アジール・フロッタン復活プロジェクト
2023年12月01日
「アジール・フロッタン」 ル・コルビュジエ設計の難民避難船(フランスセーヌ)
2018年の「日仏友好160周年」
アジール・フロッタン復活プロジェクト
{アジール・フロッタン」は2018年2月、セーヌ川の増水により水面下に没してしまいました。
誕生から101年目の2020年、10月19日に再びセーヌ川の水面に浮上、奇蹟のように復活しました。
https://www.asileflottant.net/
1929年12月にリノベーションが完了したル・コルビュジエ設計の難民避難船「アジール・フロッタン」は、救世軍の依頼により第一次世界大戦の影響でパリ市内に多くいた戦争難民を収容するために生み出されました。
その後、世界恐慌や第二時世界大戦による難民を多く受け入れ、子供たちの夏のイベントなどにも活用されてきましたが、1990年ごろにはその使命を終えていました。
2006年には救世軍から船を譲り受けた有志により、後世に残すための修復が始まり、2008年には、修復に協力していた日本人建築家遠藤秀平により修復工事のためのシェルターがデザインされ、フェスティバルドートンヌにおいて発表されました。その後は、経済不況もあり近年まで細々と修復工事が進められ、2015年に歴史的コンクリート構造物として文化財指定を受けました。
2017年には内部の整理も進み、日本人建築展を行う企画が進められてきましたが、2018年2月のセーヌ川増水により水面下に消えてしまいました。
アジール・フロッタンを復活させるため多方面にわたる各関係機関と協議を行い、2020年10月19日にようやく浮上させることができました。途上、協議の難航に加え黄色いベスト運動やコロナウイルス蔓延の影響などがあり、2年10ヶ月を要してしまいました。
今後は船体の調査を行い、それに基づきコンクリートなどの補修を行います。この調査はフランス文化局に登録されている文化財建築家により行われます。そして補修工事が終了した後、コルビュジエのオリジナルデザインに復元する工事を行う予定です。
これらの工事が無事完了したのち、コルビュジエが完成予想パースに描いていた通り、セーヌ川の岸から10mほど離れた位置に移動、日本のアロイ社から寄贈された桟橋(現在はパリ近郊で保管)を設置し、公開スタートとなります。
1919 石炭船リエージュ号
リエージュ号は、第一次世界大戦下、ロンドンからの石炭の輸送を行うことを目的として建造されたコンクリート船です。ドイツ軍の侵攻をかわすための水上輸送の必要性と、戦時下における鋼材の不足から、1906年に建材として認定を受けたばかりの鉄筋コンクリートを用いた、平底船が建造されることとなり、約250隻のうちの1つとして、リエージュ号も建造されました。当時、これらの平底船には戦争で罹災したヨーロッパの都市の名前がつけられたことから、ベルギーの都市名をとり、リエージュ号と名づけられました。
ル・コルビュジエとは?
ル・コルビュジエ(1887~1965)は、近代建築の三大巨匠の1人に数えられ、現在まで続く、モダニズム建築の源流となる人物である。
コルビュジエは、時計の街、スイスのラ・ショー=ド=フォンに時計の文字盤職人の父とピアノ教師の母との間に生まれ、家業を継ぐため地元の装飾美術学校で彫刻と彫金を学んだ。
しかしながら、弱視のため時計職人の道を断念、画家を目指して美術学校へ入学するも、在学中に彼の才能を見出した校長の勧めもあり、建築の道を歩み始める。
いくつかの設計事務所で経験を積んだのち、自身の事務所を設立。
1914年に西欧の伝統な建築様式とは全く異なる、スラブ、柱、階段のみが建築の主要要素だとするドミノシステムを考案し、機能性を信条としたモダニズム建築を提唱、1926年には、「新しい建築の5原則(ピロティ、自由な平面、自由な立面、独立骨組みによる水平連続窓、屋上庭園)」を発表するなど、常に先駆的で新しい建築理論を生み出した建築家であった。
晩年には初期に見られるような幾何学的なデザインとは一線を画した造形的建築を手掛けるなど、理論だけでなく卓越した高い造形力により新しい建築の表現を探求していた。
2016 年、世界中に点在する彼の17 の作品が世界文化遺産に登録され、その文化的価値が世界に認められた。
前川國男とは
前川國男(1905~1986)は日本における近現代建築の始まりを体現する建築家と言える。第二次世界大戦後にはモダニズムの旗手として日本建築界を牽引した。
前川は1928年に大学を卒業し、翌日からシベリア鉄道経由でフランスに渡りル・コルビュジエのアトリエに入っている。当時、ヨーロッパには日本人の建築家や画家・技術者を志した若者が多く滞在していた。その中でも前川はモダニズム建築を牽引していたコルビュジエのもとで3年に渡る実務経験を積み、サヴォワ邸やアジール・フロッタンなどの進行を直に目撃している。
今日、コルビュジエ財団のアーカイブに1929年以降の図面作成者記録が残されており、前川が在籍中に50枚の図面を作成したことが判明している。残されているパースの1枚(12063/FLC)には前川が書いた日本語のメモが読み取れる。前川の滞在は長いとは言えないが、アジール・フロッタンのリノベーションでは設計から完成まで従事し、モダニズムの熱気の中にいた前川の足跡を見て取ることができる。
前川は1930年に帰国し、その後はアントニオ・レーモンドの元で学び、1935年に独立している。以後は精力的に設計活動を行い、国際文化会館・東京文化会館・京都会館・など日本全国に多くのモダニズム建築を残した。また、前川國男建築設計事務所からは丹下健三を筆頭に建築家たちを多く輩出し、その丹下の元からは黒川紀章、磯崎新、槇文彦、谷口吉生などさらに多くの建築家が生まれている。若き前川がコルビュジエのもとに駆けつけたことがアジール・フロッタン復活プロジェクトの遠因であり、アジール・フロッタンは前川國男とコルビュジエからの日本建築界への遺産であり、今後も続く日仏建築文化交流のための未来への遺産とも言える。
画家 小川貴一郎 ~“百年”に挑む~
初回放送日: 2023年11月30日 NHK ザ・ヒューマン
https://www.nhk.jp/p/ts/6GLVG6Q9P4/episode/te/YN75NZ21RR/
画家 小川貴一郎 ~“百年”に挑む~
初回放送日: 2023年11月30日 NHK ザ・ヒューマン
https://www.nhk.jp/p/ts/6GLVG6Q9P4/episode/te/YN75NZ21RR/
画像パリで活躍する気鋭の画家、小川貴一郎。百年前に建造された船で新たな作品に挑む。戦争難民の避難所として使われてきた船。その歴史と向き合い、格闘する日々を見つめる。
小川貴一郎(53)は20年以上のサラリーマン生活に突然、終止符を打ち渡仏。画家として徒手空拳で活動し、大手ブランドのデザインを担当するまでになった
▼その小川が、セーヌ川に浮かぶ船で新たな作品に挑む。約百年前に建造され、ル・コルビュジエが改築し、戦争難民の避難所として使われてきた船
▼その歴史とどう向き合い、どのような作品を作るのか。苦悩しながら、試行錯誤を重ねる小川。格闘の末たどりついた作品は・
画像 Kiichiro Ogawa「寂光-solitude-」展にふらり | 片岡英和建築研究室ブログ
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