見出し画像

「ガーシー」議員は議会選挙民主主義を破壊したか?.2

ガーシー(東谷義和) の懐具合

令和の虎・竹之内社長、青汁王子への恐喝問題をガーシーが暴露。DJ社長からも500万の借金をしていたことが明るみに
石井 有紀 2023.01.13 ttps://news.allabout.co.jp/articles/o/55417/
YouTubeチャンネル「令和の虎CHANNEL」への出演や、Repezen Foxxとも親交のあるりらくる創業者の“竹之内社長”こと竹之内教博さんが1月9日、自身のYouTubeチャンネル「竹之内社長の【虎ベル】」で謝罪動画を公開しました。
画像ITライフハック : Twitter

DJ社長からも500万の借金をしていたことが明るみに

画像出典:三崎優太 青汁王子
8日、“青汁王子”こと実業家の三崎優太さんが「緊急で」とYouTube Liveを配信。そこに登場したのが、世間を騒がせているガーシーこと東谷義和(以下、ガーシー)さんです。ガーシーさんは、令和の虎のメンバーや反社会的勢力などから借金をしている竹之内さんが、三崎さんからお金をだまし取ろうとしていると暴露しました。
さらにガーシーさんは、2022年12月にRepezen FoxxのDJ社長主導で企画したAmazonギフト券配布企画についても、竹之内さんがDJ社長から500万円の借金をして参加していたことを明かしました。
三崎さんは9日、自身のTwitterを更新。「人に裏切られるのは自分にも落ち度がある。相手を責めるのではなく、そういう要素を持ってしまった自分が悪いと反省し、前に進んでいこう」と前向きな姿勢を見せました。
同日、渦中の人である竹之内さんが、自身のYouTubeチャンネル「竹之内社長の【虎ベル】」で謝罪動画を公開。「申し訳ございませんでした」「シンプルに全て認めて謝罪したい」と事実を認めています。また、三崎さんへは既に電話で謝罪をしており、ガーシーさんへも直接謝罪したい意向を示しました。
「令和の虎」降板が発表された竹之内社長、謝罪したガーシーから「ここから先は手助けに回る」DJ社長も『救いたい』動画で援護石井 有紀 2023.01.13 https://news.allabout.co.jp/articles/o/55424/
借金については11日に完済したと報告。さらに「DJ社長に関してはドバイっていう話が出たので、直接会いたい」「明日の夜発で行こうと思ってて」と、13日の夜にドバイに向け出発する意向も示しています。
ドバイでガーシーさんやDJ社長さんへ直接謝罪となるのか。いずれにしても、窮地に陥った竹之内さんには、追い風が吹き始めたようです。

スタートアップには高額な"金"が、かかるという必要経費


このガーシー(東谷義和) の身辺に関しては、以前から金銭絡みの問題の噂が絶えなかった。また、それに紐づく交遊も同じ顔ぶれで、内輪の話として外野は知るべきもないが、一定のサークルがあったようだ。

ただ、そのことをさらに深く詮索しても何の解決の糸口にならないし、ましてや、その諸般の事情によって「ドバイ」滞在なのか、はたまた金銭絡みの事情なのか、知る由もない。

まあ社会民としては、三面記事的に傍観するしかないという他愛ない話として片付ける程度なんだろう。ましてや、そんなことで「議会制」が否定されることがあるはずがない。

少し前の記事で、「ベル・ギブソン」という美貌の天才詐欺師を扱ったが、「金に目がくらむ」、という題材にすると、いくらでもネタはある。
これも何度か書いた、前代未聞の女相場詐欺師「尾上縫」(ぬい)という、目もくらむような大胆さは、やはり男では不可能ではないかと舌を巻くほどのオンナ詐欺師だった。

■尾上 縫(おのうえ ぬい、1930年2月22日 - 2014年頃)は、日本の実業家、投資家、詐欺師。大阪府大阪市千日前にあった料亭「恵川」を経営していた。奈良県出身。バブル景気絶頂期の1980年代末には「北浜の天才相場師」と呼ばれ、一料亭の女将でありながら数千億円を投機的に運用していた。しかしバブル崩壊とともに資金繰りが悪化、金融機関を巻き込む巨額詐欺事件を起こした。
バブル時代を象徴する人物の一人として「バブルの女帝」と呼ばれ、尾上をモデルとした小説を原作とした映画『女帝』も公開された。

奈良県磯城郡多村新口(現・橿原市)の農家の5人兄妹の次女として生まれる。一人いた弟は栄養失調で幼児期の内に死去するという極貧家庭であったようだ。
母親は「空海」を熱心に崇め、尾上は毎朝般若経を唱えるのを聞いて育った。弟が栄養失調で死去したあたりから母は「狐が降りる」と祝詞や経のような言葉を発していた。母はさらに家事が苦手で、父は尾上が10歳の時に病死。以後、母は株の仲買人をしていた豪農の男の庇護を受けて生活していた。
1944年に国民学校高等科を卒業し、地元の織物工場の女工となった。いくつかの職を経た後に大阪に出て、デパートや水商売で5年ほど働いたのち、19歳で結婚して一女を儲けたが25歳で離婚。離婚後にスタンドバーを経営するも上手く行かなかった。
1970年(昭和45年)の暮れ、清風学園創設者である平岡静人により高野山金剛峯寺報恩院で得度の路を開かれ、平岡から「純耕」の得度名を授けられている。平岡一族との親交は深く、一族が主催するチベット仏教寺院・ギュメ寺(南インド)への開眼ツアーにも参加しているが、この際に尾上は2,000万円をギュメ寺に寄進した。しかし平岡一族は寄進は自身らによるものだと主張している。またそのツアーで尾上は平岡ともども宗教指導者・ダライ・ラマに面会し、平岡はその後ダライ・ラマを念仏宗無量寿寺に紹介した。
尾上は自身が女将を務める料亭の客らに対して、占いと神のお告げによって株式相場の上昇や競馬の勝ち馬などを見事に言い当てるとして評判となり、そのために料亭は繁盛した(占いは「大黒や」でしていた。占いにはガマガエルの石像を使い、ガマのお告げと称していた)。バブル景気前夜の頃までには、それらの予想も神懸かり的なものとなった(特定の銘柄を挙げて株価の見通しを尋ねると、神がかり状態の尾上が「上がるぞよー」とか「まだ早いぞよー」とか答えたという)。多くの証券マンや銀行マンらが尾上に群がるようになり、彼らは「縫の会」と呼ばれた。
ウイキペディア(どうにも、作話の匂いがして嫌だな 筆者)

天才投資家 尾上縫の手練手管

バブル期北浜で天才と呼ばれた投資家 その正体は稀代の借金女王「尾上 縫」  2017/3/24(金) 15:40配信 THE PAGE

 1980年代後半、バブル経済真っ盛りの頃、天才相場師と崇められた女性、尾上縫(おのうえぬい)。神のお告げを受けたという投機的な株の売買で、女帝とも呼ばれていました。やがてバブルが弾けた後、尾上が詐欺罪で逮捕されると、その怪しげな手法の数々が週刊誌やテレビのワイドショーまでをも賑わせました。

 バブルに溺れ、惑わされ、目先の利益に飛びついた人たちが破滅に導かれました。冷静な時代ならば、決して天才などと崇められることはない、歪んだ時代が生んだ女帝の起こした巨額詐欺事件について、市場経済研究所の 「鍋島高明」さんが解説します。

銀行株の大口投資家O女史の正体「縫」

 昭和バブル景気が弾けて間もない1991(平成3)年5月2日付日本経済新聞朝刊一面に尾上縫の名が登場する。当時、日経新聞では「日本人と会社」という大型企画を連載中であったが、その1コマに彼女の名がイニシャルで表れる。
 「6月の株主総会シーズンを控え、銀行の総会担当者は株主名簿のチェックに余念がない。この過程で、ある大口投資家の名前が浮かんできた。大阪ミナミで料亭を経営するO女史である。第一勧業銀行七百数十万株、日本興業銀行三百数十万株……。『彼女が買った銀行株は大手都市銀行5行と日本興業銀行といわれている。すでに売却した銘柄もあるが、名義が確認されていないケースや信用取引で買い建てて名義が出ていないものもあるとみるべきであろう』と関係者は推測する」。

 新聞の記事がO女史から実名に変わるのに時間は要しなかった。同年8月13日詐欺容疑で逮捕されたからだ。日経新聞は夕刊1面トップで大きく報じた。縫は大阪千日前で高級料亭「恵川」を経営するかたわら、女相場師として北浜株式街で1日に数百億円という大金を動かしていた。仕手も仕手、大仕手である。当時はノンバンクの花盛り。興銀の割引金融債ワリコーを100億円単位で購入し、これを担保に入れてノンバンクから金を借り、株式相場に投下した。
 尾上縫の手口 
「尾上の株式取引は昭和62年4月ごろから始まる。日曜日に『行』という奇妙な宗教的儀式を行い、特定の銘柄をあげて株価の見通しを尋ねると、神がかり状態の尾上が『上がるぞよ』『まだ早いぞよ』などと答える。尾上自身に明確な投資尺度などあるはずもなかった。勧誘されるままに、また自分の株占いに基づいて売買した」(永野健二著『バブル』)

 バブルの最中には縫の資産は雪だるま式に膨らむが、いったん弾けると雪崩を打って転がり落ちる。相場の習性として上昇波動はゆっくり、下降波動は目にも止まらぬスピードである。当たり屋、縫もたちまち曲がり屋に転落、資金繰りに窮する。大正の鉄成金と呼ばれた大阪立売堀(いたちぼり)の中村照子が元の歩に逆戻りするのと同工異曲である。
 縫は親しい東洋信用金庫の支店長と謀って巨額の架空預金証書を発行させる。これを担保にカネを借りまくる。興銀系の800億円を筆頭にナショナルリース500億円、いずみファイナンス400億円、セントラルファイナンス、日貿信、住商リース各300億円……大手金融機関が勢揃いの図である。
 大正時代の石井定七事件が思い出される。石井はコメや株の相場師であったが、やがて借金王と呼ばれるようになる。まず親密な関係にある高知商業銀行に手形を持ち込み、定期預金証書を作らせ、その証書を大手銀行に持ち込む。すると、いとも簡単に資金調達できることが分かると雪だるま式に借金は膨らむ。石井の借金は50余の金融機関から8437万円にのぼる。現在の価値に直すと2500億円くらいに達するといわれる。尾上といい勝負かも知れない。
 株取引には会社の業績もケイ線も不要 “霊感”で株を売買 縫が盛んだったころは料亭「恵川」で株の入札が行われたほどである。8月14日付の日経新聞はこう報じている。
「尾上縫容疑者は4大証券のうちの2社、準大手2社、大阪に地盤を置く中堅証券会社を主力取引先として株式を売買。あらかじめ指定した日時に各社の担当者を『恵川』の一室に集め、好条件を出した証券会社に取引を依頼するなど、入札のような方法をとっていたという」
 縫は若いときから霊感が働いた。だから株の銘柄選択も神のお告げに頼ったという。会社の業績もケイ線も関係ない。縫が経営するもう1つの料亭「大黒や」の中庭は尾上の道場でもある。森功は雑誌『新潮45』の中で書いている。
 「中庭には不動明王や弘法大師の石仏、灯籠がところ狭しとおかれて、そのそばでは大きなガマガエルの石像が睨みをきかせていた。彼女は毎日それを拝み、相場を張った」
 縫の持ち株は都銀や鉄鋼など優良株を中心に数十銘柄に及ぶが、その中に「中外炉工業」を大量に持っていた。中外炉といえば北浜で暴れる仕手集団として警戒されていた。中外炉が出動する時は鳴物入りでモノモノしかったと伝えられる。
「稀代の借金女王」尾上縫は4300億円という空前の債務を抱えて自己破産した。そのあまりの巨額さに昭和バブルの象徴として語り継がれることだろう。小説にドラマに映像に「女帝・尾上縫」の悪名は消えることはない。
=敬称略

尾上縫(1930年-2014年頃)横顔
1931(昭和6)年奈良県出身、農家の次女として生まれ、高等小学校卒、大阪市内のデパートに勤める。1965(昭和40)年ころ資産家の援助で料亭「恵川」やマージャン店などを数店持つ。海外のマスコミは「バブルレディ」と呼ぶ。「北浜の天才相場師」と呼ばれたこともある。バブルが弾けて資金繰りに窮し、詐欺容疑で逮捕され、留置場で破産手続きを行った際の負債総額は「4300億円」に及び、個人としては史上最高額となる。
1998(平成10)年、懲役12年の実刑判決を受ける。
作家清水一行が『女帝:小説・尾上縫』を書いた。 THE PAGE 記事引用

男子、オトコだったら一度は載ってみたいと思う垂涎の車「ベンツ」~「縫」とか

「ギブソン」はベンツに載っただろうか。むしろイギリス製「べントレー」とか、オンナに似合いそうだった。


画像 新車カタログ - メルセデスベンツ Gクラス | CALWING キャルウイング


Gクラス | CALWING


世界 - 自動車情報誌「ベストカー」ベンツ


ベストカー


コンチネンタルGT | bond shop NAGOYA BLOG

コンチネンタルGT



ベントレー フライングスパー ・新型情報・グレード諸元 価格.co


voice、 リンク

ベントレー コンチネンタルGTコンバーチブ・【MOTA】




YouTube 動画リンク 渾身の動画「ヌイのお宿はベンツかい」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?