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今が乾坤一擲の時か「孫」

孫氏は高校時代、藤田田の著書『ユダヤの商法』を読んで感動。著者に会いたいという気持ちがわく。
高校生だった孫正義少年は、なんども断られながらも執念深く連絡を続け、強引に面会の機会をとりつけた。『勝てば官軍』の中で、当時のやりとりが藤田田の言葉で語る。


「それなくして、今の孫は存在しない」、いまさら孫氏の立身出世を書いても、だれも読まないし興味もない話しなんだろう。

たまたま読んだ記事が気になったので、その動向を追ってみた。

株主総会で語った「涙と晩年の危機」
英紙が憂慮「孫正義の“発明家”への転身は日本経済にとって大打撃だ」
2023.7.9 クーリエ・ジャポン
2023年6月におこなわれたソフトバンクグループ(SBG)の株主総会に、孫正義会長兼社長が登壇。2022年11月の決算記者会見以降に公の場から遠ざかっていた間、AI関連の「発明」に没頭していたと明かした。
孫の投資家から発明家への転身はSBGにとって吉と出るのか、凶と出るのか。その影響は同グループにとどまらず、日本経済全体に及ぶと英紙は指摘する。2023年6月21日のSBG株主総会に登壇した孫本人によれば、当たらずとも遠からずのようだ。世界で最も重要な投資家のひとりであるにもかかわらず、彼はこのとき自らを「人類の未来のアーキテクト(建築家) 」と呼び、発明にすべてを捧げていると語った。
孫が率いるSBGには、週7日24時間体制で稼働する発明ホットラインがあり、彼の頭からアイデアが浮かぶのと同時に特許申請ができるよう、常駐スタッフと特許申請の専門家が交代制で働いているという。
孫の発明は、彼がChat-GPTと深夜に交わした会話を基にしたAI関連のものや、子会社である英半導体設計大手「アーム(ARM)」との共同開発を想定したものが少なくないようだ。
この8ヵ月間で630件の発明をしたという孫は、年末までにその数を1000件にまで増やし、「新世紀のエジソン」になることを目指す。
彼が生み出した発明のなかには世界を変え得るものもあるだろう。だが、株主総会のときに孫本人が明るい口調で、そのほとんどが駄作だと認めた。

「GPTで鳴き声を自動生成するAIアヒル池ですか? 今夜は絶好調ですね!」

有料記事により 以下割愛

孫正義ソフトバンク.1 19歳で作った人生50年計画 すべて実現
 世に初めて雑誌に載ったコンピューターチップの集積回路。その拡大写真に涙まで流して感動し、それを切り取って透明なファイルに入れ、学校でも寝るときも片時も肌身離さず半年も続けたという孫青年は、このテクノロジーがいずれ人類の未来を変えるはずだ、と思ったようです。
 19歳のときの運命的なこの出会いから40年余り、そのときの感動が、通信用携帯端末のチップの設計を手がけるARM社を、昨今3.3兆円という、とほうもない金額で買収するという結果となって結実したわけです。
 この19歳というときを外せない話が、もう1つあります。それは10年ごとの大きな目標を定めた「人生50年計画」という、同じ歳のときに作ったもので、驚くことにそれらは、今日まで寸分違わず実現されてきています。
 その人生50年計画とは、20代で業界に名乗りを上げる。30代で軍資金を貯める。40代で一勝負して、何か大きな事業に打って出る。50代でそれをある程度完成させる。60代で次の経営陣にバトンタッチし、300年以上続く企業に仕上げる。というもの。
 孫氏は1957年8月生まれ。日本ソフトバンクを福岡で旗揚げしたのが24歳になったばかりの1981年9月のことでした。そして1994年、36歳で株式を店頭公開し、それを軍資金の元手にして、はやくもジフデービスの展示部門や世界最大のコンピューター展示会社コムデックスを買収、1995年の37歳のとき。そしてまだ産声をあげたばかりの学生企業ヤフーへの出資も、同じく1995年の37歳のとき。さらに翌年の38歳、1996年にはコンピューターメモリー最大手のキングストンテクノロジーを買収しています。
 そしていよいよ大きな事業に打って出るという40代。それはインターネットも含めた通信インフラ業界への進出でした。まず1998年半ば40歳でソフトバンクを東証1部に上場し資金を調達。そしてインターネットの総合ブロードバンドサービス事業のヤフーBBをスタートしたのは2001年の9月、44歳。つづいて2004年7月、46歳で日本テレコムを買収。さらに2006年4月の48歳ではボーダフォンを買収しています。ちなみに20億円の出資で孫氏の含み益が8兆円にもなった中国のアリババへ投資したのは、2000年の43歳のときで、そのときのアリババは創業1年目の赤字会社でした。またダイエー球団からソフトバンク球団になったのは2004年11月の47歳のとき。
 そして50代。アップル社のスティーブ・ジョブズに会って、日本でのiPhone発売権を獲得し、その営業を開始したのは2008年の50歳のとき。さらにアメリカにおける携帯業界への参入に向け、スプリント社を買収したのが2013年7月で55歳。そしてこれからやってくるIoT時代を見越し、3.3兆円もの大金でARM社を買収したのが2016年7月の58歳。最終の計画60代は、次の経営陣にバトンタッチということで、2014年7月、後継者の筆頭候補としてグーグルのシニア・バイスプレジデントだったニケシュ・アローラを副社長に招きましたが、2016年6月、彼の退社でこの話はなくなりました。この2018年8月、孫氏は61歳になったばかりで、今まさに後継者計画はスタート時点にあるということです。
 これらすべて実施されてきた50年計画の過程には、その都度、参考になり示唆に富むことが多々ありますので、以降、順次、見て参ります。
 孫氏は大きな計画を立てたとき、あるいはその大きな計画をスタートするときには、自分に言い聞かせ、また誰かにも宣言するという形を取っていますが、この50年計画の宣言は誰だったかと言いますと、孫青年と同じバークレー大学に通い、のちの伴侶となる奥さんでした。氏は次のように語っています。
 【 21 歳、私は翻訳機の開発以上に大きくて重要な決断をした。結婚だ。相手は日本人留学生で、同じ英語学校で知り合い、一緒にカレッジに通い、またバークレー校にも一緒に行った女性です。あまりにも忙しかったため、図書館で合い間に顔を見るのがすべてだったが、初めて会った瞬間から私は彼女が自分の妻になることを信じて疑わなかった。人生50年計画を立てた19歳のとき、興奮のあまり演説をしたものも彼女の前だった。 私は彼女と米国で略式婚礼をしました。司祭と証人だけが立ち会う簡単な手続きを踏んだ。 最初に決めた日は、というと変だが、実は翻訳機開発に没頭するあまり約束時間に遅れてしまい、そこで司祭が怒ってしまったため、改めて新しい日を決めなければならなかったのです。2度目に決めた日も遅刻してしまったのですが、今度は幸い、司祭が待ってくれたお陰で、式を終えることができた。しかし証人を依頼することを忘れてしまい、急遽、教会の門衛に事情を話して頼み込み、急場をしのぎました 】と。

以下割愛


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