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つながる遺伝子歴史の長さウンブキ

師走~、すっかり休日モードに入った方もいることでしよう。そんな人たちのために、一筆、書いてみようかな、と思いました。どうせヒマに任せて書く戯言など、大したものでもありませんから。

昨日、NHKで「秋刀魚の味」(小津安二郎 カラー映画)を見たので、その感想文と時代という変遷推移のタイムスリップを、直に感じた、という驚きです。

『秋刀魚の味』、1962年(昭和37年)の日本映画。カラー、スタンダードサイズ(1.37:1)、113分。製作・配給:松竹。監督:小津安二郎。
平山周平:笠智衆
平山路子:岩下志麻
平山幸一:佐田啓二
平山秋子:岡田茉莉子
田口房子:牧紀子
河合秀三:中村伸郎
河合のぶ子:三宅邦子

佐田啓二と云うのは、現「中井 貴一」の父親で、まったく本人かと見間違いうほどでしたよ。なにしろ61年前の映画ですから、その時代背景とか役者を知っている人口と云うのは、今ほぼ団塊世代しかいない。

映画の主役は、勝手知ったる「笠智衆」ですから、云うことありません。何しろ題名が「秋刀魚の味」ですから、その人を置いてほかにない。

それを全く知らない人のためにダイジェストを書いておきましょう。

■妻を亡くし、娘と共に暮らすサラリーマンの男。彼には年頃の娘がいたが、縁談話が持ち込まれても嫁がせず、身の回りの世話をさせていた。そんなある日、同窓会に顔を出した彼は、恩師の娘が父親の世話に追われて独り身のままでいることを知り、我が子の将来を案じるようになる。
公開日: 1962年11月18日 (日本) 監督: 小津 安二郎

そんな短文ですから、若い世代は全くわからない。というより当時の日本(舞台は東京)景色空気感を想像できない。多分、祖父母の写真など見て知っている程度で、それが日本だと理解できないでしよう。

ですから、ここで説明しても無理なので、全部想像、イマジンで仮想してください。

娘役の「岩下志麻」は、あの侠客シリーズで「あほんだら撃てるもんなら撃ってみんぃかい」と大見栄を切った姉御役が岩下でしした。(極道の妻たちより)

「秋刀魚の味、極道の妻たち」の岩下と、いまの岩下が全く同じ、というのも驚き。
『極道の女やったら、腹くくって、もの云いや』とね。

それで「秋刀魚の味」は、サンマの味で、ヒラメでもサバでもなく、七輪で焼いたあの秋刀魚であり、庶民の昼飯のおかず定番でした。

ですから、その映画の筋は、夫婦間の不和が原因で、夫婦間の不倫のもつれによって、離婚したいが離婚しないで、その間に、娘と始めてしまって近親相姦が世間に報道されて、男が自殺したのに妻は、別の男と結婚して、それと娘がまた初めて、という現代ドラマが描くシナリオではなく、娘が、家を出なくて困ったので、会社の上司に相談して、結婚話しが決まって、無事式を済ませた安堵の父親が抱く寂寥シーンでラスト、というそれだけの話しです。

いまどきの二ホンで、そんなナリオをもって出版社、テレビ局、映画社、ニュース社、ゲームソフト企画、などに持ち込んだら全部、没で門前払いは確実です。

そして今日本の「小津安二郎監督」映画が、世界から注目を集めている。

つぎは、ウンブキ縄文時代の長さ、について

その原稿は 12月8日にかきましたが、以来、日本歴史の見方が随分代わりました。

これまで古代史の核は「古事記」を基に、神代から始まって統治された、という認識でした。
まあ、それはそれでアバウトに、間違いではないものの、長い間「神に」支配された民、という仮想的実録をなんとなく認識していたのですが、それが「ウンブキ」遺跡の発掘と解析によって、そうした伝承と記録と発掘が、すべて赤い糸でつながった、という回答にたどり着いた、ということでした。

ウンブキ発掘によれば、縄文時代1万年という推定されていた発掘物によって、時代が明らかにされたということでした。
とすれば「古事記」に書かれていた神々の出所とか、役職が確定されて、それが神という輪郭ではなく人という人格であったことが類推されるわけです。

そんなことを彷彿とさせる発掘が外信最新ニュースでありました。それも古くから伝えられていた「スキタイ」民の実態でした。

■スキタイの人たちの記録。ユーラシア・ステップに住む遊牧民で騎馬民族
考古学遺伝子科学分析検証が始まったばかりですから、早計に解答は出ませんが、私の個人的な「古事記」伝承また、そこから読み解く諸々を解説してみたいとおもいます。
少し前の記事では、鎌倉時代の〇×御前とか、神武伝記、ヤマトタケルの東征説にある「八咫烏記」など書いてましたので、その「ウンブキ」遺跡調査による遺伝子解析を知って、すべてが氷解、した気分でしたね。
もちろん刹那にそうだと云いきるのは間違いですが、私の個人的経験による「雅楽」知見から導いた、歴史の順路は、正当につながった、という判断でした。
発掘された2400年前の革、人間の皮膚でした 2023.12.22 22:00

なかなか激しいスキタイの人たちの記録。
スキタイ人とは?
45枚の革のサンプル(および2つの毛皮)が、スキタイの遺跡から回収されました。スキタイの埋葬遺跡は東ヨーロッパ全体に広がってクルガンと呼ばれる古代の墳墓(日本の古墳のようなもの)にあります。馬を家畜にした証拠が最初に見つかったのも、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリーのクルガンからでした。
スキタイ人はユーラシア・ステップに住む遊牧民族で、新しい論文によると、「ヨーロッパとアジアのさまざまな定住社会を結ぶ移動橋として機能」していたそうです。スキタイ人は大陸間で技術、商品、アイデアを運び、交換していました。
紀元前5世紀頃の古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが、スキタイ人についての描写を残しています。ヘロドトスは、直接の経験を通してではなく、東アジアからの商業ルートを通じて伝わった噂を通じて、スキタイ人について書いていました。
歩行時の武器は戦斧であり、ヘロドトスはさらに、スキタイ人が馬を崇拝していた考古学的な証拠があるとも書き残しています。
また、スキタイ人は敵の血を飲み、切り取られた頭を戦利品の取引に使用、頭皮を縫い合わせて服を作るなどもしていたとヘロドトスは書いていて、それについても今回の研究で触れられています。

というのも、今回研究で重要なのは、ヘロドトスが
多くの者は、死んだ敵の右手の皮、爪もすべて取り外し、それを矢筒のカバーとして使う。
歩行時の武器は戦斧であり、ヘロドトスはさらに、スキタイ人が馬を崇拝していた考古学的な証拠があるとも書き残しています。
また、スキタイ人は敵の血を飲み、切り取られた頭を戦利品の取引に使用、頭皮を縫い合わせて服を作るなどもしていたとヘロドトスは書いていて、それについても今回の研究では触れられています。
というのも、今回研究で重要なのは、ヘロドトスが
多くの者は、死んだ敵の右手の皮、爪もすべて取り外し、それを矢筒のカバーとして使う。
と述べていた点です。

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Image: Museum of Historical Treasures of Ukraine, Kyiv

革と一緒に見つかった毛皮のサンプルは、キタキツネとネコ科、リス科の動物と特定されました。
研究チームは識別した革サンプルの26%については分類学的な同定をすることができませんでしたが、サンプルの大部分はおそらくヤギだったとのこと。次が羊皮(約19%)でした。
また2つが馬から、そしてもう2つが人間の皮膚から作られた革でした。
とにかく手に入る皮でなんでも作っていた
人間の皮革の検証により、研究チームは革の断片がそれぞれの矢筒の上部に作られたものであると結論づけました。残りの矢筒は動物の皮から作られていました。
しかし、動物の皮の矢筒でも異なる皮の組み合わせがあり、研究チームは「各射手がその時点で利用可能な材料を使用して自分自身の矢筒を作った可能性がある」と仮説を立てています。
戦場でのスキタイ人は、結構楽しんでいたことも記録されています。古代ギリシャの著者たちによるスキタイ人の激しい飲酒文化の記録が残っており、さらにヘロドトスは古代のマリファナのようなものを詳細に説明しています。
完全な遊牧民は一部だけだった?
新しいスキタイ人の研究は、スキタイ人のイメージをどんどん塗り替えています。たいへん恐れられた遊牧の戦士のイメージにとどまらず、2021年に別のチームが行なった研究では、ウクライナ各地の歯のエナメル質から同位体を研究し、古代の人々の食事を分析しています。
また、スキタイ時代の人たちの中で本格的な遊牧生活を送っていたのは実はごく一部だったと結論づけている研究もあります。
古代の戦士で人間の皮膚を矢筒に使用したのがほんの一部の人たちだけであっても、この研究はスキタイ人に関するヘロドトスの主張を裏付けることになりました。ヘロドトスが言う頭皮から作られた服も、いつかどこかで見つかるかもしれません。


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