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古代の覇者フェニキア人とは誰か?

本文の前に、きのう、今日と沢山の読者からスキを頂いて、とても栄誉なことと感謝しております。

記念すべき900回目のスキをしました! 一日一スキ!7/26 の表示があったのでコピーペ、してふとおもい違い、と昨日の記録を見ると「1000」回表示です。えええ、です。過去にもどって100回減るという計算はありえない。ま、それで100円200円の決済が訂正なんてことはないので、意義申し立てはいたしませんが、信用問題ですから正確にしていただきたいと穏やかに申し入れしておきたいとおもいます。

昨日の続編として「フェニキア人」を取り上げました。ほとんど、ほとんどといっていいほど、こんにちの日本人に影響を与えません。ましてやSNS世界で、こんな話しを執りあげることもありくません。

前日、3000メートル先のライフル標的ターゲットの話をしました。三キロ先の獲物を狙って狙撃する話ですが、打つ方、打たれる方の因果関係は、その場合は生じるが、覗くだけで、なにもしなかった場合、その因果関係は成立しないか、というテーゼでした。それは大都会でひしめき合う人の密度であり、超至近距離にいながら、まったく因果関係が希薄というのは、その3キロ先の獲物の関係に似る、という私の解釈です。心理学的に、その対比秘術は書かれていると思いますが私はそれを勉強していないので的確な名詞で説明できません。ただ、内容はわかっていただけたとおもいます。

それと同様、ほぼ3000~5000年前のフェニキア人の存在は歴史的にも否定できない。できないが、いまの日本人にどんな関係を問いかけているかといったら、「鉄」鍛冶職人といったら途端にそこいらの親爺を思うでしょう。刀の源流゛鉄"の発明者がこのフェニキア人でした。日本の刀剣は、「鋼」が命ですが、「たたら」たまはがね、はその古代製鉄技法で、製造した鉄でした。3000年の伝統はしっかり日本に波及していたのです。

フェニキア人の日常生活

古代地中海沿岸の覇者フェニキア人フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。
紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。

フェニキア人の建設した主な主要都市には、ティルス(現在のスール)、シドン、ビュブロス、アラドゥスなどがあり、海上交易に活躍し、紀元前15世紀頃から紀元前8世紀頃に繁栄を極めた。
さらに、カルタゴなどの海外植民市を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。船材にレバノン杉を主に使用した。 しかし紀元前9世紀から紀元前8世紀に、内陸で勃興してきたアッシリアの攻撃を受けて服属を余儀なくされ、フェニキア地方(現在のレバノン)の諸都市は政治的な独立を失っていった。アッシリアの滅亡後は新バビロニア、次いでアケメネス朝(ペルシア帝国)に服属するが、海上交易では繁栄を続けた。しかし、アケメネス朝を滅ぼしたアレクサンドロス大王によってティルスが征服されると、マケドニア系の勢力に取り込まれてヘレニズム世界の一部となった。
一方、紀元前9世紀に北アフリカに建設された植民都市カルタゴは、フェニキア本土の衰退をよそに繁栄を続けていたが、3度にわたるポエニ戦争の結果、共和政ローマに併合されて滅んだ。
フェニキア人は系統的には様々な民族と混交していたが、アフロ・アジア語族セム語派に属するフェニキア語を話し、現存する言語ではヘブライ語と同じカナン諸語(英語版)に属する。先祖はセム系のアモリ人の一派が小アジアから北シリアに移住したことに始まるといわれている。
彼らがフェニキア語を書き表すために発明したフェニキア文字は、アラム文字・ヘブライ文字・ギリシャ文字・アラビア文字など、ヨーロッパ・西アジアの多くの言語で用いられる起源となった。 ギリシア文字がフェニキア文字を元とすることから、フェニキア文字はアルファベットのルーツとされる。
カルタゴの人々(en:Punics、ベルベル人)の話していたフェニキア語はポエニ語(英語版)と呼ばれてローマ時代にも存続したが、やがてベルベル語や、イスラム教とともにやってきたアラビア語に飲み込まれ、消滅していった。

フェニキア人は優れた商人であり、その繁栄は海上交易に支えられていた。紀元前8世紀には、ティルスは地中海方面からメソポタミア、アラビア半島に至る交易ネットワークのハブとなっていた。貝紫とレバノンスギがフェニキア本土の特産品であり、この地域の都市国家の成立と繁栄を支えた。また、タルテッソス(イベリア半島)の銀をオリエントに持ちこむ航路はフェニキア人が独占していた。
紀元前12世紀から何世紀もの間、フェニキア人は地中海世界の海上の主役だった。

第一次ポエニ戦争(だいいちじポエニせんそう、羅: Primum Bellum Punicum, 英: First Punic War, 紀元前264年 - 紀元前241年)は、カルタゴと共和政ローマの間で戦われた三度にわたるポエニ戦争の初めのものである。

この戦争で二つの勢力は、地中海の西側の覇権をめぐって、23年間にわたって争った。
カルタゴは、アフリカ大陸の現チュニジアの場所に位置し、戦闘が始まった頃は地中海を支配する大国だった。戦争の結果、ローマ軍が勝利し、ローマはカルタゴに厳しい講和条項と多額の賠償金を課した。第一次ポエニ戦争を出発点として、ローマは 60 年間にわたって勢力を拡大し、地中海海域のほぼ全てを支配するに至る。ローマ軍の勝利は、古代地中海の文明がアフリカに依存する時代から、ヨーロッパ社会に委ねられる時代に変わる転換点となった。

日本語でのポエニに当たるローマ側の Punici とは、カルタゴを建設したフェニキア人を意味する Phoenici (ポエニキ)から派生した語である。 紀元前3世紀の半ば、ローマの勢力が拡大してきた。内乱や騒乱の数世紀を経て、ローマは全イタリア半島をしっかりと手中に収めた。ローマはラテン同盟やサムニウム人のような全ての敵を征服し、エペイロスのピュッロスの侵入を撃退した。ローマ人は、自らの政治制度と軍事力に確信を抱くようになった。

ティレニア海と現チュニジアの領土の一部にあるシチリア海峡を挟んで、カルタゴが既に地中海における商業航路の大部分を統制し、海軍力と商業力を支配していた。アフリカ大陸の現チュニジアの場所に位置するこの都市は、元来はフェニキア人の入植地として生まれたが、北アフリカ沿岸からヨーロッパのイベリア半島までを支配する大国の首都となっていた。カルタゴのハンニバルによる侵攻を含めたローマとの一連の戦争は、もう少しでローマ帝国の誕生を阻むところだった。ローマの勝利は、古代地中海の文明化がアフリカではなくヨーロッパに渡される、記念的な転換点となった。

紀元前288年、カンパニア人の傭兵部隊マメルティニが、シチリアの北東にあるメッシーナの町を占領した。彼らは男を殺害し、女を妻として連れ去った。彼らはメッシーナを拠点に国境を荒らし回り、自治都市シラクサにとっても問題となった。シラクサの僭主ヒエロン2世は、紀元前265年にその座につくと、マメルティニと対決しメッシーナを取り戻そうと決断した。

マメルティニはローマとカルタゴの両方に助けを求めた。はじめローマ人は、マメルティニ軍がメッシーナの町を本来の所有者から不正に奪ったと考え、助力する意欲がなかった。
さらに、ローマはエペイロスのピュッロス王(レギウム、紀元前271年)を破った後に起きた傭兵の暴動を鎮圧したばかりだったので、この紛争に介入することを渋っていた。このため、嘆願に応えてこの地に軍団を送ったのは、カルタゴの方が早かった。
それを見てローマはカルタゴ勢力がシチリアに広がるとイタリアに近づき過ぎると考え、それを避けるため、マメルティニと同盟を結んだ。

紀元前264年、ローマはシチリアに外征した。これはローマ軍団がイタリア半島の外に出た初の事例となる。翌紀元前263年にシラクサを攻略し、ローマとの同盟を強要した。まもなく、紛争の主役はローマとカルタゴの対立に代わり、それがシチリアの所有権をめぐる争いにまで発展した。

第一次ポエニ戦争の発端となったのはカンパニア人の傭兵部隊マメルティニである。この傭兵集団はメッシーナの政権を不当に奪取し、カルタゴとローマとの間を立ち回り二枚舌外交を行っていた。ローマが何故このような素性のよくないマメルティニの肩を持ったのかという理由は現在でも歴史家で意見が分かれており、イタリア半島の諸部族を制圧したばかりのローマの国制には、軍事を尊び攻撃的な気風が残っていたとするもの。

イタリア半島の同盟市を束ねたばかりのローマは、自らの威信を強国カルタゴにも見せる必要があった。
カルタゴと結んでいた不平等条約を是正する好機と考えた。

イタリア半島統一後、成長著しい平民階級の多くが従事していた交易摩擦の利害がカルタゴとの間に生じた。また、平民階級の多くはさらなる成長を期待し、対外侵略に肯定的だったので、民会の意思に抗う事は元老院でもできなかった。
シチリア島をカルタゴに制圧されることは、イタリア半島南部の安全保障が揺らぐという地政学的な理由などが挙げられている。

※拙著ファイル引用 file:///C:/Users/user/Documents/index6644.html





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