人は右、車は左と誰がきめた?
車は左走行と今では当然の道交法で決められてますが、さて、それはいつからそうなったのでしょうか。
既成事実として、長年、それに従っていると、その意味とか本質とか、だれも問わなくなりますね。
まあ子供の会話で、「人間はどうして空気を吸って生きているのか」、という質問に、「それは神様が作った酸素があって、それで生きてるるんだ」という難しい話はしませんよね。
それはなぜかって、その理由が未だに判らないからです。そもそも「空気」を作るのに水の電気分解して、水素と酸素を発生させる、という科学は、せいぜい100年前のアンシュタインが出る、少し前のはなしです。
その科学的メカニズムが、判ったとしても、じゃ地球の70%を占める海水の海は、どうやって作ったの、とアインシュタインに訊いても判らないでしょう。(海全体の面積は約3億6000万km、日本の面積は37万8000km なので日本952個分)
だから判らないことは、全部神様の仕業としたのが宗教で、それが人間の有史以来の歴史となっています。
それで神様が右を歩け、といったわけではなく、江戸時代の或る説があってそれに従った、という話しです。嘘かまことは、それは知りませんが、こんな説です。
■江戸時代に、武士が左の腰に刀を差していたため、刀の鞘同士が触れ合うのを避けるため心臓が左側にあるとの認識から、人間の意識の上で、左側が接触することを避ける本能があるからと言われている。
車の左側通行は馬から引き継がれているが、以下の理由とされている。馬に乗るときには、刀が邪魔にならないように、左側から乗ることになるが、そのためには左側通行がよい馬同士がすれ違う時に、刀が触れ合うのを避けるため。 ニッセイ記事引用
そうした例題は、世界に何万通りもあって、それを全部吟味していたら、キリがありません。
その誇大風聞説、いうならば江戸井戸端会議の議題のような、まったく無責任な荒唐無稽が、さも実話のように語られるという、云ってみればITバーチャル仮想世界みたいなものです。
ねえねえ、訊いて訊いて、この先の坂を少し上った左の白い家(この少ない情報で居合わせたお隣さんは4人は瞬時にそれを理解する)。
なんでもアメリカに住んでて、ここは別荘で建てたんだって。
脇にいたもう一人が訊いた。
ご主人はアメリカ人なの?
誰も答えない、というより、その本人を誰も見てないし、建てる前の不動産屋と、土建屋と、建築屋の業者しかみていない。その中間の、工事中業者は逐一観察していた。
その完成後の話では、その建屋は、TDKの白雪姫がそこで寝泊りしているような、誇大妄想がすっかり構築されていた。
なんでも50メートルプールが備え付けらしいって。(敷地約1500平米 学校にある25メートルプール4~5個分の広さ)、の面積で、到底不可能。
その話を、わたし仲間に話したら、それを真に受けて実地調査したという。もちろん黙って入れば、家宅侵入罪で捕まる。生垣工事をしていたその職人に訳をを話して、奥に入って隈なく見渡したが「プール」はどこにもなかった。庭木職人にその話しを訊いても、「そんなものありせんょ」とはきっぱり断ったという。
まあまあ、どこにでもあるような話してメディアほどの「面白おかしく」はできませんが、世間の井戸端会議テーマとしては、一見に値すると、書いてみました。
しかしながら世界情報というのは大なり小なり、その基本系に変りないでしょう。
■余談ですが、対面通行が逆だった場合、「日本車」であっても左ハンドル仕様でつくられて、その生産ラインコストは膨大な金額が浮くわけで、今頃、日本は世界トップの経済大国になっていたでしょう。かえすがえすも残念な話してす。
2022年09月18日記事
対面通行、世界とは反対の日本道路事情
右側通行? 左側通行?-「人は右、車は左」と言われている歩行者や自動車の通行ルールについて ニッセイ基礎研REPORT(冊子版) 2017年1月号 保険研究部 研究理事 中村 亮一
「人は右、車は左」と言われて、何となく「歩行者は右側通行」するものだという意識が根付いている。私自身もつい最近改めて感じたのだが、「歩行者は右側通行」の意味するところが、必ずしも十分に理解できていない。そこで、歩行者や自動車の通行ルールについて考えてみた。
道路交通法の規定
「歩行者は右側通行」のルールは、道路交通法の第10条第1項に規定されているが、これはあくまでも「歩道等と車道の区別の無い道路」において適用されるルールである。歩道及び十分な幅を有する路側帯等では適用されず、法律上は、歩道及び路側帯上の歩く位置についての規定は存在しない。このため、歩道及び路側帯を歩く場合には、一般的な交通マナー等に従うことになる。この場合、「対面交通」の考え方に基づいて、歩く位置を決定するのが望ましい、と思われる。
対面交通のルール
「対面交通」とは、自動車と歩行者が対面して通行することを指すが、これにより、自動車と歩行者が相互を認識しながら通行することができる。現在の歩行者の通行ルールは、自動車の左側通行に対面する形で右側通行となっている。
この「対面交通」のルールの考え方の趣旨に則れば、例えば、両側通行の車道の左側の歩道を歩いている場合には、歩道の左側を歩くことが適当ということになる。これにより、自動車に対向する歩行者が車道に近い側を通行することになり、例えば対向車が暴走等して、歩道に乗り上げてくるようなケースでも、それを事前に確認しやすい状況に置かれることになる。同じ理屈で、車道の右側を歩いている場合も、歩道の左側を歩くことが適当ということになる。
ただし、こうしたルールや考え方に法的拘束力があるわけではないので、状況に応じて、臨機応変に対応することが求められることになる。
対面交通のルール何故、歩行者は右側通行なのか-元々は、人も車も左側通行だった-そもそも、日本も、以前は、歩行者も自動車と同じく左側通行だった。
これには、諸説あるが、例えば、江戸時代に、武士が左の腰に刀を差していたため、刀の鞘同士が触れ合うのを避けるため心臓が左側にあるとの認識から、人間の意識の上で、左側が接触することを避ける本能があるからと言われている。
車の左側通行は、馬から引き継がれているが、以下の理由とされている。馬に乗るときには、刀が邪魔にならないように、左側から乗ることになるが、そのためには左側通行がよい馬同士がすれ違う時に、刀が触れ合うのを避けるため
こうした暗黙のルールが、1872年に、英国からの技術支援で鉄道が導入された時に、「鉄道は左側通行」が正式なものとなった。その後、東京で警視庁による通達が発せられ、「歩行者は左側通行」というルールが定められ、さらに、1924年に法律に規定された。
何故、歩行者は右側通行なのか-GHQの指導で変更された-それが、自動車の交通量の増加に伴い、昭和24年に、占領軍GHQの指導で、対面交通の考え方に基づいて、「歩行者は右側通行」に変更された。
当時から既に、米国では「自動車は右側通行」だったので、GHQは「自動車を右側通行」に変更するように要求したが、日本が「道路上の施設の変更や車両の乗降口の変更等に天文学的な財政支出を必要とし、また長期間を有する」との理由で反対したため、結局は「歩行者を右側通行」に変更することで了解した、とのことである*。
これだけ、米国との関係が深い日本において、なぜ「歩行者や自動車の通行ル-ル」が異なっているのか、不思議に思われていた方も多いと思うが、これで一定納得できたと思われる。
ルールについて世の中には数多くのルールが存在している。我々はそれらを何気なく当然のものとして受け入れている。時には、それらのルール策定に至った歴史的・文化的背景等の詳細を調べてみることも、そのルールの持つ本当の意味や奥深さを知る意味で、結構大事なことだと改めて感じた次第である。 * 道路交通問題研究会「道路交通政策史概観」
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