30年も待たされたガラパゴス上陸
話題の映画「REVOLUTION+1」映画監督 「足立 正生」
安倍晋三元首相の銃撃事件で逮捕された山上徹也容疑者 2022年12月28日 09:17記事
この事件について、諸般の仮説はいろいろあっても、それが真実であるかどうかを証明するものがないという点で、すでに迷宮化している。そうした状況下で「山上徹也」を犯人また容疑者と呼んでも、なんの指標にもならない。だとしたら、あるがまま、を記録するしかないだろう、というのが足立監督のスタンスであったと思われた。
さらに制作者「足立」氏の経歴が社会でも物議を醸しているが、それはまったく日本的な観点の「色眼鏡」以外の何者でもない。更に言ってしまえば、そうしたメディアの口車に載せられた「一般人の声」というのは、一つのムーブをつくるという恐ろしい起爆剤を秘めている。(こうした反体制的な書評また記事は、ここでは敬遠されスルーされることを念頭に記しておく。ちなみに今朝のnoteからの通知で19000のスキ記録、というのを受けた)~~~
不評を承知でアップした当該記事、予想通りPV下位で、殆どnote内耳目にされされることはなかった。その理由を、ここでその諸説を云々したところで始まらないがアルゴリズムらよって選別されたことは明らかだった。なぜか、その話題性からして、noteに相応しくない、とアルゴリズムが判断(決して人の手間ではない)したというのは自明だった。
年度末に相応しい記事の総決算として相応しい話題とはなにか?
師走だからといって、相応の話題があるわけではないが、それぞれ個人的には、感心事のニュースはあるだろう。私の場合は、そのちまた云う「ガーシ―」ドバイ配信だった。
そんな観点からすると、これから書く「ガーシ―」井戸端テーマは、長時間にわって社会の感心を集めて、人々に話題を提供したことになる。
その核心部分が「よくわからない」点で、むしろそれが注目されたのかもしれない。
■東谷義和(ひがしたによしかず)<50歳当選:1回目 ユーチューバー 比例代表287,714 (政党名票 834,995)
当選したものの、一度も国会登院しないという前代未聞の 行動に、当局も社会も頭首立花氏も、考いあぐねてしまい、「もう帰ってこんでいい」と立花氏はサジを投げてしまった、ようだった。
その後の経過と、なりゆきについては判らないし、なんともいえないが、私の視点としては、人事的な顛末は別として、法律的な解釈と措置は、どの方向に進むのかという懸念があった。
昨今、ネットリテラシーの言論界もさることながら、誰が、どこから発信しているのかがランダムで、話の内容によっては、そのことを考える必要も生じるという、ややこしい会話になっている。
また、今話題の成田悠輔さんの場合にしても、肩書は准教授になっているが、そこがアメリカの場合、日本国内で動画活動しなかがら、大学で講義をするという変則スタイルは、今日的コンテンツのリモートワーク、オンラインシステムが完備していて、それが条件になっているので可能だ。
それとおなしようなケースとして、ドバイガーシ―の場合とか、おなじフランス在住の「ひろゆき」の場合だったり、またシンガポールだとか、昔だったら外人発のケースが、日本人が外国からリモート配信するのが日常的になっている。それをグローバル化、と云えばそうなんだろうが、その比率が拮抗した場合、日本人同士が、他国間を介して交信するのをグローバル、と呼ぶかどうか、その定義もむずかしくなってくる。
そこに少子高齢化とか、国内出生率激減による若年世代先細り減少とか、わいわい騒いでいるわりに、なにも打つ手がないという惨憺たる状態は、誰の責任かといったら政府でもなければ社会でもない、当事者が結婚しない、そこに子供も生まれないという現実に、まるでブラックホールの巨大な穴が開いてしまった空疎感があった。
そこに「失われた30年」という金科玉条の定型句を、すっぽり納めて涼しい顔をしている経済界の重鎮たちは、その成田語録の牙城にとらえられて、狼狽するのが関の山で、机の前に積まれた書類の山の、登頂記録でもチェックするのが日課になっているという寂寥感は、他から見ても閉塞そのものでしかない。
その「失われた30年」というタイムラグは、どこが原因になっていたのかわからないという、言い訳はもはや通用しない。
その30年スパンというのは、ちょうどIT産業が大挙してアメリカから押し寄せた第二次黒船来航のようなもので、今日的なG・A・F・A+Mは、すでに国家的戦略として、それらを促成栽培していたことに日本は、しらんふりしていて、たまさか一挙に、それか上陸したとき、国内新聞アナログメディアが、軒並み大反対の水際作戦に打って出た。
要は、同じニュースであってもタブロイド判紙活字新聞と、たかだか20インチ四方のマス内に、ニュースもあれば音楽も絵画も小説も、後のテレビ仕様の動画YouTubeによっても、あにらゆジャンルを網羅する媒体の底力を、見聞することなど、おもいもよらなかった。
その時間スパンを、30年として括ると、まさにジグソーパズルの一片がピタと収まることを、その頃誰も予想しなかった。
そして今日、衝撃的なガーシ―の起こしたアクションは、そのジグソーパズルの二片目を探し出して、嵌め込んだというスパイラルのような気がしてならないのです。
日本は、その30年空白をまるで「浦島太郎」のような夢心地物語として浮遊していて、海から上がった陸の孤島は、すでに他の人によって、覆い尽くされていた。と勘違いしている。
「その他の人」、というのが誰なのか、それは云わずもなが、ガーシ―、ひろゆき、さらにより強固な弁者、成田悠輔のようなギリシア的吟遊詩人が、奥の院に鎮座する井戸端元老院議会の、ガラパゴス言語を、木っ端微塵に打ち砕くという、快挙を打ち立てたことはパラドックスとして万死に値するといってもいいでしょう。
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