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天変地異、宇宙の上と下糸

蜘蛛は天空を駆け巡る

「蜘蛛伝説」は、芥川龍之介が、その昔に書いたものがありますが、昨今トンと、読まれた形跡もないし、いまどきは保育所虐待二ユースばかりで、蜘蛛が天まで上がれ、しないで地面に墜落するような、そんな話ですから、無理もないでしよう。

その話、訊いたのは、いつの時代なのかすっかの忘れてしまいましたが、当時は、てっきり伝承民話かと、すっかりその気になっていたものでした。

まさに悪事をすると「天国」に、召されなく、地獄の谷に真っ逆さま、「千尋の谷」に放り込まれるという地獄絵でした。

子供ですから、真に受けて実践しますが、だったら世の中、全員がハッピー人生で、刑務所はいらないし、誤認冤罪策定特捜部も、いまごろ解体している筈ですが、その真逆というのが現世のようです。

いまの「五輪ピック」汚職にしたって、「イモずる」のツルが、ずるずると切れ間がなく、大手広告社総なめ、一連托生で逮捕されるというのは、いかがなものか、というより、その昔の悪しき商慣習(まさに成田悠輔氏が強力に弁論した)そのもので、それはまるで時代劇ドラマ再現そのものを、再放送しているようなものです。(巻き戻しだからエンドレスで再生できる)。

昨日書いたのが「蜘蛛の糸」で、それがアメリカに帰化しているようだとかいったものです。

そのときと別の検索資料にあった「『カルマ』」蜘蛛の糸で、それを手繰っていくと芥川の「蜘蛛の糸」にたどり着いたという具合です。

今更おさらいしてみると、アメリカにたどり着いた「蜘蛛」がその道中、膝栗毛(十返舎一九滑稽本)で幾多の困難を超えて成功したのかが、よくわかります。
話しは、一人で助かればいい、と欲を掻いたのが運の尽き、というどんでん返しですが、やっぱりそれは「GAFAM」のことを云っているのでしょう。それで今、ウクライナとロシア戦争で、アメリカが武器供与だとか、脇から軍事バランスに加担している。

さながらそれは、垂らした「蜘蛛の糸」に群がる軍事国家で、あつまれば集まる程、重さに耐えかねて゛プッツン゛しそうな気配です。


静岡ウイキペディア

「蜘蛛の糸」~ 芥川龍之介

ある日の事でございます。御釈迦様おしゃかさまは極楽の蓮池はすいけのふちを、独りでぶらぶら御歩きになっていらっしゃいました。
池の中に咲いている蓮はすの花は、みんな玉のようにまっ白で、そのまん中にある金色きんいろの蕊ずいからは、何とも云えない好よい匂においが、絶間たえまなくあたりへ溢あふれて居ります。

極楽は丁度朝なのでございましょう。 やがて御釈迦様はその池のふちに御佇おたたずみになって、水の面おもてを蔽おおっている蓮の葉の間から、ふと下の容子ようすを御覧になりました。

この極楽の蓮池の下は、丁度地獄じごくの底に当って居りますから、水晶のような水を透き徹して、三途の河や針の山の景色が、丁度覗のぞき眼鏡めがねを見るように、はっきりと見えるのでございます。

するとその地獄の底に、陀多と云う男が一人、ほかの罪人と一しょに蠢うごめいている姿が、御眼に止まりました。この陀多と云う男は、人を殺したり家に火をつけたり、いろいろ悪事を働いた大泥坊でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。
と申しますのは、ある時この男が深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛くもが一匹、路ばたを這はって行くのが見えました。
そこで陀多は早速足を挙げて、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗むやみにとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。

御釈迦様は地獄の容子を御覧になりながら、この陀多には蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報むくいには、出来るなら、この男を地獄から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮しらはすの間から、遥か下にある地獄の底へ、まっすぐにそれを御下おろしなさいました。

こちらは地獄の底の血の池で、ほかの罪人と一しょに、浮いたり沈んだりしていた陀多でございます。何しろどちらを見ても、まっ暗で、たまにそのくら暗からぼんやり浮き上っているものがあると思いますと、それは恐しい針の山の針が光るのでございますから、その心細さと云ったらございません。

その上あたりは墓の中のようにしんと静まり返って、たまに聞えるものと云っては、ただ罪人がつく微かすかな嘆息たんそくばかりでございます。
これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな地獄の責苦せめくに疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすが大泥坊の陀多も、やはり血の池の血に咽むせびながら、まるで死にかかった蛙かわずのように、ただもがいてばかり居りました。

ところがある時の事でございます。何気なにげなく陀多が頭を挙げて、血の池の空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛くもの糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。



陀多はこれを見ると、思わず手を拍うって喜びました。この糸に縋すがりついて、どこまでものぼって行けば、きっと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さえも出来ましょう。そうすれば、もう針の山へ追い上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。

こう思いましたから陀多は、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。
元より大泥坊の事でございますから、こう云う事には昔から、慣れ切っているのでございます。

しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦あせって見た所で、容易に上へは出られません。
ややしばらくのぼる中うちに、とうとう陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。

すると、一生懸命にのぼった甲斐があって、さっきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底にいつの間にかかくれて居ります。それからあのぼんやり光っている恐しい針の山も、足の下になってしまいました。この分でのぼって行けば、地獄からぬけ出すのも、存外わけがないかも知れません。陀多は両手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ来てから何年にも出した事のない声で、「しめた。しめた。」と笑いました。
ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限かずかぎりもない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻ありの行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。
陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦ばかのように大きな口を開あいたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断きれそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数にんずの重みに堪える事が出来ましょう。

もし万一途中で断きれたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎かんじんな自分までも、元の地獄へ逆落さかおとしに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這はい上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。

そこで陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己おれのものだぞ。お前たちは一体誰に尋きいて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚わめきました。
その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断きれました。ですから陀多もたまりません。あっと云う間まもなく風を切って、独楽こまのようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。

後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。

御釈迦様おしゃかさまは極楽の蓮池はすいけのふちに立って、この一部始終しじゅうをじっと見ていらっしゃいましたが、やがて陀多かんだたが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。

しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事にはとんじゃく致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足おみあしのまわりに、ゆらゆら萼うてなを動かして、そのまん中にある金色の蕊ずいからは、何とも云えない好よい匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽ももう午ひるに近くなったのでございましょう。 (朗読用本)

(大正七年四月十六日)■朗読テキストでルビ挿入 青空文庫作成ファイル

底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房  1986(昭和61)年10月28日第1刷発行 1996(平成8)年7月15日第11刷発行
親本:筑摩全集類聚版芥川龍之介全集 1971(昭和46)年3月~11月
入力:平山誠、野口英司 校正:もりみつじゅんじ 1997年11月10日公開 2011年1月28日修正 青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

ポール・ケーラスによる『カルマ』を原資とする

この話の材源は、ポール・ケーラスによる『カルマ』の日本語訳『因果の小車』 の中の一編であることが定説となっている 。

ポール・ケーラスの『カルマ』 ドイツ生まれのアメリカ作家で宗教研究者のポール・ケーラス(en:Paul Carus)(1852-1919)が1894年に書いた『Karma :A Story of Buddhist Ethics』(以下、『カルマ』と略)の原書(この原書は後述のカルマⅢである。)には以下の8編の仏教説話が収録されているが、『蜘蛛の糸』の材源となった「The Spider-Web」はケーラスの創作である。

『カルマ』には次の8編が載っている。日本語題は、鈴木大拙による『因果の小車』における訳である。
ポール・ケーラスの『カルマ』
ドイツ生まれのアメリカ作家で宗教研究者のポール・ケーラス(en:Paul Carus)(1852-1919)が1894年に書いた『Karma :A Story of Buddhist Ethics』(以下、『カルマ』と略)の原書(この原書は後述のカルマⅢである。)には以下の8編の仏教説話が収録されているが、『蜘蛛の糸』の材源となった「The Spider-Web」はケーラスの創作である。『カルマ』には次の8編が載っている。日本語題は、鈴木大拙による『因果の小車』における訳である。

「カラマーゾフの兄弟」説
『カルマ』材源説以前には、ドストエフスキーが1880年に出版した長編小説『カラマーゾフの兄弟』における「1本の葱」の挿話に着想した作品であると考えられていた。

昔あるところに、それはそれは意地の悪い女が住んでいて、ぽっくり死んでしまいました。死ぬまでひとつとして美談がありませんでした。悪魔たちがその女をつかまえ、火の湖に投げ込みました。そこで、その女の守護天使がそばにじっとたたずみながら考えました。

「何かひとつでもこの女が行なった美談を思いだして、神さまにお伝えできないものだろうか」、と。そこでふと思い出し、神さまにこう告げたのでした。「この人は野菜畑で葱を一本引き抜き、乞食女に与えました」、と。

すると神さまは天使に答えました。

「ではその葱を取ってきて、火の湖にいるその女に差しだしてあげなさい。それにつかまらせ、引っぱるのです。もしも湖から岸に上がれれば、そのまま天国に行かせてあげよう。でもその葱が切れてしまったら、今と同じところに残るがよい」

天使は女のところに駆け出し、葱を差しだしました。「さあ女よ、これにつかまって上がってきなさい」

そこで天使はそろそろと女を引きあげにかかりました。そしてもう一歩というところまで来たとき、湖のほかの罪びとたちが、女がひっぱり上げられるのを見て、一緒に引きあげてもらおうと女にしがみついたのです。するとその女は、それはそれは意地の悪い人でしたから、罪びとたちを両足で蹴りおとしはじめたのでした。「引っぱりあげてもらってるのはわたしで、あんたたちじゃない、これはわたしの葱で、あんたたちのじゃない」
女がそう口にしたとたん、葱はぶつんとちぎれてしまいました。そして女は湖に落ち、今日の今日まで燃えつづけているのです。
そこで天使は泣き出し、立ち去りました。

— 『カラマーゾフの兄弟3』光文社古典新訳文庫 P78から

類似の物語あらすじ
釈迦はある日の朝、極楽を散歩中に蓮池を通して下の地獄を覗き見た。罪人どもが苦しんでいる中にカンダタ(犍陀多)という男を見つけた。
カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に一度だけ善行を成したことがあった。それは林で小さな蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を助けたことだった。それを思い出した釈迦は、彼を地獄から救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。
暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは、この糸を登れば地獄から出られると考え、糸につかまって昇り始めた。ところが途中で疲れてふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下から続いてくる。
このままでは重みで糸が切れてしまうと思ったカンダタは、下に向かって大声で「この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。」「お前たちは一体誰に聞いて登って来た。」「下りろ。下りろ。」と喚いた。その途端、蜘蛛の糸がカンダタの真上の部分で切れ、カンダタは再び地獄の底に堕ちてしまった。

無慈悲に自分だけ助かろうとし、結局元の地獄へ堕ちてしまったカンダタを浅ましく思ったのか、それを見ていた釈尊は悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。

■山形県、福島県、愛媛県には、『地獄の人参』という話が伝承されている。ストーリーは「あるところに欲張りな老婆がいて、その報いで地獄に落ちた。地獄の責め苦に耐え切れず、閻魔(エンマ)大王に『何とか極楽に行かせて欲しい』と頼んだところ、『何か一つでも良いことをしたことはないのか』と問われる。そこで老婆は、隣人(旅の僧)に腐ったニンジン(薬用のオタネニンジンの切れ端)を恵んだ話をする。
閻魔大王はニンジンを出し、それにすがって極楽へ行くよう命じるが、蜘蛛の糸の話と同様、最後は亡者を追い払おうとして地獄へ転落する」というものである。これが古来の伝承か、あるいは芥川の小説が翻案されて作られた新たな説話かは不明である。
この話は『まんが日本昔ばなし』でアニメ化されている。 ウイキペディア

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(蜘蛛の糸 大正七年四月十六日)

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