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雨月物語の系譜

知らない世界が、そこにある?

天才偉人とは別の一介の官吏人がした仕事の重さ」
奈良時代の公卿・学者。氏姓は下道朝臣のち吉備朝臣。右衛士少尉・下道圀勝の子。官位は正二位・右大臣。勲位は勲二等。
出生地: 岡山県 倉敷市 生年月日: 西暦695年 死亡日: 西暦775年

昨日の記事は、はるか昔、通説1300年という尺で語る、古典というより、入試試験問題のような重要案件で、これが日本歴史また現社会に及ぼした影響は計り知れません。

テレビで昔の話しをするとき、よく1300前云々、というフレーズを使いますが、それは確たる記録書、古文書文献が証拠としてあるので覆しようがない、という意味が含まれているからです。
それが大河ドラマなどで、その時代を再現し考証でも、そうした文献を漁って表現するのは云うまでもないことです。

そけでも演じる役者は、現代人ですから、いくら《感情移入》したとしても、顔のしわヒダまで、1300年には届かない、そんなことを思います。

昨日の「稗田阿礼」については、当時の資料が限定されてますので、いまいち人間の輪郭が確定できませんが、なかなか魅力のあるキャラクターであることに間違いないです。
いや、実体のある人物だ、とは云えませんが、想像力で作り上げたキャラであるとしたら、いくらでも書けると思うからからです。そんなことを思わせる当時の「舎人」です。
■【舎人】(とねり) 天皇・皇族などの身近に仕えて、護衛・雑役・宿直などに携わる下級の役人。 「大舎人(おほどねり)」「内舎人(うどねり)」「小舎人(こどねり)」などの別がある。 平安時代には、摂政・関白以下、貴族にも仕えた官吏を云う。
(私見、古墳時代に長期に渡って時代を形成した技術頭脳集団、いまでいうガーファに相当する)

昨日の記事は古典でありながら、高いVPを挙げましたが、末尾では、今風事件のホームレス女性暴殺を載せたので、それも影響したのだと思います。

もともと、まったくリンクしない内容の筋でしたが、ある動画(AV女優)の演技と生い立ち記録を読んでいて、その二者共通項を発見した、そう感じたからです。
いってみれば「運」に見放された、なにをーしても結ばれない、そんな薄幸を強いられるヒトは、自分でもあるし、知人のあいつ、でもあるし、はたまた時代小説の貧困女性の「どん底」を描いた本は、いかんともしがたいほど心に響き渡るもので、いつまでも残滓として残響するのです。

その薄幸なヒロインが劇団員「大林三佐子」だったわけです。また「劇団員」という社会末端のような響きも、それに拍車をかけていたように思われました。

そうした連作から少し離れて、今朝は「雨月物語」という少し新しい時代の映画の評です。

世代的に、今風ではないし、勇ましい戦闘チャンバラがあるわけでもない作風ですが、その時代の日常をよく語っていて、また田舎情景もよく描かれいいた。プロットとしては、かつて由緒ある屋敷にまつわる謂れ、を語った一種の幽玄世界を表現した画風でした。

原作、モーパッサンの短編小説、「妻の貞操と引き換えに念願の勲章を手に入れる」というモチーフなど、黒澤明の「羅生門」も同様に近似する筋のようでした。それを演じたのが同じ役者の「京マチ子」だったのは、偶然の役者ではなく、何れの監督にアピールするエロチズムが芳香していたからでしょう。
また、そのハニートラップを使って男を騙し、子孫「種」の保存の画策と云うのは作家安倍公房、「砂の女」もまったく同じプロットです。

それをもろに表現したのではエロになってしまいますが、そこに文学的また時代的背景の「命の存続また家系」を織り込んで呪術的な色合いを吹き込むと云うのは、観る人を納得されるに十分な弁疏(べんそ、いいわけ)でした。それを喩えていうなら、朝喰うメシのおかず味であり、その糠付け一片だけで何杯も飯が喰えるのと同じ意味でした。

ですから無意味に死んだ劇団員「大林三佐子」は、その化身といべきAV女優によって蘇生するという私の手はずです。
そうでもしないとその彼女の64年間は、なんであったのか、という社会のジェット空洞に吹き飛ばされてしまうからです。

雨月物語 (映画)
監督 溝口健二
脚本 川口松太郎
依田義賢
原作 上田秋成

『雨月物語』は、1953年(昭和28年)3月26日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は溝口健二、主演は森雅之、京マチ子。モノクロ、スタンダード、96分。

上田秋成の読本『雨月物語』の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編に、モーパッサンの『勲章』を加えて、川口松太郎と依田義賢が脚色した。戦乱と欲望に翻弄される人々を、幽玄な映像美の中に描いている。海外でも映画史上の最高傑作のひとつとして高く評価されており、第13回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。

雨月物語あらすじ 村にて
近江の国琵琶湖北岸の村に暮らす貧農の源十郎は、畑の世話をする傍らで焼物を作り町で売っていた。賤ヶ岳の戦いの前に長浜が羽柴秀吉の軍勢により占領され、賑わっていることを知った源十郎は、妻の宮木と子を残し、焼物を載せた大八車を引いて長浜へ向かった。義弟の藤兵衛は、侍になりたいと源十郎に同行する。源十郎は大銭をもって村へ帰ってきた。藤兵衛は市で見かけた侍に家来にするよう頼み込むが、具足と槍を持って来いとあしらわれる。

源十郎は戦が続くうちに、さらに焼物を作り大儲けをしようと、人が変わったように取り組むが、宮木は親子3人が幸せに暮らせればそれで充分なのに、とつぶやく。源十郎と藤兵衛は焼物を窯へ入れ、火を付けるが、折り悪く柴田勝家の軍勢が村へ近づいて来た。男は人足として徴用され、女は乱暴される、と村の人々は山へと逃げだす。窯の火は消えていたが、焼物は綺麗に焼けていた。

離散
皆は裏道を使い湖畔に出て、そこから捨て船で対岸の丹羽氏の城下・大溝へ向かうが、海賊(湖賊)に襲われたという瀕死の男が乗る船と出会い、宮木と子はやはり村へと返すことにする。大溝で源十郎の焼物は飛ぶように売れる。分け前を手にした藤兵衛は、今度こそ侍になるのだと、阿浜を振り切って逃げ出し、具足と槍を買って兵の列に紛れる。探し疲れた阿浜は兵の集団に捕まり、強姦された。兵から代金だと銭を投げ捨てられた阿浜は、藤兵衛を呪う。

市で焼物を届けるように頼まれた源十郎は、若狭という上臈風の女の屋敷へ向かうが、座敷へ上げられ、饗しを受けた。織田信長に滅ぼされた朽木氏の生き残りであるという若狭に惹かれ、源十郎はこの家に居つく。

そのころ、湖岸で別れた宮木と子は落武者勢に見つかり、宮木は槍で一突きされ殺されていた。いっぽう、藤兵衛は戦に敗れ切腹した敵大将の首を拾い、自らのものとすることで手柄を立てた。馬に乗り家来を連れて村へと凱旋しようとする途中で寄った宿で、遊女に成り下がった阿浜に出会い、許しを乞う。

町の着物屋で源十郎は買い物をするが、朽木屋敷へ届けるよう言うと、店の主は恐れ代金も受け取ろうとしない。帰り道では神官から死相が浮かんでいる、家族の元へと帰りなさいと諭され、死霊が触れられぬように呪文を体に書いてもらう。家族の元へと帰りたいと切り出した源十郎を若狭は引きとめようとするが、呪文のために触れることができない。源十郎は倒れ、気を失う。

帰還
翌朝、源十郎は気が付くと朽木家の屋敷跡だという野原の中で目を覚ます。金も侍に奪われた源十郎は村へ戻るが、家々は荒らされ、子は村名主に引き取られていた。源十郎は囲炉裏で飯の用意をする妻の宮木の幻を見て、自らの過ちを悟る。阿浜と村へ帰った藤兵衛が畑を、源十郎は焼物作りに取り組んでいるシーンで映画は幕を閉じる。

原作との対応
短編集形式の『雨月物語』からの2篇、「浅茅が宿」と「蛇性の婬」が原作である。「浅茅が宿」は、行商に出た男が数年ぶりに帰ると、我が家から微かに光が漏れており、出迎えてくれた妻と一夜を共に過ごすと辺りは荒れ地になっていて、実は妻は死んでいてその幽霊に迎えられていたという話。「蛇性の婬」は、男が豪邸に住む女に見初められるが、その女は実は物怪で……(原作はまだ続く)という話である。

これらは、兄の源十郎と宮木の物語に使われている。物語の大枠は「浅茅が宿」だが、源十郎が長く家に帰らなかった理由が、「蛇性の婬」の要素に差し替えられている。

ただし、多くの固有名詞や設定は異なる。主要人物の中では、妻の名「宮木」だけが原作どおりである。地理も異なるが、映画の舞台の近江国は、「浅茅が宿」の主人公が帰路で病に倒れる地として現れている。
本作は『雨月物語』の他に、モーパッサンの短編小説「勲章」を元にしているが、明確に「勲章」を基にしたストーリーや設定はないものの、「妻の貞操と引き換えに念願の勲章を手に入れる」というモチーフが、弟の藤兵衛と阿浜の物語と共通している。

1953年にヴェネツィア国際映画祭に出品され、銀獅子賞を受賞した(金獅子賞は該当なしだったため実質的にはこの年の最優秀作となった)のを機に、1954年にアメリカ、1959年にフランスで公開されるなど海外でも上映され、フランスの映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』が発表した年間トップ10(英語版)では1位に選ばれるなど賞賛された。この作品もほかの溝口作品と同様に、ジャン=リュック・ゴダールやジャック・リヴェットなどのヌーヴェルヴァーグの映画人に大きな影響を与えた。

溝口健二監督が前作「西鶴一代女」に続き、またしてもヴェネチア国際映画祭で受賞。日本が誇る国際的巨匠“ミゾグチ”の名声を決定的なものとした、同監督の代表作の一本。

ヴェネチア国際映画祭では銀獅子賞とイタリア批評家を受賞。戦乱下の京の都と近江の国を舞台に、世俗の欲に取り付かれた2人の男がそれぞれ体験する夢幻的世界を、ジャン= リュック・ゴダール監督も驚嘆した幽玄妖美な映像テクニックを駆使し、神秘的に表現。霧のたちこめる琵琶湖を小舟が滑走していく場面の息をのむ美しさ。
死霊の化身に扮した京マチ子の優美な妖しい魅力。死後に霊と化し、夫の帰宅を天上から優しく見届ける田中絹代の包容力に満ちた愛情。すばらしい見どころが全編にちりばめられた必見作だ。

その後も批評家や監督から高い評価を受けている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには27件のレビューがあり、批評家支持率は100%、平均点は9.45/100となっている。
映画批評家のロジャー・イーバートはこの作品を「すべての映画の中でもっとも偉大な作品の一つ」と評しており、最高評価の星4つを与え、自身が選ぶ最高の映画のリストに加えている。マーティン・スコセッシはお気に入りの映画の1本にこの作品を選んでいる。
BFIの映画雑誌『Sight & Sound』が10年毎に発表する史上最高の映画ベストテン(英語版)では1962年と1972年の2度のランキングでベストテンに選ばれた。また2012年のランキングでも批評家投票で50位、監督投票で67位に選ばれており、監督ではスコセッシ、マノエル・ド・オリヴェイラ、ミカ・カウリスマキらが投票した。2005年に『タイム』が発表した「史上最高の映画100本」にも選出されている。

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『蛇性の婬』(じゃせいのいん)は、1921年(大正10年)製作・公開、栗原喜三郎監督による日本のサイレント映画、長篇劇映画である。上田秋成の原作を谷崎潤一郎が脚色した作品として知られる。 
ハリウッド出身の映画監督トーマス・栗原こと栗原喜三郎が、横浜に撮影所を持つ大正活映で監督した1作である。上田秋成の18世紀の小説『雨月物語』のなかの一篇『蛇性の婬』を原作に、小説家で同社の顧問であった谷崎潤一郎が脚色した。同作は、のちに溝口健二が『雨月物語』中の他の一篇『浅茅が宿』の要素を加えて、1953年(昭和28年)、『雨月物語』のタイトルでリメイクしている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

参考動画 「雨月物語」

動画 受賞

WOWOW INC.



劇団員「大林三佐子」概説一部掲載


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