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“Leniency”かんよう

“Leniency”「リーニエンシー」
リーニエンシー(leniency)寛大。哀れみ深さ。慈悲。寛容~などの意味

手当たりしだいの記事をさがしていると、その「Leniency かんよう」という説明の語が書いてあった。

とくべつな意味はないその記事については、深く詮索することもなく、サイト一覧の見出しを読んでみた。

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外信フランス系新聞の記事見出しにそんなことを書いてありました。そのなかの過去の記事でイスラエル紛争について、その寛容寛大が必要じゃないのか、そんなような意味で使った語句のようでした。
ですから、当サイトは読ませるための努力をしているわけです。

記事見出しは、少ない字数で、全体を知らせる重要なリテラシーですから、安直には書けません。
私にしても、記事を読んでもらうにはプロもアマもありませんから、それには気を使います。

国内ニュースだと、一家巻き添えの4人殺傷事件とか、円安が止まらない、佳子様のギリシア訪問決定とか、それなりの記事になってますが、そうしたニュースは、どの配信を読んでも同じなので気が進まない。

ある記者ドラマで、オリジナル記事でなく、他社と同じものと上司に諭され、それも一理あるな、と関心したものです。真実ニュースに寸分の狂いがあってはならない、という報道使命の根幹でした。

ですから、ニュースに限定してその「寛容寛大」という日本人好きの曖昧さはご法度な精神性なのでしょう。

それに近いネタがあったので、その記事をアップしました。

天才バイオリニストHIMARIさんの話題です。彼女が弾く「ストラディバリウス」をかの前澤氏がプレゼント(貸与)した話しです。

こうした話だと偽善とか売名行為だとか、SNSがすぐ噛みつきますが、それも含めて、そんなことがあるうちは真にクラシック音楽愛好国とは評価されないでしょう。

国内億万長者の金の使い方についてはロケットとか野球スポンサーとか、いろいろありますが、やっぱりガーファに到達しない、という事情は、一番良く知っている堀江氏が弁護しているので、最もな理由でしょう。

また富豪で云えば、あのバフェットが、今のアメリカを語っていて、なぜITに投資しないか、と問われて、では今アメリカにある車の会社がどこにあるかと逆質問して、二つしかなく、たかだか60年も経てば、経済トレンドは根底から変わってしまい、そのガーファにしても、同じだと聴衆に訴えた話は有名です。

その点、クラシック本場ヨーロッパにおいては名器「ストラディバリウス」が代々に渡って弾かれ、そして一流プロの技術者によってメンテナンスされていることは、よく知られた話しです。

としても、すでに超高額になってしまった名器は、国内一流奏者であっても手が出せない代物ですから、ただ垂涎しているしかないわけです。
そこに、運よく高所得者前澤氏のコレクションの一つバイオリンがあって、それを現役天才バイオリニストHIMARIさんの手に渡ったという話題は、とてもラッキーな巡りあわせでした。

今では彼女の演奏はYouTubeで存分に聴くことができるし、かりに弾いている楽器がストラディバリウス」だったら申し分ないです。

私の場合は純邦楽の古典雅楽ですが、楽器そのものがバイオリンと同じて、完全アナログ仕様ですから、ミリ単位、端のハジまで、引き手の神経が届いていないと、ベストセッションとはいきません。
まして素材は、葦とか竹(または300年の煤竹)と藤、さらに高いものだとカバ(桜皮を細工したもの)を使うので、高価になります。また手入れが良ければ、百年二百年も耐久するので、旧い楽家においては、それを引き継ぐこともあります。

話しをバイオリンにもどしますが、よい音を出すには何が必要かと云うと秘伝ですから、ちまた情報には出ることもありませんが、私が楽器を作っていて判ったのは、視覚では判らない秘技があることです。その一つの塗装で、此れも秘伝塗料ニスをつかいますが、さらに、そこには古来より伝授した、ある塗装剤があったのです。

■イボタ蝋 中国やインドに生息するツノロウムシと、中国や日本で見られるイボタロウムシという2種のカイガラムシが生産する。これらの昆虫は、イボタノキ属の枝の上に分泌物を堆積させる。昆虫と堆積物を収穫し、水で煮て、蝋を抽出する。底に沈んだ昆虫は、豚の餌に利用する。
主にろうそく、寺院の絵画やその他の宗教儀式に関連する物品の製造、また家具を磨いて艶を出すために用いられる。さらに、掛軸の裏を磨いて艶を出すのにも、石と一緒に用いられる。
中国では、薬用としても使用され、内服薬として、しわがれ声、痛み、寄生虫、不安、骨折等の治療に用いられる。外用薬として、傷治療用の軟膏として用いられる。日本でも、イボタノキの蝋を飲むと咳が止まるという伝統的民間療法が長野県阿智村、喬木村などの周辺に残っている。日本では、会津地方が主産地であったため、会津蝋とも呼ばれ、ハマグリの碁石(白色)の手入れに用いられる。 ウイキペディア部分引用

前澤友作氏、名器ストラディバリウスを12歳の天才バイオリニストに貸出「大変光栄に思います」日刊スポーツ [2023年8月10日11時17分]

ZOZO創業者でスタートトゥデイ代表取締役の前澤友作氏(47)が10日、インスタグラムを更新。自身が所有するバイオリンの名器「ストラディバリウス」の1717年製「HAMMA(ハンマ)」を、バイオリニストのHIMARIさん(12)に貸し出すとし、「日本が生んだ天才HIMARIちゃんにお貸しできることを大変光栄に思います」とつづった。

前澤氏は「12歳の天才ヴァイオリニストHIMARIちゃんに、僕が所有する1717年製ストラディバリウスの『HAMMA(ハンマ)』をお貸しすることになりました」と報告し、HIMARIさんにバイオリンを手渡した写真をアップ。「名匠ストラディバリによって300年以上前に製作され、その後、何人かのオーナーに大切に受け継がれてきたこの名器を、なんとまだ12歳、そして日本が生んだ天才HIMARIちゃんにお貸しできることを大変光栄に思います」とつづった。

HIMARIさんは10歳で米国の名門音楽大学に最年少で合格するなど“天才”と称される若きバイオリニスト。前澤氏は「音楽を愛し、夢を追いかけ、努力を積み重ね、見るたびに成長していくHIMARIちゃんを見ながら、僕も頑張らないとと刺激をいただいています」とし、「是非みなさんも機会がありましたら、HIMARIちゃんの演奏に耳を傾けてみてください。ホントにすごいですから」と呼びかけた。
日刊スポーツ






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「ざっくり日本史」振り返り ライフ 2017.06.29

弥生時代(~3世紀中頃)・古墳時代(~7世紀末頃)
弥生時代は、稲作が生活の中心になっていった時代。米を作るようになって、食料の貯蔵がしやすくなったため、「持つ者」と「持たざる者」が発生。また、定住が基本となりました。
そうすると集落ができ、縄張り争いが分かりやすい形で発生することに。日本列島の中にいくつものクニが出来ました。クニは互いに争ったり、後ろ盾を求めてお隣の大国・中国に貢ぎ物を送ったり。この辺の時代のことは、中国の歴史書などからうかがい知ることが出来ます。

『後漢書』地理志には、当時の日本は百余国に分かれていて、その中の何国かは漢の楽浪郡に貢ぎ物を送っていたことが記されています。また57年には奴国王が後漢から金印を授かったと『後漢書』東夷伝に記載されています。
そこから少し時代が下って、国内の乱れを卑弥呼が治めたとか、魏に貢ぎ物を送ったとかという話が、『魏志』倭人伝に記されています。
日本の歴史書はもう少し先、残っているものでは日本書紀の登場まで待ちます。

日本書紀にある程度書かれているのですが、日本書紀が完成したのは720年で、しかも神話的な話から始まっているし、他に記録がないから裏が取れない。『晋書』や『宋書』に倭の五王のことが出てきて、日本書紀などの記述とすりあわせて情報が得られるようになりますが、分からないことが多い時代です。

飛鳥時代(592年~710年)
奈良の飛鳥に都が置かれていた時代。聖徳太子が活躍した時代ですね。この辺からは日本でも色んな記録が残されていて、あれこれ分かるようになります。
天皇を中心とした政権が成立していますが、蘇我氏や物部氏などの豪族もまた強い力を持っていた時代です。蘇我氏が力を伸ばしますが、645年に乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足に潰されます。ここから始まる改革が大化の改新です。天皇がはっきりと力を持って政治を行う時代が作られます。
中大兄皇子は後に天智天皇に、中臣鎌足は後に藤原鎌足に。この先に活躍する藤原氏の始まりです。天智天皇が亡くなると、跡目を争って弟の大海人皇子と息子の大友皇子が対立する壬申の乱が起こり、大海人皇子が勝って天武天皇となります。

日本の古代史で一番盛り上がるのは、この天武天皇あたりですよね。里中満智子『天上の虹』『長屋王残照記』『女帝の手記 孝謙・称徳天皇物語』を是非読んでみてください。きっと、天武天皇の時代から奈良時代にかけてが好きになります。

奈良時代(710年~794年)
元明天皇が平城京に都を移してから、桓武天皇が平安京に移すまでの時代。短い期間ですが、藤原氏が政治力を振るい国家を整え、また鎮護国家を謳って仏教文化が花開いた時代です。

奈良時代の特徴として押さえておきたいのは土地関係の政策。大化の改新から、土地は国家のもので、それを貸してやるから税を納めろという班田収授の法と呼ばれる仕組みが提唱されて、なんとなくそれがちゃんと運用され始めたのが戸籍の作られた奈良時代。

それでも上手く行かず、743年にはもう、開墾したらお前のものだという墾田永年私財法が。そうすると貴族は人海戦術で土地を広げて、私有地を増やしていきました。

平安時代(794年~1185年・1192年)
桓武天皇が平安京に都を移してから、鎌倉幕府が成立するまでの時代です。まあ平和というかなんというか、色々あったものの、今に残る日本の文化の多くが生まれた、日本を代表する時代です。
政治的には藤原氏が摂関政治と呼ばれる形で牛耳っていた時代。牛耳っていたというと悪く聞こえますが、それなりにちゃんと運営していました。途中までは。長いので、そりゃ色々起きますよね。色々起きたのは、先述の墾田永年私財法のせいだと思います。土地争いが勃発。土地を守るために武力を持つようになっていき、力こそ正義の時代へと。武士の台頭です。まず平氏が力を持ち、そしてそれを討った源氏が国政を担う時代に移ります。
◎鎌倉時代(1185年・1192年~1333年)

1185年は平氏を滅ぼして実権を掴んだ年、1192年は征夷大将軍に任命されて、武家の棟梁としてお墨付きを得た年。面白いのは、平氏にしても源氏にしても、権威としての天皇や朝廷はそれなりに立てているところ。取って代わろうとはしないんですよね。
天皇を中心とする朝廷の存在は、単なる政治機構ではなく、国の根本を成すものとして考えられていたということだと思います。以降も、天皇になろうとしたものはいても、潰して成り代わろうとするものは現れず、今に至ります。
さて、征夷大将軍として国政の大部分を担った源氏ですが、たった三代で姿を消すことになり、初代の嫁の家系、北条氏にその座を譲ります。その北条氏も、天変地異だの元寇だのに力をそがれて、1333年、足利氏に追い落とされます。

建武の新政(1333年~1336年)
足利氏たちを従えて鎌倉幕府を討った後醍醐天皇は、武家から政権を取り戻し天皇親政を行おうとします。が、当然というか、足利氏は反発。失敗します。詳しくは『太平記』でもご覧ください(笑)。
『太平記』に丸投げしましたが、この鎌倉末期から室町初期もまた、日本史の重大な局面です。楠木正成が後醍醐天皇の無茶振りに苦しみながらも、その忠義を貫いたことは、後々になってボディブローのようにあれこれ影響してきます。でもまあ、長くなるのでその話は省きます。

◎室町時代(1336年~1573年)
南北朝の時代から織田信長の時代までが室町時代。足利尊氏が擁立した北朝と後醍醐天皇の南朝との対立が収まり、南北朝が統一されたのは三代の義満の時。
そこからしばらく安定しますが、1467年の応仁の乱などを経て、世は群雄割拠の時代に突入。日本史の華、戦国時代を迎えます。1573年、信長が将軍である足利義昭を追放して、室町幕府は幕を閉じます。

◎安土桃山時代(1573年~1603年)
台頭した織田信長は1582年に、本能寺の変で明智光秀の謀反によって討たれ、その光秀は羽柴秀吉に即座に討たれます。織田家中での勢力争いをものにした秀吉が国内を手中に収めますが、死後、徳川家康に取って代わられます。もう、この辺はあまりに有名なので全部省きますが、一番好きな時代です。

江戸時代(1603年~1868年)
日本を手中に収めた徳川家康は、江戸を中心として政治の仕組みを整えます。1603年に征夷大将軍となった家康ですが、完全に国内全体を手にしたのは、1615年に大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼしてから。家康が亡くなるのは1616年と、その直後のことですので、実際には着々とあれこれ準備していたんでしょう。
準備というか、徳川の時代は織田の時代からほぼ地続きで、織田・豊臣・徳川とトップの家は変遷したものの、三代がかりで築き上げた集大成が江戸時代と言えるんじゃないかと思います。なんにせよ、先の二人の政治を振り返ってか、統治機構を上手く整えた徳川は、250年ほど続く一時代を築きました。もっとも、例に漏れず、緩やかに崩壊していくわけですけども。
崩壊の速度を一気に速めたのが、1853年の黒船来航。外圧をきっかけにして、幕府をなんとか建て直してことにあたろうとする者と、幕府をいったん潰してことにあたろうとする者に大きく二分されます。

幕府を潰した面々がその後の中心になっていくので、幕府潰しに奔走した者は維新の志士として称えられます。有名どころは、西郷隆盛たち薩摩・長州の者。間を取り持った土佐の坂本龍馬も維新志士。
反対側、幕府方で有名なのは会津と、その庇護下にあった新選組たち。勝った薩長を中心にして、新しい日本が作られていきます。

明治時代(1868年~1912年)
都を東京に移し、版籍奉還、廃藩置県を経て政治機構が整えられていきます。その過程では欧米諸国を参考にして、一気に近代国家へと変貌していきました。政党ができ、国会ができ、憲法が作られ、国の形が整ってくると、外へと向く目が強くなり、いくつかの出来事を経て、日清戦争へと向かっていきます。
(記事引用)



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