雪の降る大和国(現在の奈良県)吉野山の山中で、静御前は義経と別れます。義経に身の安全を配慮されたためでしたが、ここで静御前は捕まり、母・磯禅師とともに鎌倉へ送られます。
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
頼朝とその妻・北条政子に命じられて、鶴岡八幡宮の社前で静御前が舞ったときの歌です。どちらも義経を恋い慕う内容で、頼朝を激怒させましたが、政子が「自分も同じ立場ならこうする」と取りなして、命を助けられました。
義経の子を産むも……
静御前は義経の子を宿していて、文治2(1186)年・閏(うるう)7月29日に出産します。生まれた子供が女の子なら救うが、男の子なら将来の禍根を残さないために殺す、と告げられていたのですが、生まれてきたのは男の子でした。大泣きして離さない静御前の腕から磯禅師に取り上げられ、頼朝の家来の手に渡った義経の子は、鎌倉の由比ヶ浜に沈められました。
その1カ月半ほど後、静御前は母とともに京へ帰されます。頼朝の妻・政子母娘が静御前を憐れみ、たくさんの宝物を持たせたといいますが、その後の静御前がどうなったのか、いつ頃まで生きたのか、記録は何も残っていません。
日本の中世時代の人の生活
脚が三本指というのは大昔の「恐竜」と同じ。だから鳥は恐竜の仲間。では「白拍子」は、オンナであるのになぜ男装直垂で刀を差しているか、という謎は、誰も知らなくて説明もできていない。
そんなことで「八咫ガラス」に惑わされたマララッカが、不思議の国に迷いこんだ紀元前ギリシア神話的レバノン「ギルガメシュ叙事詩」、の話しにも似ているようなそんな話しです。(ヤマトタケルの案内人(カラスドローン))
「レバノン森」守護神フンババ
叙事詩「ギルガメシュ」 このレバノンスギが人類史に登場するのは、5000年前(紀元前3000年頃)にメソポタミア地方で書かれた人類最古の叙事詩・「ギルガメシュ」である。
その主人公ギルガメシュはメソポタミア南部のウルクの王(暴君)として登場し、女神から遣わされた猛者エンキドゥを伴い、森の神フンババを退治してレバノンスギの森を征服する。ここが一つの神話世界をあらわしている。
[人間は今まで、長い間、実に長い間、自然の奴隷であった。この自然の奴隷の状態から人間を解放しなければならない](梅原猛「ギルガメシュ」新潮社 1988年)参照
ウルク市の王ギルガメシュは、強き英雄であると同時に暴君でもあった。その横暴ぶりを嘆いた市民たちの訴えを聞いた天神アヌは、女神アルルにギルガメシュの競争相手を造るよう命ずる。アルルは粘土からエンキドゥを造り、ウルクから離れた荒野に置いた。
エンキドゥははじめは自分の使命に気付くことなく荒野で獣たちと共に暮らしていた。しかしある時、巫女からギルガメシュのことを聞き、仲間が欲しいと思い喜び勇んでウルクに向かう。仲間を求めるエンキドゥと、近々やって来るエンキドゥという男と友人関係になることを夢で見ていたギルガメシュ。2人は顔を知る前から互いを意識していたが、ギルガメシュが国の花嫁を奪い去るという噂を耳に挟んだ瞬間エンキドゥは憤激し、出会って早々、大格闘を繰り広げる。結局のところ決着がつかず、2人は互いの力を認め合い深く抱擁を交わして親友となった。
彼らは常に行動を共にし、様々な冒険を繰り広げる。昔日の暴君とは異なるギルガメシュと、野人としての姿を忘れ去ったエンキドゥはウルクの民から讃えられる立派な英雄となっていた。だが、冒険の果てに彼らを待っていたのは決してかんばしいものではなかった──。
ウイキペディア
以降は「ヤマトタケル東征」ヤタガラスドローン(「鞠茄子マリアンデー」)の飛来で、話はいよいよ仮想ファンタシー世界です。
■ヤマトタケルの東征物語は大和朝廷の東国への勢力拡大を象徴する四世紀頃の、ある程度事実を反映した物語である。
『古事記』が和銅五年(712年)、『日本書紀』が養老四年(720年)に編纂され、ヤマトタケル伝承はそれより四百年もさかのぼる遠い昔の話であり、それも大和の側の視点で書かれた物語とした伝記である。ヤマトタケルは第12代景行天皇の子供であり天皇の命により、南九州の熊曾建(くまそたけるや)出雲の出雲建(いずもたける)を討つ西征をした後、東国の蝦夷(えみし)征服の東征を行った。なお、ヤマトタケルは古事記では倭建命であり、日本書紀では日本武尊である。ヤマトタケルの東征軍路は古事記と日本書紀で相違があり日本書記のほうが陸奥、日高見(北上川流域の国)へとより北の方に侵攻していったように書かれている。全コースを図式的に示すと次のとおり。
古事記~
倭(やまと)―伊勢―尾張―駿河―相模走水(はしりみず)
―上総(かみつふさ)―常陸新冶(にいばり)―筑波―相模足柄―甲斐―科野(しなの)―尾張―近江伊吹山―伊勢能煩野(のぼの)
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