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将軍「SHOGUN」吉井虎永の描く世界制覇

将軍「SHOGUN」吉井虎永(真田 広之)
東京物語(笠 智衆) どちらが好きか?

そんな愚門ですが、その解答は殆ど無意味であることは、充分承知の上です。
いま、YouTube検索すると、どこもかしこも、その将軍「SHOGUN」だらけで、ディズニープラスの広告戦略には脱帽してしまいます。まさにすべての戦略がアメリカ的で、その物量作戦において、やはり日本は、その加護下でないと生きられないというのは、まったく政治経済軍事面で同質のカテゴリーで括られると思います。

としても、プロデューサー真田氏の尽力で世界制覇を果たした功績は、まさに映像世界の金字塔でした。

将軍「SHOGUN」はここでし一度紹介しましたが、やはり日本発の「東京物語」と比較すると、何が違うのか、私なりに考えてみました。

私がいつも云っていることですが、私はその世界で仕事をしているまた関係者の人間とは、全く縁はなく、ただただ素人目線で語るだけで、そのことだけは、はっりしております。

ですから、真田広之氏もスタントマンのころから敬愛してましたし、笠智衆氏については、大幅な時代のズレは在りましたが、「好き」という文言の括りは全く違和感はありません。

そんなアプローチをした理由ですが、どちらも「ベストセラー」という意味では、誰もが知っているというマス化の産物です。

ただし、「東京物語」については、その将軍とは比べるものがなにもない、という異次元なのですが、なぜか、ヒトの心をつかんでいる、ということです。

ですからその「東京物語」で演じている笠智衆のように、多くを語らない、センテンスが短すぎて、よく考えないと前後設定を理解するのに時間が掛かる、など(監督シナリオ指示)があって、それが物語全編を覆っている。

欲を云えばそんな文言文書(note原稿など)が書けないかといつも算段しているのですが、ついつい字数オーバーで余白まで、字がはみ出している。(多分それは世の風潮に感化されているから)

もう一つ、社会潮流の激変要素として、法律「人権」があります。いま世界的には子供の「人身売買」は規制されてますが、150年前(西洋植民地奴隷制)など、それを商品として売買していた。
それは外国に限って事ではなく、日本でも明治維新から昭和初期にかけて、特に女性(未成年)が家のために金銭担保として、その筋に売られるというのは既成のシステムであったようです。それを詳細に描いた映画がありました。

■映画 陽暉楼(ようきろう) 1983年公開の日本映画。監督:五社英雄原作宮尾登美子脚本:高田宏治。出演緒形拳、池上季実子、浅野温子風間杜夫丹波哲郎、倍賞美津子ほか。第7回日本アカデミー賞最優秀監督賞、最優秀脚本賞受賞、最優秀主演男優賞(緒形拳)、最優秀助演女優賞(浅野温子)、最優秀助演男優賞(風間杜夫)ほか受賞。

内容としては、廓(くるわ)世界を描いた女性物語ですが、贔屓(ひいき)客の子を宿して、それが誰なのか判らない女の葛藤を描いたものでした。(五木寛之「朱鷺の墓」など同じ物語)

そうしたくるわ世界では、当然、家の担保ですから未成年の少女が対象でした。人身売買は、それを目的とした性の商売であり、今では「セクハラ」として厳しく罰せられます。また昨今、未成年少女買春犯罪が、頻繁に報道されるのは、紀元前よりあった性売買が、今でも存続し健在という証しです。

日本の時代劇にしても、主君後継ぎ嫡男は必須問題で、優秀な後継者を作るには、多くの女性を選んで、そこに年齢限定は存在せず、未成年だとして産めよ増やせ、が目的のようでした。
まそれは広大な自宅敷地内で無免許運転しても、違反にならないロジックですから、とくに騒ぐ問題でもないのですが、喫緊のニュースで「松本人志」セクハラがありますが、一般的に場合によっては生死を分ける問題になる。

もっと判り易い例では、それを私の身上に置いた場合を想定してみました。かりに家族の孫が年頃の未成年13、14歳女子とします。それが何かの時点(よくある魔が差した)で、その友だち交友関係が発展して、セクハラ肉体関係に至った。
勿論、全部内密の話しだったのですが、どこからか漏れて、ある筋に捕捉されていた。(よくあるネット配信動画プロット)
それをネタに恐喝メールが届くようになる。初めは挨拶程度が、やがて本格的な恐喝になり、高額身代金要求にいたる。
結果的には八方塞り状態に陥り、経済的自己破産、社会的制裁に陥ることを想定すると選択の余地はどこにもない。そんな結末です。

時代が変われば、「一身上の都合」をいくら連呼したところで、ネット社会はそれを絶対許さない、という今のトレンドです。

はなしが逸れましたが、そんなことで未成年女子人権の扱いは、時代によって金銭換算されていた、という歴史の証言でした。

こんな話題では、その「笠智衆」世界の再現とは、程遠いスタイルになりました。
その真向対立軸の「将軍」は、西洋風エンターテイメント日本時代劇として新機軸のイノベーションを切り拓いたリアルな仮想世界であると、私は高評価しました。

仮想「徳川虎永」を描いたアメリカスペクタクル日本時代劇

徳川家康ら、歴史上の人物にインスパイアされた「関ヶ原の戦い」前夜、窮地に立たされた戦国一の武将<虎永>と、その家臣となった英国人航海士<按針>、二人の運命の鍵を握る謎多きキリシタン<鞠子>。歴史の裏側の、壮大な“謀り事”。そして、待ち受ける大どんでん返し。SHOGUNの座を懸けた、陰謀と策略が渦巻く戦国スペクタクル・ドラマシリーズ。

■「人はなぜ戦うのか」 シカゴ大教授「米シカゴ大のクリストファー・ブラットマン教授」が考える独裁者たちの思考 朝日新聞
世界の安保危機 聞き手・牧野愛博 2024年2月2日 9時00分
2024年もウクライナや中東で戦火がやみません。米シカゴ大のクリストファー・ブラットマン教授は著書「WHY WE FIGHT(邦題・戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか=草思社)」で、武力紛争を引き起こす要因として「私的利益」「思い入れ」「はったり」「疑心暗鬼」「楽観バイアス」の五つを挙げます。部分引用

『東京物語』(1953年)で原節子が演じたヒロインはすべて「紀子」という名前であり、この3作品をまとめて「紀子三部作」と呼ぶことがある。昭和28年度文化庁芸術祭参加作品。

上京した年老いた両親とその家族たちの姿を通して、家族の絆、親と子、老いと死、人間の一生、それらを冷徹な視線で描いた作品である。

戦前の小津作品、特に『戸田家の兄妹』などにすでに見出されるテーマだが、本作でより深化させられることになった。「ロー・ポジション」を多用し、カメラを固定して人物を撮る「小津調」と形容される独自の演出技法で、家族を丁寧に描いている。家族という共同体が年を経るとともにバラバラになっていく現実を、独特の落ち着いた雰囲気でつづっている。

笠 智衆は、日本の俳優。身長171cm。 1925年に松竹に入社し、10年間ほど大部屋俳優として過ごした後、小津安二郎監督に見いだされ、彼の『大学よいとこ』で助演。以降『晩春』『東京物語』など、小津作品には欠かせない俳優となった。 

作品は国内外において極めて高く評価されている。Rotten Tomatoesでは51件の批評家レビューがあり、100%の批評家支持率を保持し、平均点は9.3/10となっている。
2012年に英国映画協会の映画雑誌『Sight&Sound』が発表した史上最高の映画ベストテン(英語版)の映画監督が選ぶランキングでは第1位、2023年ではトップ100で同率第4位を記録している。主なオマージュ作品にヴィム・ヴェンダースの『東京画』、ジュゼッペ・トルナトーレの『みんな元気』、侯孝賢の『珈琲時光』、ドーリス・デリエの『HANAMI』、山田洋次『東京家族』がある。

尾道に暮らす周吉(笠智衆)と妻のとみ(東山千栄子)は、小学校教師をしている次女の京子(香川京子)に留守を頼み、東京にでかける。ふたりは下町で小さな医院を開業している長男の幸一(山村聡)の家に泊めてもらうが、東京見物に出ようとしたところで急患が入り、結局でかけることが出来ない。
その後、やはり下町で美容院を営む志げ(杉村春子)の家に移るが、志げも夫(中村伸郎)も忙しく、両親はどこにも出かけられぬまま二階で無為に過ごしている。志げは、戦死した次男の妻の紀子(原節子)に一日両親の面倒を見てくれるよう頼む。紀子はわざわざ仕事を休んで2人を東京の観光名所に連れて行き、夜は彼女の小さなアパートで精一杯のもてなしをする。

幸一と志げは金を出し合って両親を熱海に送り出す。しかし志げの選んだ旅館は品のない安宿で、夜遅くまで他の客が騒いでいるため2人は眠ることができない。翌日、2人は尾道に帰ることに決め、予定を切り上げていったん志げの家に戻る。ところが志げは、今夜は同業者の集まりがあるのでもっと熱海でゆっくりしてきてほしかったと迷惑そうな態度を取る。

2人は「とうとう宿なしになってしもうた」と言いながら今夜泊まるところを思案し、狭い紀子のアパートにはとみだけが行くことにする。紀子と「とみ」は親しく語り合い、紀子の優しさにとみは涙をこぼす。

一方周吉は尾道で親しくしていた服部(十朱久雄)を訪ねるが、服部は家に泊めることは出来ないから外で飲もうと言い、やはり尾道で親しかった沼田(東野英治郎)にも声をかけて3人で酒を酌み交わす。結局周吉はしたたかに酔い、深夜になってから沼田と共に志げの家に帰ると、2人とも美容室の椅子で眠り込んでしまう。志げは夫に対して父への文句をぶちまける。

翌日、皆に見送られて帰路の列車に乗った2人だったが、とみが体調を崩し、大阪で途中下車して三男の敬三(大坂志郎)の家に泊めてもらう。回復したとみと周吉は、子供たちが優しくなかったことを嘆きながらも、自分たちの人生は良いものだったと語りあう。

2人が尾道に帰って間も無く、母が危篤だという電報が届き、3人の子供たちと紀子は尾道にかけつけるが、とみは意識を回復しないまま死んでしまう。とみの葬儀が終わった後、3人は紀子を残してさっさと帰って行ってしまい、京子は憤慨するが、紀子は義兄姉をかばい、若い京子を静かに諭す。

紀子が東京に帰る日、周吉は紀子の優しさに感謝を表し、早く再婚して幸せになってくれと伝えて、妻の形見の時計を渡す。紀子は声をあげて泣く。
翌朝、がらんとした部屋で一人、周吉は静かな尾道の海を眺めるのだった。

引用ウイキペディア 


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