瞽女唄(ごぜ)
瞽女唄に魅せられた外人記者の記事配信は、逆輸入というべきか
まず「瞽女」の意味ーを探すことになる。しかし、それを読めないことには先に進まない。
この程度の検索はいずれにしてもChatGPT要請はしなくていいし、また適当なアンサーを提示されて、その意味構成をいじる手間を考えたら、最初から必要ないだろう、という身もふたもない徒労感がある。
久しぶりに日本古典の話題に戻ったが、書く本人もふくめて、その時間差(浦島太郎効果)、というのは簡単にはシンクロしないし、また読者にとっても、頭の切り替えが難しいと読んだのだが。
であってもそのモチベーションというか、とっかかりは、そもそも外人女性記者が日本の古典楽器三味線に興味をもち、さらに盲目歌手の謳う曲にうっとりする、という破天荒は、なかなか理解するのに苦労する。(といっても最近、そうした外人が多くなってきた)
そこで、その「瞽女歌」を解説すると云っても、大変な作業だし、何だったら2020年の映画「瞽女」(動画ガイド)を見た方が早い、という手もあったが、それ昔の「おしん」のようだったので勧められないと感じた。
盲目の「シンガーソングライター」として説明したら、判り易いだろう。と云っても、時節柄、日本で唯一最後の語り部、といったら、どう思うだろうか。
いまどき邦人、外タレコンサートでは、アリーナ5.6万コンサートは極普通で、当然売上にしたって相乗するのは当然な話しだろう。いやいや時代トレンドを比較してもしょうがない。
この記事をかくにあたって、詳細を検索すると、ある部分では「御前」系譜もある、と書いてあったので、その鎌倉時代の「静御前」について少し書いておこう。
静御前と白拍子
「白拍子」という言葉はもともとリズムの名称で、そのリズムに合わせて歌い舞うこともまた「白拍子」といい、その芸能をする人自身も「白拍子」と呼ばれ平安時代末から鎌倉時代に流行した。
平清盛に愛された〈祇王〉〈仏御前〉、戦で捕虜になった平重衡と恋に堕ちた〈千手前〉、源義経の愛妾〈静御前〉がその代表だ。
■「千手の前」は平安時代末期の女性。『平家物語』によると駿河国手越長者の娘。ただし『平家物語』や『吾妻鏡』は捏造部分も多いため実在については怪しまれている。
これらの白拍子は美しいだけでなく、当時公達の間で流行していた「今様」「朗詠」といった歌謡や「管弦」「和歌」などの教養を備えていた。そして本芸である白拍子の歌や舞に自らの思いを託し、物語や歴史に名を残した。
室町時代初期には衰退してしまった白拍子は、詳細な記述が少ない。
白拍子の芸の核は、その名の通りリズムにあり、リズムに合わせ歌い舞い、拍子を踏み回るものである。白拍子の芸は「歌ふ」「舞ふ」とは言わず「数ふ」という動詞が使われます。何かを数えるような芸能だったのか。
また、二段構成をとっているのが特徴です。白拍子のリズムに合わせ「物尽くし」の長い歌を歌いながら静かに大きく旋回する前段、乱拍子のリズムに合わせ和歌を歌いながら激しく拍子を踏み回る後段。特にこの後段部分は「セメ」と呼ばれ、ここでどのような和歌を歌うのかが、白拍子のセンスの見せ所だ。 部分引用
それを「瞽女」と比較し時間を取り除いても、二者がシンクロすることはないとおもった。しかし、共通項は女性である、ことたっだ。
盲目の芸人として有名な「座頭市」がおもい出されるが、それはあくまで創作時代劇で、参考にならない。
ではその違いはどこなのか。
■座頭は、江戸期における盲人の階級の一つ。またこれより転じて按摩、鍼灸、琵琶法師などへの呼びかけとしても用いられた。今日のような社会保障制度が整備されていなかった江戸時代、幕府は障害者保護政策として職能組合「座」を基に身体障害者に対し排他的かつ独占的職種を容認することで、障害者の経済的自立を図ろうとした。
■瞽女は、目明きの手引きに連れられて、三味線を携えて僻陬の村々を唄をもって渡り歩いた日本の女性の盲人芸能者を意味する歴史的名称。その名は「盲御前」など、中世以降の貴族などに仕える女性の敬称である「御前」に由来する説と、中国王朝の宮廷に務めた盲目の音楽家である「瞽師」や「瞽官」の読みから転じた「瞽女」に由来する説がある。 ウィキペディア
傀儡子(くぐつ)集団の源流
「傀儡」は中国語で人形を意味し、中国の偶人戯(人形劇)の人形も傀儡子と呼ばれる。「くぐつ」という音は、日本語古語説、中国語説、中国語経由の朝鮮語説など諸説ある。
「奈良時代の乞食者の後身であり、古代の漁労民・狩猟民である」とする林屋辰三郎説、「芸能を生地で中国人か西域人に学んだ朝鮮からの渡来人である」とする滝川政次郎説、「過重な課役に耐えかねて逃亡した逃散農民である」とする角田一郎説などがある。
また、平安時代の文人、大江匡房の『傀儡子記』に日本民族とは異なる習俗であるとあり、インドからヨーロッパに渡ったジプシーと同源で、インドから中国・韓国経由で日本に来た浮浪漂泊の民族とする奇説もある。白柳秀湖は、大江匡房の『傀儡子記』の記述から、「傀儡子」は大陸のジプシーが中国・朝鮮などを経て渡来した漂泊の民族であるが、「傀儡師」は時代が下り、その芸能を受け継いだ浮浪の人々であり民族的なものではない、としている。 ウイキペディア
日本最後の語り部(ソングライター) 広沢里枝子(65)の心の地声
英「ガーディアン」紙による配信記~
広沢が瞽女(ごぜ)唄(盲目の女性たちの歌)を習いはじめてから、かろうじて10年が過ぎたところだ。瞽女唄は4世紀もの歴史がある驚くべき音楽のジャンルだが、大半の日本人はおそらく聞いたことがない。
ベテランの落ち着きぶりで、彼女がこうして演奏しているのはすごいことだ。その理由はふたつ。まず瞽女唄には楽譜が一切ない。そして、たとえ書かれたコードや音符があったにせよ、広沢はそれを読むことができないのである。
「幼い頃から、いつか失明するとわかっていました」
こう話す広沢の自宅は、長野県東御市の丘の中腹にあり、遠くに北アルプスの稜線が見える。そうした状態にもかかわらず──いや、そういう状態だったからこそ、広沢は瞽女唄にゆるぎない精神的な結びつきを感じている。
瞽女とは、旅回りの楽師をして生活していた盲目もしくは弱視の女性たちのことで、19世紀後半には数百名存在していたという。江戸時代にこの伝統が栄えた東日本地域で、広沢は瞽女の遺産を守る運動の中心人物となっている。広沢はこう話す。
「瞽女さんたちは、それはもう厳しい生活をしながら唄を歌っていたのです。生き残るだけでも大変でした。音楽でもって目的意識を持ち、その技術を弟子に継承していったのです」 記事一部抜粋
全文記事 拙著ライブドア ブログ
瞽女唄に魅せられて 一人の目の不自由な女性が、消えゆく日本の伝統音楽を守る
2024/8/17(土) 18:04配信 クーリエ・ジャポン
かつて、目が不自由だった女性たちが収入を得るために歌ってきた瞽女唄。現代では消滅の危機にあるこの伝統音楽を守ろうと、歌い続ける一人の女性がいる。英「ガーディアン」紙が、現地を訪れた。
【画像】 広沢里枝子 NHK
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